第38話『ずっと一緒だよ』

「もうこんなことは辞めなさい」

 その言葉が冷たく響き渡る。


「お金が稼ぎたいのなら他にも仕事はあるでしょう?」

「ちょ、ちょっと待ってよ。お金が欲しいわけじゃないの! あたしは、あたしを変えてくれたみんなのことが大好きだからここにいたいと思ったのよ……‼」

「そんなのはアナタのエゴよ。それで周囲に迷惑をかけてどうするの? アナタを心配する人がいて、アナタ自身の行動でその人たちを安心させられる。それでも続けたいと思うの?」

「そ、それは……」


 悠里は誰かを思い浮かべるように虚空に視線を彷徨わせた後、こちらに視線を向けてきた。そして力なく顔を伏せる。

 きっと妹代行事務所のみんなのことを思い浮かべていたのだろう。

 みんなに迷惑をかけないようにとか、そんなくだらないことを考えていたんだ。


 だが、それはお門違いというやつだ。

 俺は力強い眼差しを悠里に向けた後、母さんを見据える。


「みんなは迷惑だなんて思わない。みんな、悠里のことが大好きなんだ。だから必死になって協力してくれたんだよ!」


 これは悠里に向けた言葉だ。

 

――ユリ先輩はみんなの憧れの的だって、桜庭が言っていた。

 それに妹代行事務所の人たちを話していると、悠里が慕われているのが伝わってきたんだ。


 悠里は昔からいろんなものを一人で背負い込む癖がある。それはきっと今回の事件だけにかぎらず、父さんがいなくなったことも家族がバラバラになったことも全部だ。


 それを今なら理解することができた。

 悠里は人一倍、責任感が強いんだ。


 顔を上げた悠里は目が覚めたような強い眼差しを母さんに向けた。


「あたし、この仕事のおかげで変われたんだよ。お父さんがいなくなってお母さんも入院しちゃって、全部ぐちゃぐちゃになって……。気付けばあたしもおかしくなってた。そのせいで、湊斗もいなくなって……」


 今にも泣きだしそうなほど感情のこもった声だった。


「でも、そんなダメダメなあたしを変えてくれたのは『妹代行サービス』を通して出会ってくれた人たちなの! あたしはみんなに恩返しがしたい。みんなに幸せになってほしいの……!」


 母さんは少し驚いたような顔をしていた。


 父さんがいなくなって、母さんが入院するようになってから悠里の様子がおかしくなったのは当然母さんも気付いていたはずだ。いつもなにかに苛立っていて、自暴自棄になって、傲慢で、無気力だったあのときから、たしかに悠里は変わったのだとそう感じたんだ。


 そこにいるのは、もう大嫌いな姉ではなかった。


 悠里は意思のこもった力強い声で伝える。


「あたし、まだこの仕事を続けたい」


「……ダメよ。許せないわ」


 母さんが心配する気持ちは分かる。もとより母さんは昔から心配性な性格だった。

 なにを天秤にかけても自分の娘の安全が一番になるのは当たり前のことだ。

 それでも、変わろうとしているヤツの背中を押してやるのも家族の役目なんじゃないか。


「母さん。悠っ――ね、姉ちゃんが掃除できるようになったの、知ってる? 洗濯物だって、料理は下手だけど……。それでも姉ちゃんが作ってくれたオムライスが忘れられないんだよ! あの姉ちゃんがここまで変わったんだ……‼」


 他の誰でもなく、姉のことが大嫌いだった俺がここまで言う意味を母さんは理解してくれるはずだ。仕事が忙しくて母さんはほとんど家にいないはずなのに家がこんなにも綺麗に保たれているのはおそらく姉ちゃんが定期的に掃除をしているからだ。


 なにより姉から逃げるために実家を出た俺が今一緒に母さんを説得している。それが示す意味を母さんが理解できないはずがない。


 母さんは戸惑うような顔をしていた。


 やっぱり母さんは心配性なんだ。悠里の背中を押してあげたいという気持ちはあるはずだが、それと同時に娘が心配という気持ちが対をなすのだろう。


「母さんが心配する気持ちは分かる。でも妹代行サービスのオーナーはいい加減な人じゃないよ。今回の事件を通してより一層、安全面を考えてくれるはずだ。俺だってできるかぎり協力したいと思う。姉ちゃんのことは俺が守るから。だから……」

「湊斗のことはあたしが守るから……」


 それでもまだ母さんが難色を示すのは変わらなかった。冷静沈着な母さんのことだ。俺たちの言っていることが結局は感情論でしかないことに気が付いているのだ。


 だったら、俺にできることはひとつだ。


 行動で誠意を見せるしか他に方法はない。

 この手段だけは使いたくなかったが、この際仕方あるまい。


「そんなに心配なら……俺、実家に戻ってもいいよ。ここからでも学校に通えないわけじゃないし、姉ちゃんともずっと一緒にいられる」


 あの楽園を手放すのは正直惜しいが、なにかを捨てないと得られないものだってあるのだ。

 横に座る悠里が目を丸くして、こちらに視線を向けてきた。


「湊斗……。ほんとにいいの……?」

「いいんだ。……意地を張るのはもう辞めた」


 隣にだけ聞こえるように言うと、悠里は意を決したように正面の母さんを見据えた。


「お願い。お母さん! あたし、もう逃げないから……‼︎」

「俺ももう逃げない! お願いします……‼︎」


 二人で深々と頭を下げた。


 こんなことになるなんて一体誰が思っただろうか。少なくとも俺はあの大嫌いだった姉と一緒に母さんを説得するような状況になるとは思いもしなかった。

 それは母さんも同じだったようで、テーブルの向かいから息をのむ気配を感じた。


 しばしの沈黙の後、母さんがゆっくりと言葉を紡いだ。


「……五年前。家族がバラバラになってしまって二人にはずっと引け目を感じていたわ。もう辛い思いをさせたくない。ずっと一緒にいられるように……大切に育ててきたつもりだった。でもそれはかえって二人を縛りつけていたのね」


 母さんの俺たちを大切に思ってくれている気持ちはちゃんと伝わっている。

 だから俺は別に縛りつけられていたなんて思わない。

 それはきっと姉ちゃんだって同じはずだ。


「これからも二人を心配する気持ちは変わらないし、悠里のお仕事にも納得はできないわ。でも、アナタたち二人にはお互いに支え合って生きてほしい¬――それはずっと願っていたことだから。……今回は、今回だけは目をつむる」

「お母さん……」

「でも、ひとつ約束しなさい。今度もしなにかあったら必ず大人を頼ること。仕事が忙しいとかは関係ないわ。どこにいても、どんな状況でも必ず駆けつけるから」


 それから、母さんの真剣な表情がわずかにほころんだ。


「また、三人で一緒にいられるのよね……」

「うん、ずっと一緒だよ。もうバラバラになんてならないから……!」


 ずっと前に失ったものだと思っていた。

 それは過去のもので、いくら手を伸ばしたって決して届くことはないのだと。

 でも、またこうして触れることができたんだ。


 ほっと肺に溜まった空気を吐き出すと、五年分の蟠りも一緒に吐き出せたような気がした。

 もう絶対に失ったりはしない。決して手放さない。

 そう心に決めて、俺は大きく頷いた。


「ああ。俺たちは家族なんだから……!」

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