豆腐小僧

「モモってさ、変なことに詳しいよね?」


 一見すると失礼にも思える発言が飛んできたのは、休み時間のことだった。


 自分の席でボーッとSNSを眺めていた私は、その声に顔を上げた。前の席に腰かけてこっちを振り返り私の机に肘を置いていた由香里ゆかりは、そんな私をしげしげと観察している。


「……変なことって何さ、変なことって」

「お化けとか、妖怪とか、何かそんな感じのやつ」

「ああ、そういう意味での『変な』ね」


 いきなりディスられたのかと思った。


 私は友人の唐突な発言にしげしげと友人を見つめ返す。


 昼休みも半ばを過ぎた教室はガヤガヤとにぎやかしい。そんな教室を背景に私を見つめる由香里は、ただの雑談と言うにはちょっと張り詰めた空気をまとっていた。


「別に、詳しいわけじゃないんだけど……」


 ただ、身を守るために必要な知識だったから、他の人よりちょっと詳しくなってしまっただけだ。ごく一般の人達が『赤信号は止まれ』という意味を知らないと車にかれてしまうように、私は『この怪異はこう対処する』ということを知らないと危ない目に遭う。だから学ぶようになったというだけで、オカルトに興味があるとかそういうわけではない。


 ただ、友達がこんな風に話題を切り出してきたのは気になる。由香里は普段そんなことに興味関心が一切ないから、余計に。


「でも、どうしたの? 由香里がそんな話題を振ってくるなんて。何かあった?」


 親しい友人がに巻き込まれているなら放っておけない。


 私は手の中にあったスマホを机の上に伏せると拝聴の姿勢を取った。そんな私にホッとしたかのように由香里は本題を切り出す。


「昨日の夜、ちょっと不思議なことに出会ったの。それが、気にかかってて……」


 昨日は一日中雨が降り続いていたから、日暮れもその分早かった。バスケットボール部に所属している由香里が練習を終えていざ帰ろうとした時、外はもう真っ暗だったという。部員は全員帰った後で、顧問の先生に用事があって残っていた由香里が最後の一人だった。


「暗いって言ったっていつもよりちょっと遅いだけだったし、いつもはみんなと一緒だけど、急いで帰れば大丈夫だと思ってたのよ。でも、考えが甘かったみたいで……」


 けられている、と確信したのは、学校から出てしばらく経った後だった。


 電車通学をしている由香里は学校の最寄りのバス停からバスに乗り、電車へ乗り継いで帰宅するのだが、昨日はタイミングが悪いことにバスはちょうどバス停を出てしまった所だった。次のバスを待っているよりも、歩いて少し先の他路線が合流する大きなバス停まで行った方が早く帰れることを知っていた由香里は、雨の宵であったにも関わらず一人で歩くことを選んだらしい。


 目指すバス停は大きな道路沿いにあるのだが、そこまで行き着く道は住宅街の中を行く細道だ。通学で周囲をよく歩く由香里はさらに細道を使ってショートカットを繰り返していて、後ろを歩く足音に気付いた時には人気のない住宅街の裏道のような所を歩いていた。


「雨の音で気付くのに遅れたんだよね。付かず離れず、ずっと私の後ろをついてくる人がいるってことに」


 最初は帰宅途中の周囲の住人と偶々進路が被っているだけなのかと思っていたが、すぐにそうではないと確信した。


 由香里が歩調を緩めればそれに合わせて後ろの足音も歩調を緩めるし、由香里が足を速めれば後ろの足音も付いてくる。一定の距離感を保ってひたすら後ろを追ってくる足音は、明らかに由香里個人を付け回していた。


「気付いたらもう怖くて怖くて。私、走り出しちゃったんだけど。冷静になればすぐにバス停に抜けられたはずなのに、雨だし、暗いし、怖いしで道を間違えちゃったみたいでさ」


 走っても走っても目的のバス停は見えてこない。こんなことなら大人しく学校のバス停で次のバスを待っていれば良かった。いや、こんな時くらい、親に甘えて迎えに来てもらえば良かった。


 そう思った時だった。


「私、男の子にぶつかっちゃったのよ。小さな、まだ小学校低学年くらいかなってくらいの子」


 出会い頭にぶつかって、相手の子を転ばせてしまった。由香里も足をもつれさせたけど、相手の方が体が小さかったのと、日々バスケで鍛えていた運動神経のお陰で、由香里は何とか傘を取り落とすだけで済んだという。


 だからと言ってそれで『良かった』と済ませられるような神経を由香里はしていない。


「相手の子、お使いの途中だったみたいなの。小さな傘も、何かを乗せていたお盆も、私にぶつかっちゃったせいで落としちゃってて、本人も尻餅をついたせいでびしょ濡れになっちゃっててさ。ほんっと、怪我させなかったことだけが救いだったんだけども……」


 由香里は慌てて膝をつくと男の子を助け起こした。『ごめんね、大丈夫!?』と声を掛けると、余程ビックリしていたのか、男の子は目を丸くして、無言のままコクリと頷いた。


「今から思うと、全然大丈夫なわけないじゃんね? 本人もびしょ濡れだし、お使い物は駄目にしちゃったわけだしさ」


 男の子を引っ張り起こして服の汚れをはたいてあげていた由香里は、その時になってようやく吹き飛ばされたお盆と、その下でグチャグチャになって原型が分からなくなった白っぽい塊に気付いた。


 こんな時間に子供が行かされるお使いならば、夕飯の食材というのが鉄板なのだろうか。だけどお盆というのは何なんだろう。もしかしてこの子は結構いい家の子で、今は家族を代表して挨拶とかに行った帰りで、あのお盆は挨拶先から両親宛にもらった何か大切な品だったのでは、なんていう妄想までもが一瞬で由香里の脳内を駆け巡った。


「でもね、そのあとその子、辺りをキョロキョロって見回して私にこう言ったのよ。『追われているんですか?』って」


『お姉さん、追われているんですか?』という言葉に、由香里は背後から迫る誰かの気配を思い出した。強張った由香里の全身から、自分の問いへの答えは是であると男の子は勝手に理解したのだろう。キュッとゆかりの手を取った男の子は、今度は由香里を立たせると急にきびすを返した。『ついてきて』と。


「本当にいきなりで、訳が分かんなかったの。男の子はお盆も傘も放り出したまま走り始めちゃったし、私も私で傘ほかりっぱなしだったのに」


 小学校低学年くらいの体付きをしていたのに、男の子の足は速かった。バスケ部の中でも早い方である由香里が『速い』と感じたのだから相当だろう。


 結局由香里は拒否することも、説明を求めることもできないまま、男の子と一緒に住宅街の裏道を走り続けた。苦しいと感じる距離ではなかったから、ほんの数分のことだったと思う。


『ここまでくれば、もう大丈夫』と男の子が足を止めた時、由香里は全く知らない場所に立っていた。似たような家ばかりが建ち並ぶ裏道で、どちらに進めば知っている道に出るのかも分からない。


 思わず途方に暮れてしまった由香里に男の子は角の先を示して『ここから表に出ればもう大丈夫だから』と言ったらしい。


「半信半疑でその道を表に出たらね、なんと私、自分の家の前に立ってたの。信じられる? うちの家、学校から走って帰るなんて絶対にできない距離なのに」


 目の前の光景が信じられなくて後ろを振り返ると、自分が使ったはずである裏道がなぜかそこになかった。一緒についてきてくれたはずである男の子の姿も、背後に迫っていた不審な気配もなくて、由香里はただ一人、普段と変わらない自宅の前にたたずんでいた。


「信じられないけど、でもそうなっちゃったらもう家に入るしかないじゃん? 普通に家に帰ったら、バス停を通り過ぎた時間から10分くらいしか経ってなくて……。私、本当に体感した時間分で家に帰れたみたいなの」


 夢を見たのかとも思た。だけど、朝持って出かけた傘はやっぱりそこにはなかったし、夕飯の準備をしていたママには『今日は随分帰りが早いのね』とビックリされてしまった。夢だと思い込むには、違和感がたくさんありすぎた。


「ねぇモモ。あれは一体何だったのかな? あの男の子は、一体何者だったんだろう?」

「……あー」

「あ。その反応、心当たりあるなっ!?」


 何となく言葉を濁したら、目ざとく喰い付かれてしまった。


 だけど、どうやって説明したらいいんだろう。『その男の子は多分怪異だし、由香里はに取り込まれていたんだと思うよ』なんてことを。


 私は気まずく目を逸らすと、それとなくいい感じに説明できそうな無難な言葉を探す。ここで言い回しを間違えてであるのだとバレたくはない。私の今後の生活の安寧がかかっている。


 そんな私の内心を知らない由香里は、グイッと身を乗り出すとパンッと顔の前で手を合わせた。


「お願い! 教えてモモ!! あの男の子にお礼を伝えるにはどうしたらいいのかなっ!?」

「……え?」


 でも、そんな言葉は予想していなかった。


 思わず私は間抜けな声とともに目をしばたたかせてしまった。……え? そうくる?


「私、あの子に助けてもらったお礼もしてないし、お使い物をダメにしちゃったお詫びもしてないの。どうしたら伝えられるかな? に詳しいモモなら、何かいい方法を知らないかなって思ったの」

「……不自然にショートカットされた帰宅経路については、いいの?」


 というか、場合によっては最初の不審者も怪異で、その怪異によって異界に取り込まれていた由香里は、男の子に出会った時点で向こう側にいたという可能性だってある。その辺りについては、気にならないのだろうか?


「そりゃあ、気になるっちゃ気になるけども、もう終わったことだしね」


 由香里は実にあっけらかんと言い放った。


 ──……そうだ。由香里って、こういう性格だったわ。


 良くも悪くもあっさりしていて、竹を割ったかのように気持ちのいい性格をした由香里は、男女ともに人気が高い。由香里がこういう性格だったからこそ、私は由香里とうまくやって来れたのだと思う。


「その辺りは終わったことだからどうでもいいんだけど、お礼とお詫びはちゃんと伝えなきゃ終われないじゃない? できれば駄目にしちゃったお使い物も、弁償するなりなんなりして何とかしたいんだけど……。物が何だったか分からないことにはなぁ……」


 ──多分、豆腐だったんだと思うけど……


 雨の夜道で人の後ろをついて回るとか、竹で編んだ笠を被ってお盆に豆腐を乗せているとか、そういう特徴を持つ怪異がいる。今回は現代風の格好をした豆腐小僧が相手だったから由香里も相手をただの男の子だったと思っているみたいだけど、昔ながらの着物姿に傘を被った豆腐小僧と行き合っていたら、さすがに由香里もあんな風には対処できなかったのではないだろうか。明らかに一目で怪異だと分かっただろうし。


 ──……いや、案外由香里だったら、自分より小さな存在には今回と同じような対処をするかも。


 そしてそんな優しさに触れた彼らも、思わず由香里を助けたくなるはずだ。


「まぁ、助けてもらったならさ。もう二度と同じような危ない目に遭わないように対策を取るのが、一番のお礼になるんじゃない?」


 豆腐小僧は、他の妖怪に使いっ走りにされてしまうような、弱くて人にも害がない存在だ。だから豆腐小僧と出会ったからどうこうなるという心配はしていないけれど、雨の夜道を由香里が一人で帰ろうとしたことには危機感を覚える。現に由香里は不審者に付け回されたわけだし。お礼やお詫び以前に、そこには気を付けてもらわないと。


「そりゃあ、そこには気を付けるけど……」

「あとは、己が健やかでいること、かなー?」

「ちょっとぉ、孫が爺婆を喜ばせる方法を訊いてるわけじゃないんですけどぉ?」


 まぁ、私達を見守る彼らの立ち位置は、それに近い物があると思うんだけども。


「じゃあ、豆腐」

「え?」

「安全対策を講じた上でまた今度同じ子に会えたなら、オススメの豆腐を教えてあげるといいよ」

「……そんなんでいいの?」

「うん。きっと、喜ぶと思うよ」


 ヒトとヒトならざるモノでは、住んでいる世界が違う。贈り物を用意しても、こちらが渡せないことも、向こうが受け取れないことも恐らくあるだろう。


 でも、たとえ物を受けることができなかったとしても、あの子のことを由香里が思っていた時間は、きっとそのまま伝わるはずだ。由香里の優しさに触れて由香里を助けてくれた妖異なら、きっとその気持ちを喜んでくれる。


「……そっか。そっかぁ……! モモが言うなら、そんな気がする!」


 由香里は足の反動を使って勢い良く立ち上がるとニパッと私に笑いかけてくれた。その笑顔に笑みで答えて手を振ると、ありがとね~! と由香里も手を振ってくれる。


 ──たまには、こういう話もいい。


 私はほっこり温まった胸を抱えて、次の授業の準備を始めた。

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