第2話 解釈


 トリックアートは、一つの絵で複数の解釈が出来る。立ち位置が変われば、絵の見え方も変わる。

 仮に同じ場所で時を過ごした人間が二人いた場合、立場の違いは、二人の解釈にズレを作る。


 薄暗い飲み屋でのことだった。二人の男女が、時を経て出会う。そこで交わされた会話は、意味を持たない軽いものだった。

「久しぶりだね。私の名前、漢字で書ける?」

「あぁ、簡単だよ。ちょっと待ってね。」

男は携帯を取り出して、スクリーンに手書きで"伊那召稀衣イナメ マイ"と書いた。スクリーンに書かれた文字、それが彼女の名前だった。

「へぇ、覚えてたんだ。」

「あぁ、書けるよ。そういう稀衣ちゃんは?」

とぼけたように稀衣は言った。

「猪狩くんは…ごめん。下の名前覚えてないや。」

軽く笑いながら、猪狩は喋る。二人の会話は、淡々と続く。

「あぁ、軽くショック。」

「でも、覚えてるのも変だよ。そんなに絡んでないし。」

「いや、それは、その…」

稀衣は笑いながら話した。

「私のこと好きでしょ?」

「はぁ!」

「動揺してる。図星だね。」

「なんで分かるの…」

「フフ、なんで私なの?」

「俺みたいな暗い男は、清楚な人が好きなんだ。君みたいな。」

「へぇ。」

稀衣は猪狩を蔑むように、笑いながら話す。

「今も名前が分かるってことは、もしやまだ引きずってる?」

「なんだよこいつ…」

動揺する猪狩に対し、稀衣は静かに笑う。


 時間が過ぎるのは早い。二人ともかなり酔っていた。話題は激しく変わり、昔の話へ移る。

 猪狩は、鞍威市に対してあまりいい思い出がない。普段の彼なら、昔話を嫌うはずだった。しかし彼は純粋に、稀衣との会話を楽しんでいた。

 稀衣の問いかけに対し、引き寄せられるように彼は答える。

「魔法って信じる?」

「あぁ…なんだっけ。メロー…」

「【mellow mist】よ。」

「懐かしいな、それ。【メロー】と【ミスト】の頭文字イニシャルを取って、みんな【M2】って呼んでたっけ。もうあんまり覚えてないケド。それで、あの暴走族がなんだって。」

「私もM2の連中が言ってること、かつては危ないと思っていたの。魔法やファンタジーを、過度に信仰するヤバい人達だと考えてた。でもね…」

「魔法が実在するって?」

「えぇ、それもフィクションみたいな規模の大きいものがね。好きな子の話だし、聞くよね?」

猪狩は笑いながら言った。

「あぁ、そうするよ。」

稀衣は今まで人に話してこなかった奇妙な体験を、猪狩に打ち明ける。


 帰り道でのことだった。小学生だった稀衣は何者かに背中を押され、道路に飛び出してしまう。

 すると時の流れが遅くなり、歩道へ歩いて戻ることで、車に轢かれる事態をなんとか回避することができた。

 彼女が瞬きをすると別の場所にテレポートした。瞬間移動した場所は、デパートの屋上だった。

「凄いね。パンダの乗り物とかあるじゃん。こういうデパートの屋上、まだ残ってたんだ。」

稀衣の前には、見知らぬ女性がいた。彼女はワインレッドで構成されたゴスロリを着ており、年齢は若く見える。

奇妙な事態に、稀衣はゴスロリの女性へ問いかけた。

「お姉さんは誰?」

「私の正体に、価値なんてないの。まぁ、魔法少女みたいなものよ。それくらいの人だと思ってね。」

「説明になってないよ。」

「助かったからセーフよ。それで、このデパートは知ってる?」

「え、うん。知ってるけど…」

「良かった。じゃあ、帰り方も分かるよね?」

「分かるけど、その…今日のことはみんなに話しちゃダメかな?」

「話してもいいけど、信じる人は少ないと思う…あっ、そうだ。せっかく会ったんだし、記念にコレ渡しておくね。」

ゴスロリの女性は、指輪を渡してきた。

「それ持ってたら、安全だから。身につける必要もないよ。あと、君を押した奴も捕まえたからね。それじゃあ、バイバイ!」

ゴスロリの女性はそう言うと、稀衣に手を振る。稀衣が瞬きをすると、屋上から彼女は消えていた。


 飲み屋にて、稀衣は鞄から指輪を取り出す。彼女は猪狩に、指輪を見せた。二人は、指輪と鞍威市について話す。

「今までこれが守ってくれたのよ。ストーカーが死んだ時みたいに。」

「凄い。壮大なコントだね。」

「いや、コントじゃない。私の言ってる事は、全て真実だよ。」

「ん…?」

「私は本気。この街は呪われているの。私は運良く、この指輪によって助かった。」

「そうか。稀衣ちゃんは変わったんだね。それも、こんなオカルトに…」

「よく考えて。この街は異常よ。貴方の友人もきっと…」

稀衣の言うことを遮るように、猪狩は喋った。

「確かに異常だよ。街も、君も。」

「忘れないで。もうヒーローは死んだの。犯人はフェンネルしかいない。」

猪狩は会計分の金をテーブルに置き、急いで店を出た。


 店にいた二人は、鞍威市を疑う。だが、そこには解釈のズレがあった。

 もしも鞍威市を"トリックアート"であると考えるなら、そこには仕掛けがあることになる。

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