第10話『本当のアイツを知っているのは俺だけでいい』

「――というわけで、どうにかして姉に妹代行サービスを辞めてほしいんだ」


 なんとか桜庭を落ち着かせた後、事情を説明すると桜庭は申し訳なさそうに身を縮こまらせて正座していた。しゅんと落ち込む彼女は普段よりもひとまわり小さく見える。


「そ、そういうことだったんですね……。勘違いしてすいません……」

「いや、いいんだ。こっちこそ紛らわしいことしてごめん」


 目の前で青い光がバチバチしてたときは死ぬかと思ったが、桜庭の利用価値に気付き、興奮して手を握ってしまった俺に非があるわけだし、勘違いしても仕方のない状況だったと思う。

 隣人が留守でよかった。危うくアパートを追い出されるところだったぞ……。


 それより、「姉が心配だから辞めさせたい」というむねの理由付けで納得してくれたようで安心した。我ながらかなりよどんでしまった自覚があるが、大暴れした直後で罪悪感でも感じていたのか、桜庭はあまり気にしていない様子だ。

 このまま桜庭が味方になってくれたら心強いぞ。

 上手くいけば、姉の弱点をあぶり出せるかもしれない。


「ちなみに小森君のお姉さんというのは……?」

「ああ、小森こもり悠里ゆうりだよ。えーと、ユリちゃんだっけ?」

「え、ユリ先輩が小森君のお姉さんなんですかっ⁉」

「そうだけど、そんなに驚くことかな?」


 日々のバイトの疲れがにじみ出ているせいか、今では散々目が腐っていると言われる俺だが、小さい頃は姉と目元がよく似ていると言われ、可愛がられていたこともあるのだ。


 まあでも、認めたくはないがアイツは中学の頃からわりとモテていたし、それなりに容姿は良い方だ。それに比べて俺はしがないオタクだからな。驚くのも無理はないか。


 しかし、桜庭は予想外のことを口にした。


「てっきり、ユリ先輩は実際に妹なのだと思っていました」

「え、実際に?」

「はい。アンケートでもいつも一位ですし、普段から本当に可愛らしい人なので他の従業員からしたら憧れの的なんですよ。だから、なんとなく末っ子なのかなって」


 あ、あんなヤツが尊敬されているなんて世も末だ……。

 俺が戦慄せんりつしていることなどつゆらず、桜庭は得心とくしんがいったようにポンと手を打った。


「でも言われてみれば姉御肌というか、しっかり者で誰にでも優しいですし。お姉さんって言われても納得できますね」

「……優しい? アイツが?」

「ええ、優しい先輩ですよ。仕事のこと以外でも困ったことがあればなんでも相談に乗ってくださいますし、護身術だって教えてもらっているんですよ」


 ああ、そう。アイツが優しい先輩ね……。

 その言葉が妙に鼻について、思わず悪意をはらんだ言葉が口をついて出てしまう。


「でもアイツ、ドジでズボラなダメ人間だぞ」

「ドジですか?」

「ああ、そうだ。前にこの家に来たときだって、掃除機のコンセントですっ転ぶわ、壁に頭をぶつけて悶絶してるわで最悪だったんだ。きっと脳みそまで筋肉に覆われているんだな」

「……さ、さすがはユリ先輩ですっ!」

「はぁ?」

「え、ですからドジな妹も演じられるユリ先輩はやっぱりスゴイって話ですよね?」

「なんでそうなるんだよ……」


 こりゃダメだ。完全に洗脳されてやがる……。

 まったく、こんな真面目なヤツまで騙しやがって。許せんな……。


 俺が呆れてため息を吐いていると、桜庭がはてと首をかしげて問いかけてきた。

「小森君はどうしてユリ先輩のことをそんなに毛嫌いしているんですか?」

「け、毛嫌い、ナンテ、別ニ……」


 ま、まずいぞ。このままだと「姉が心配だから辞めさせたい」という動機に矛盾が生じてしまう。どう言い逃れようか頭をフル回転させていると、桜庭は俺の動揺を包み込むような優しい眼差しを向けてきた。

 思わず、そんな顔もするんだと見とれてしまう。


「隠しても無駄ですよ。一応私もお姉ちゃんなので、なんとなくわかってしまうんです」

 その見透かされたような視線は非常に居心地の悪いものだった。

 桜庭は幼い子供に向けるような柔和な笑みを浮かべ、さとすような声をかけてくる。

「なにかあったときの顔ですね」

「どんな顔だよ、それ……」

「こんな顔です」

 正面からじっと見つめられて俺は思わず顔をそらした。


 きっと、これが本来の彼女なのだろう。

 桜庭が弟や妹に微笑みかけている姿がなんとなく想像できた。


 ――でも、俺は彼女の弟ではない。


 俺は胸のモヤモヤと一緒に肺に溜まった空気を吐き出す。

 アイツは俺にとっては憎い姉でも、桜庭にとっては尊敬に値するしっかり者で優しい、いわゆる面倒見のいい先輩であるようだ。

 ならば、わざわざその印象をぶち壊してやる必要などないだろう。


 桜庭のためにも幻想を抱かせてやればいい。それでもし幻滅するようなことがあれば、そのときにこそ味方に引き込めばいいんだ。


 ――本当のアイツを知っているのは俺だけでいい。


 しばしの沈黙の後、俺は視線を明後日の方向に投げて口を開いた。

「……や、ちょっと喧嘩してるだけだから」


   ◆


 その後、桜庭は部屋の掃除と夕食を作って午後八時ごろに帰って行った。


 今回は妹代行サービスというより、ほとんど家事代行サービスだったなぁ……。まあ同級生の女の子――しかもあの桜庭朱夏に手料理を振舞ってもらえるならそれはそれでアリなのかもしれないな。桜庭の作った肉じゃが、マジで美味かったし。


 いや、でも今まで妹代行サービスに三万円も落として、たった一度もお兄ちゃん気分が味わえていないのはさすがに酷いだろ。普通に金返してくんないかな……。


 結局、桜庭を味方に引き込むという作戦は白紙に戻し、姉に妹代行サービスを辞めさせるという計画は俺ひとりで決行することにした。アイツに心酔しんすいしている桜庭だと裏切られかねないし、そもそも姉弟喧嘩に他人を巻き込むのもおかしな話だと思ったのだ。

 つまり俺のヘソクリから消えた一万五千円はまったくの無意味だったことになる……。


 俺は食後、熱に浮かされた体を冷ますためにベランダに出た。

 アパートの二階だからほとんど解放感は感じられないが、それでも普段よりもいくらか高い目線で辺りを見回すことができた。


 ふいにどこからか晩ごはんのいい匂いが漂ってきて、一緒に家族団らんの喧騒が届く。

 目を閉じれば、仲が良かった頃の家族との記憶が鮮明に浮かんできた。

 あんなふうに家族で笑い合ったことが、たしかにあったのだ。


 でも、今はもうどこにもない。


 過去にすがることでしかあの温もりを感じることができないのだ。

 だから、胸の奥で大切に保管しているけれど、やがてこの記憶が風化して消え去ってしまうことがなによりも怖かった。

 これが唯一の繋がりだって、そんな気がするから。


 目を開けて夜空を見上げる。

 だんだんと寒くなり始めた十月の中旬。空はどこまでも澄んでいて、月の輪郭りんかくがはっきりと見えていた。こんなにも綺麗な月なのに、しばらくすると灰色の雲に隠れてしまう。

 月明りが届かない暗闇で、胸の奥にわだかまる感情が大切な記憶をむしばんでいるような気がした。


 俺はそんな痛みに耐えきれず、スマホを取り出してゆっくりと耳にあてがった。


「もしもし、妹代行サービスをお願いしたいんですけど――」

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