十の巻「妖の戦」(その一)

「蛇神めが、この日ノ本に来て蛇蜥蜴どもを皆従えたと思っていたようだが、とんと目が節穴よ。元の主のこの婆を裏切らない、かわいい奴らもたんとおったのに、彼奴めまるで気が付かなんだ。そしての?蛇の目を借りて物見をするのは、この婆にとっても得意技じゃて。

 そうよ、わしは今までずっと蛇神めの様子を伺っておった、そこで、じゃ!

 生贄になった娘。実はな、今でも生きておる。いやいやそれどころか!蛇神め、その娘にどうやら、ぞっこん惚れてしもうたらしいのよ。女同士でとんだ酔狂、そのまま棲家の穴蔵に一緒に住まわせて、『姫や姫、姫、蝶よ花よ』とな?あのだらしのない猫かわいがりと言ったら!見ていて歯が浮いてならんかったわ!

 ……もっとも先にたらしこんだのは、なんとあの人間の小娘の方じゃったがなぁ。驚き入った話じゃが……とにかくじゃ!

 あの娘を捕まえて盾にとれば、さだめし蛇神め、手も足も出なくなるじゃろうて。後はそのまま攻め殺すも良し、脅して従えさせるのも良し……

 どうじゃ土蜘蛛、この婆の眼力は!この戦、勝ちは間違いないぞえ、ひゃは!」

 蛇骨婆のもたらしたその情報。土蜘蛛の闇の社は俄かに騒然となった。

 あの蛇神に恋人とは、随分と突飛な話だ。だが不思議と、蛇骨婆を疑う声はその場に出て来ない。誰もが内心、苦戦を予想し決め手を求めていたからだ。それが事実なら、確かに蛇神と戦う上で願ってもない切り札となりうるではないか。流石の土蜘蛛ですら顔色を変えた。

「婆殿!その話間違いないのだな?!そんな娘が、蛇神の元に本当にいると?!」

「ひゃは、土蜘蛛よ、わしがお主をたばかってなんになる?

 蛇共が一時、蛇神の奴めにすっかり寝返りおったこと。あれで日ノ本の蛇の主、この蛇骨婆の面目は丸つぶし!恨み骨髄、晴らさでおくべきか!蛇神の泣きっ面をな、わしは見たいんじゃ。

 なればこの戦、何が何でもお主に勝って貰わねば。その一心で教えることぞぇ?間違いなんぞあるもんかい!ひゃはは!」

「土蜘蛛の御大将!どうやらこいつは、あたしの出番だねぇ……どうかあたしにやらせて下さいな?」

 猫又が、しゃなりと進み出た。

「大百足や毒蛾主と違って、あのデカブツの蛇神と真正面からやり合うのは、あたしじゃちょいと分が悪過ぎる。足軽役がせいぜい、どうにも歯痒くてならなかったんですよ。でもそういう仕事なら!ねぇ御大将……?」

 蛇神の巣穴に密かに潜入し、姫を拉し去る。忍び足と闇を見通す眼で獲物を狩る、猫の女怪の彼女にはまさにうってつけの任務。喉をごろと鳴らしてねだり顔の猫又に、土蜘蛛はうなづきを一つ。

「……うむ、よし!ならば手筈はこうだ、皆聞け!」

 そしてその断は早かった。号令に、主だった妖達が急ぎ彼らの御大将を囲繞する。


 だがその時。闇に溶けたまま、土蜘蛛のその采配を聞いていた一人の妖。

(生贄になった娘……大納言家の、蟲愛づる姫君様!

 ああそんな!知らせなければ、お救いしなければ!!)

 それは他でもない、あの蛍であった。土蜘蛛の怒りを買い、闇の奥に蟄居させられていた彼女。だがその小指の一節を切り離し、もとの虫の姿に戻して、闇の社の物陰で土蜘蛛達の様子を伺わせていたのだ。そしてそれは無論、無謀な戦を企てようとしている土蜘蛛の身を案じてのことであったが、今や彼女は、行動を起こさなければならない別の理由を持ってしまった。

 どうやら蛍は、かの姫を知っている……


 蛇神と姫の棲家、洞の宮。一時船岡山にあったそれはすでに潰され、地底からそのまま掘り進んだ今の宮はそもそも地上に入り口は無い。だが蛇骨婆の息のかかった蛇達の目によって、その場所は土蜘蛛達には明らかになっていた。

「ここじゃ。ここから掘ればおそらく、程なくして蛇神の巣穴につながるぞぇ」

「うむ」

 蛇骨婆の杖が指すのは、月明かりが煌々と照らす切り立った崖。その山肌を土蜘蛛は仔細げに撫ぜると。

「流石は婆殿、所も良し、地の締まりもしっかりしている。ここなら掘るには格好。されば手筈通り……

 大百足はわしにすぐ続いて来い。遅れを取るな!猫又と婆殿はその後ろから、ただし二人はくれぐれも蛇神に悟られぬよう、こっそりと。毒蛾主は、その他のものを従えて地上で待ち構える。抜かりなく布陣を引いておけ、よいな?

 ……では皆の者、始めるぞ!」

 蛇神に劣らず、土蜘蛛もまたその名の通り地を掘り進む術に長けていた。彼が大きく指を開いた掌を岸壁に向けて突き出すと、触れてもいないのに壁は崩れ、土砂が土蜘蛛の体を避けながら後方に飛び散る。

 いや、その場の妖達には見えている。土蜘蛛の仮の人の姿から溢れてはみ出している、巨大な蜘蛛の形をした霊気。それこそが妖総大将土蜘蛛の真の姿であり、その脚先の鋭い爪で崖を突き崩し土を掻き分けているのだ。土蜘蛛はその構えのまま悠々と歩みを進める。山肌に出来た窪みはやがて、見る間に黒々と深い洞になっていく。

「大百足!程無く蛇神の巣穴に繋がる。すぐに飛び込むぞ!我ら二人でまず、蛇神を巣穴から引き摺り出すのだ、抜かるな!!」

「おお!!」

 土蜘蛛が背後に撒き散らしてゆく土石の奔流を顔に体にまともに受けながら、大百足はそれをものともしない。彼が仕える大将に歩を合わせ、その背にピタリとついてゆく。やがて洞は見る間に深くなり、二人の姿はその奥に消えた。そして程なく、洞の奥からガラガラと崩れる音。土蜘蛛の掘った洞が、蛇神の棲家に繋がったのだ。

「もうこれで土は飛んで来ない、わしらも入れるぞぇ、猫又よ」

「あいよ婆様」

 洞の入口で頃合いを見すましていた、猫又と蛇骨婆。

「土蜘蛛の掘った穴から蛇神の巣穴に抜けたら、わしらは先に進まずその辺りで一度隠れる。そうじゃったな?」

「そうそう。そこで総大将と大百足が蛇神を地上に引き摺り出すのを待って……」

「邪魔者がいなくなったところで、すれ違いにわしらは蛇神の巣穴の奥に向かって、あの娘を捕まえる……ひゃは、簡単な仕事じゃて!」

「ただ途中に、蛇神が見張りの蛇を残しているかも知れないけど……?」

「残してあれば、尚の事好都合。蛇神に寝返った蛇共も、わしが近づけば今度はわしの力で操って手下に使える」

「頼もしいねぇ。じゃ、行こうか婆様」「ひゃは」

 まるで物見遊山にでも出かけるかのようなうきとした顔で、しかし足音だけは忍ばせた二人が洞に消える。

「さてさて、わしは上で居残りか。ま、確かにわしはあんな穴蔵に潜るのはまっぴら御免だが……」

 洞の入り口に一人佇む毒蛾主。常と変わらぬ小狡い顔で、愚痴を一つ。

「さりとて『他を率いよ』とはの。土蜘蛛様も無体をおっしゃる。大将面などわしの柄では無いのだがなぁ」

 山羊髭を撫でながら首をかしげる。重責を厭うているのか、それとも実は満更でもないのか。彼の顔は心中を読ませない。

「……したが、やるしかあるまいて」

 やがて思い切ったのだろう、彼は大きく両腕を、纏ったぼろの袖を開く。すると、彼のその両袖から何かが、次々に飛び出して行く。やがて周囲の闇夜を埋め尽くさんばかりの、それは羽ばたく毒蛾の群れ。命ある虫では無い。虫の屍に毒蛾主が己の霊気を吹き込んだ小さな傀儡だ。

「これだけの手勢、集めるのに苦労したものよ。さて皆の衆!」

 闇の隙間からぞろりと這い出してきた、妖達に号令する毒蛾主。

「一人一人、わしの手先を案内につける。蛾の飛ぶ先に従って持ち場に散られよ!」

 その時、紅潮した彼の顔から皮肉な躊躇は消えていた。


 そして、毒蛾主もその他の妖達も気が付かなかった。猫又と蛇骨婆を追うようにひそやかに洞に忍び入った、一匹の小さな虫がいたことを。

(続)

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