尾根の葡萄(ブドウ)(6)

 こめかみを押さえながら子供にするように僕の頭をぽんぽんと叩く彼に苦笑を返そうとしてはっとする。彼の肩越しに何かが光った。


「……っ!?」


 全身が粟立つようなこの感覚……狙撃手としての経験が警告してくる。逃げろ――と。僕の顔色を見た相棒も察してくれたみたい。瞬時に身をかがめて周囲を警戒した。


「……っ!やはり見つかったか!」


「撤収急いでっ!!」


 慌てて広報班の人たちをせかして林の奥へと走りこむ。緊張しながらじっと待つこと10分あまり。幸いなことに、何も飛んでこない。

 どうやら追撃はないみたい。そう確信して、ほっと胸をなでおろした。


「結局、何もありませんでしたね」


「気のせいだったんじゃありませんか?」


「ううん。あれは間違いなくレンズの反射光だよ」


「ああ、こいつが言うんだ。間違いない」


 まだ震える右手を、左手で押さえる。押さえながら僕は不吉な感覚が身体にべったりと張り付いているのを感じる。僕は分かる、あの光はきっと――


「どこかに狙撃兵がいる。そう言いうことだな?」


 さすが相棒。わざわざ言葉にしなくても、僕の考えていることにはちゃんと気付いてくれている。


「うん……さすがにこんな林の中までは撃ってこないだろうから、今のうちに撤収しよう」


「ああ。皆さんも急いでください」


 念のため、林の中をわざと大きく迂回してから集合場所に向かう。迎えに来てくれた仲間のトラックを見て、ようやく人心地がついた。


「ふふ、今日も上手くいったね」


「ああ、よくやった」


「君のおかげだよ。いつもありがとう」


 トラックの荷台に乗り込みながら肘をうち合わせていると、他のトラックに乗り込んだ広報班の会話が聞こえてきた。


「すごい迫力だ」


「結局、どんなタイトルつければいいんだ?」


「そのまんま『敵重機関銃を撃破』でいいんじゃないか?」


「『林の中から』も必要だろう。こんなに遮蔽物があるのをものともせずに狙い撃ったんだぞ」


「一応、距離も入れておこう。えっと……どのくらいですか?」


「1.9㎞ちょっとですね」


「なるほど1.9㎞……って、え……??」


 いきなりこちらに話題を振られ、当惑するまでもなく相棒が即答してくれる。さすが、頼りになるね。

 ……あれ?広報の人、また固まってる。


「どうしました?」


「この間鹵獲ろかくした対物ライフルって、有効射程距離1.5㎞でしたよね。障害物なしで」


「そういえばそうですね」


「そういえば、って……よく当たりましたね」


「え?だって動かない標的だし、風もほとんどないし」


 いつもよりかなり楽だったけど。そう言ったらあっちのトラックの荷台が一瞬静まり返ってしまった。


「……」


「やっぱり人間離れしている」


「さすが『高原の守護者』」


「魔法でも使っているんじゃないのか?」


「不吉なことを言うな。魔獣が来るぞ」


 何だか混乱してるみたい。魔法なんて、もう何百年も前になくなったもの、僕が使えるわけないじゃないか。


「そうですよ。俺の相棒の才能と研鑽けんさんのたまものを、おかしなものと一緒にしないでください。あれが彼の実力なんです」


 あれ?急に相棒の機嫌が悪くなった。なんだか不安になってきたぞ。


「大丈夫ですか? 映像、使えそう?」


「も、もちろんです。しっかり編集しますので期待していてください」


「そうですとも。お二人の活躍を最高の形で全世界に発信します」


「良かったな。よろしくお願いします。お前はもう余計なことを言うなよ」


「ちょっと、ひどいな。それ」


 ガタン


 ちょうどその時トラックが発車した。急な斜面のデコボコ道ではうかつに口を開くと舌を噛む。 僕は荷台から振り返ると、徐々に黄金色に染まっていく陽光を透かして揺れる樹々の梢をじぃっ、と見つめた。


 がたがたと視界が揺れる中、僕はぐるぐると思い悩む。

 撃たれなかったのは、何でだろう……

相手から距離が遠すぎて撃てなかった? 敢えて見逃してくれた……? 分からない……分からないけど……


 とにかく、あの光が脳裏に焼き付いて忘れられず、もう一度振り返る。夕暮れがせまって茜色に染まりつつある空の下で、そよそよと緑の葉が揺れる。


――あの空の下のどこかに、見えない敵がいるんだ。


 さっきの不吉な感覚が、またまとわりつくようによみがえってきて僕は思わず身震いした。


「どうした?」


 僕の不安を察してくれたのか、相棒が気づかわし気に覗き込む。


「大丈夫、何でもない」


 なんとか笑顔を返すと、彼も「そうか」とうなずいて、それ以上は踏み込んでこなかった。

 そのまま黙って基地まで戻ると、広報の人とはいったんお別れ。それぞれの持ち場に散らばって、自分の仕事にとりかかった。



 数日後。むやみやたらとカッコいい音楽と効果音つきの僕たちの動画が公開され、そこに大量の「いいね」がついているのを見せられて、赤面する羽目になったのは、また別のお話だ。彼のパソコンの壁紙が、ぴったりと寄り添って狙撃体制をとる僕たち二人の後ろ姿になっていたのも。

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