第5話

 王国を追われ隠れ里にて修行をして長い時が経った。王子と神子は明日を迎えると年は十八になる。王国を包む黒雲は相も変わらず濃く渦巻いて、不気味な威圧感を放っている割には全く動きが無かった。


 レオンはクライヴとの修行の末、成長期も相まって屈強で精強な一角の戦士として成長していた。様々な武器を手足の様に使いこなし、どんな状況にも対応できる戦略を覚え、クライヴと本気で立ち合っても引けを取らない実力を身につけた。少年だった頃はもう遠く、顔も体つきも端整で、威厳と王の気品を感じさせる立派な男性へ変わった。


 ソフィアもまた神子としての力を強め、星神との交信を重ねて多くの知識を身につけた。魔法の使い手とも大きく成長し、攻撃、補助、回復とどれも隙がなく、かつ高いレベルでそれを行使する事が出来るようになった。年月が経ちソフィアは少女の面影から美しい女性へと成長し、長く伸びた髪は神秘に触れ続けた事で魔力と調和し透き通る翠玉色に染まった。その神秘的な美しさは神子と呼ぶにふさわしく成長した。


 クライヴもまたさらに実力を身につけていた。それはレオンの驚異的で爆発力のある成長速度に引っ張られるように自らも成長していったからである。クライヴはレオンがどれ程実力をつけようともそのさらに先を行き、常に追い越される事なく剣の腕を共に磨き上げた。クライヴは戦いに備えて常に最強の騎士であり続けた。


「ソフィア、今いいかな?」


 ソフィアが魔導書を読んでいると、レオンが声をかけてきた。


「勿論大丈夫だよ、どうしたの?」


 本を置いて席を立つ、同じくらいであった身長はもうレオンの方が高くなった。


「どうって程用事がある訳じゃないんだけど、少し話がしたくなってさ」


 レオンは気恥ずかしそうに頭の後ろを掻く、ソフィアは微笑んで言った。


「何よ改まっちゃって、そんな緊張する仲でもないでしょ?外出ようよ、ずっと本と睨めっこで疲れちゃった」


 ソフィアは外に出るとうんと体を伸ばした。


「ああ疲れた。肩も首もかちかちだよ」

「さっきはどんな本を読んでいたんだ?」


 レオンが座ると、その横にソフィアも座る。


「遠見の魔法をもっと使いこなせないかなって、王国内をどうしても見れないから、その魔法障壁を破る事も出来ないか方法を探してたの」

「そうか、悪いな俺は協力出来なくて。外に出ての調査もクライヴに任せきりだし、本当は俺が出向きたい所だけど」


 そこまで言って言葉を切る、レオンは頭では分かっているからだ。自分が隠れ里外に出て魔族に補足される事があれば不測の事態を招きかねない、それはソフィアも同じ事だった。


「気持ちは分かるけど我慢しなきゃ、レオンに何かあったらそれこそ希望が潰えちゃうんだから」

「そうだな、俺がここで焦っちゃいけない。ただ魔族に目立った動きがないのが気になるんだよな」


 レオンがそう言うとソフィアは手のひらを前に出す。遠見の魔法で手のひらの上に現在の王国の様子を映し出した。


「外観は相変わらず黒雲に包まれていて見えないし、中を見通したくても強力な魔法障壁がそれを阻んでいる。魔族による妨害でしょうね、星神様も力が及ばないと仰っていたわ」


 手のひらを閉じると映した景色が消える。


「あれから随分時が経ったな、俺もソフィアも明日で十八歳になる」

「そうだね、昨日の事の様に思い出せるのに、時間は確かに過ぎている。レオンは随分背が伸びたね、昔は一緒くらいだったのに」


 ソフィアはそう言ってレオンに笑いかける。


「そうだな、いつの間にか結構大きくなっていたよ。ソフィアも髪が伸びて少し大人びたんじゃないか?」

「そ、そうかな?ちょっと照れるな」


 ソフィアは赤面を隠すように俯く、レオンの言葉は真っ直ぐでソフィアにはこそばゆい。


「昨日クライヴと相談したんだ。俺達もそれぞれ実力をつけたし、明日宝剣の試練に挑むつもりだ。まだまだ剣に相応しい実力があると思えないけど、試してみなければ始まらないから」


 レオンはあれから宝剣に近づく事が無かった。宝剣から伝わるエネルギーは並大抵のものではなかった。宝剣に選ばれたいと思うと同時に、心の奥底で恐れがあった。


「そっか、うん私もそれが良いと思う。だけどちょっと浮かない顔しているね」

 顔に出したつもりはないが、ソフィアには伝わってしまうなとレオンは苦笑いした。

「怖いんだ。もしまた選ばれなかったらと思うと、次はいつだ?明後日には選ばれるのか?それよりもっと長くなるのか?その間王国はどうなる、動きを見せない魔族はきっと国内で暗躍を続けている。オールツェルの民はどうなっている?無事であるとは思えない、俺は怖い、救うべき人達がいるのに何もする事が出来ない自分自身が怖いんだ」


 ソフィアはレオンの心情の吐露を黙って聞いていた。そしてレオンの小刻みに震える手を優しく包み込むように握りしめた。


「レオン、大丈夫とは言わない。私も同じ気持ちで怖いから、神子の使命って何?立ち向かう敵って?平和だったあの時間に戻れるものなら戻りたい、王様と王妃様にもう一度お会いしたい、貴方と一緒に過ごした王国に帰りたい」


 ソフィアはレオンの手を取って立ち上がった。


「だからやろうレオン!世界の為だけじゃない、他でもない自分の為に!闇を切り払い再び王国に光を灯すのは貴方よ、私はそれを信じている。その為に私も神子として果たすべき使命を果たすわ」


 そう言ってソフィアはレオンに笑いかける。その笑みに、その力強い言葉に、レオンは心の靄が晴れた。


「ありがとうソフィア、君の言う通りだ。俺はもう怖がらない、君の信ずる俺でありたいから」


 レオンはそう言ってソフィアに笑いかけた。必死に強さだけを追い求めていた心の隙間が一つ埋まった気がした。


 真夜中、夜の帳が下りて辺りを暗く染め上げる。暗がりに生きるもの以外は寝静まり、夜明けの時を待つ。


 オールツェル王国内で無数の影が蠢いていた。それは生命と呼ぶには異質で、理からかけ離れた見た目をしていた。息を荒立て興奮の声を漏らし、自らの王を待っていた。


「諸君、よくぞ集まってくれた」


 それは突然現れた。広場を一望する城のバルコニーに堂々と立っている。


「我は長き封印より解き放たれた魔族が一人、依り代の体を捨て去り真なる力を取り戻した魔族の王である。過ぎた時に置き忘れた名を改め、これよりはアラヤ

と名乗る。皆我の存在を心に刻め、我は魔王アラヤである」


 蠢くもの達は歓声を上げる、もっともその声は聞くに堪えない金切り声や、地の底から響く低い唸り声等、化け物の叫喚であった。


「お前たちは我が研究実験を重ねて生み出した物、元は人であったり動物であったりした成れの果てである。お前たちは我ら魔族がいない世界に蔓延る穢れであった。だが、我はその罪を許そう。我が子らよ、お前たちは魔物へと姿を変えて生まれ変わったのだから」


 もう一度歓声が上がる。ある魔物は隣の魔物を興奮のあまり踏みつぶして、ある魔物は身体から無数に生えた腕で手近な魔物を引きちぎった。魔物に理性も知性もない、破壊と生きる事への執着のみが残っている。


「残念な事に魔族の復活は完全に果たされていない、封印から取り出してある程度形になったのは四人程である。しかしあえて言おう、四人も居れば世界を滅ぼすのに十分過ぎる」


 アラヤが指を鳴らすと、四人の魔族が姿を現した。一人は細身で長身の男性で眼鏡をかけた涼やかな顔に邪悪な笑みを浮かべている。その隣には幼い少女のような見た目をした女性が額とこめかみの間辺りから生えた角をつまらなそうに手でいじっている。アラヤの背後に居るのは大男で通常の人間の三倍はある巨体は、横にも縦にも大きく、筋骨隆々な体は大岩の様にも見える。巨体の影に隠れるようにいる女性は、地面まで伸びた長い黒髪に上品で艶やかな見た目に儚げな美人で、恥ずかしそうに顔を背けている。


「これからはこの四魔族がお前たちの指揮を執る。お前たちは四魔族の駒として存分に働け、我が指示する事は何もない、お前たちが自由に生きればそれでいい」


 アラヤはもう一度指を鳴らした。そうすると固く閉ざされていた王城の門が音を立てて開き始め、魔物は我先にと外へ飛び出して行った。


「おい、行っちまうぞいいのか?」


 岩のような大男がアラヤに問う。


「あれでいい、好きにさせろ。魔物はその為に作った。生きて生息域を広げていくだけでどんどん人の力を削いでいく、お前たちも好きにしろ、魔物は使いたければ使え命令は聞く、我から指示があるまでは好きに生きて思うまま人を殺せ」


 アラヤはそう言うと四魔族一人一人を指さして言った。


「お前たちに名前をくれてやる。我からの贈り物としてな」


 細身の男はランス、少女はリイン、大男はロッカ、女性はベルティラと名付けられた。


「では僕は魔物を数匹お借りしますよ。まだまだ試してない事があるのでね」


 ランスはそう言うと一番に立ち去った。


「俺様は適当に殴りがいのあるやつを殴ってくるぜ、壊して壊して壊す。それが俺様だからな」


 ロッカはその巨体に見合わない程の跳躍力で跳んで行った。


「アタシは適当に面白そうなモン探すわ、期待しないでよね」


 リインはバルコニーからふわっと飛び降りると、夜の闇に姿を消した。


「では魔王様、此方もそろそろ向かいます」


 ベルティラはしなやかな足取りで城内に戻って行く、一人になった魔王アラヤは夜空に向かって大きな笑い声を上げた。魔族の侵攻は静まり返った夜の闇にゆっくりと溶け出していくように始まったのだった。

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