七の巻「逆理桜紅葉」(その一)

 京の都、大内裏のすぐ北にある、ここは船岡山。この小さな山の頂近くに、大きな洞窟が黒々と口を開けておりました。

 それが蛇神の洞の宮です。

 京の都を焼いて姿を消した蛇神は、実はその後、一度はもっと都から北に離れた山に洞の宮を掘っていました。ですが、かの蟲愛づる姫君を最初の贄の乙女に選んだ蛇神は、一刻も早く姫をその手にしたかったのです。それで使いの白蛇を送り出してすぐに地を掘り進んで、都にごく近い、ここ船岡山まで戻って来ていたのでした。

 そして。

 姫を乗せた輿は、侍たちの肩に担がれ、今まさに、船岡を登って行きます。見渡せば、遠い山々に紅葉が燃える、それは、とある秋の日のことでありました。


 輿を先導する二匹の白蛇は、するすると山道を登っていくかと思うと、時折止まって、進みの遅い輿を咎めるように、急かすように振り返る。

 そう、武士達の足取りは重く遅い。か弱く小柄な姫君一人の乗る輿、道も決して険しくない。本来この逞しい担ぎ手達なら、たとえ駆けろと言われようとも、ものともするものではないのだが。

 彼らの歩みを、屈辱が重くする。都を焼いた憎き仇、その使いを働かねばならないこと。彼らが忠を捧げる主上の、蛇神に屈する姿。その心中の苦衷を慮れば、武士達の胸も苦さに満ちる。こんな役目を、誰がはきはきと務めることが出来ようか?

 そして彼らの脳裏にちらつく、姫を奪われた大納言家の人々の嘆きの顔。如何に蛇神の命とはいえ、かの家から姫を捕え攫って行ったのは、他でも無い、自分達自身。後ろめたさに足首を掴まれ曳かれるような思いがするのだ。歩みの進むはずがない。

(それにしても)武士達は思う、(この姫はいったい……?)。

 裳着は済ませたとは聞いている。だが武士達から見れば、「年端も行かぬ」と言いたくなるほどの、まだ幼さの残る可憐な少女である。それが咎人のように縄をかけられ、輿に乗せられた姿は無論の事、みじめで痛々しい。にもかかわらず。

 今の秋空を映したような、紅葉狩りでも楽しみに来たような、その晴れやかな顔色はどうだろう?これが今から怪物の生贄にされる娘なのか?

(お家のため、都のため、主上の、この国のため。身を捨てる覚悟がもう決まっているのだろう。実に見上げたものよ……)

 姫君の世にも稀に見るその態度を、武士達はいかにも武士らしく、そう解釈した。彼らにはそうとしか理解出来なかったのである。そしてそんな彼らの驚きを他所に。

 当の姫君はただ、山の彼方に遠く、何かを見つめている……


「贄の乙女は、ここからは吾の手の者のみで連れてゆく。最早うぬ等に用は無い。贄を輿から降ろして、疾く去ね。

 ……首に掛けた蝮は、うぬ等がここを離れたら取ってやる」

 ようやくたどり着いた洞の宮の入り口で。一同を先導していた白蛇の片方が、あの蛇神の声でそう侍たちに申し伝えます。

 首に掛けた蝮。そう、輿を担いで来た侍たちの首筋には、それぞれ一匹づつ、蝮が絡みついていました。彼らが蛇神の命に逆らえないよう、脅して道を急かしていたのです。そしてそれも彼らには、道中腹の煮えることでした。こんな無情な使いを果たさねばならないのは、それはあくまで日ノ本のため。なればこそ無念に歯を食いしばっているのです。「己の命が惜しければきりきり進め」などとは、侮辱の極みではありませんか。ですから彼らはここまで、むしろ面当てにわざとのろのろと進んでいたくらいです。白蛇の口を借りた蛇神のその最後の憎々しい言い草に、怒り狂うのをどうにか堪えながら、まだ体を縄で縛られていた姫君を、侍たちが輿から抱き起して地面に支え立たせると。

「ご使者さま、どうかお侍さま方の首のくちなはを、みな、わたしの身に移して下さいませ」

 姫はすぐさま、二匹の白蛇に向き直って、そう言い出しました。

「お侍さま方はみな、私を無事に蛇神様に引き渡したいと、そう思っています。それは嘘ではございません。ですがもし私に何かあれば、主上のおいいつけを果たせなくなります。ですから……」

 侍たちが逆らわないように、今度は「自分を人質にとれ」と。姫はそう言うのです。

「さあ皆さま、私の肩にお手を」

 姫は侍の一人にずいと近づき、肩を突き出します。戸惑いながらも、姫の目線に促されて、彼が姫の肩に片手を乗せると。彼の首筋から腕を伝って、蝮は姫の体に渡っていきました。

(我らの無念の心を汲んでのことか。それに、蝮にまるでおじけぬとは。全く、なんたる姫様であることよ……)

 姫の細かい思いやりと、その姿に見合わない豪胆さ。侍たちは自然と頭の下がる思いです。ためらいながらもむしろ、姫の威に従うように。一人また一人と蝮を渡していきました。姫の健気さに、ある者は目に涙を浮かべながら。そして最後の侍が。

「ご使者よ!」憤然と白蛇に言い立てました。

「蝮が姫君に移ったこの上は、縄を解くことを許されよ!この姫にこの上、縄目の恥辱など、以ての外!!」

 そう叫ぶなり、白蛇の返事もまたず、その侍は姫の体にかかった縄を解いていきました。せめてもの情けと、もとより緩く結んであった縄です、解くのはあっという間でした。白蛇は、すなわち蛇神は、黙って侍のさせるがまま。それはただ止める間が無かったからか、それとも……?ともあれ。

 姫の縛めは解かれたのです。代わりに、恐るべき牙を隠した蝮にまとわりつかれながら。自由になった両の腕にも、それぞれ一匹づつ、手首の辺りに狙いを定めるかのようにきつく巻き付いています。

「あなた達も……」

 そしてその時。姫の顔に、言葉に。侍たちは一層驚かされたのです。

「お役目を果たさなければ、御主人さまにお叱りを受けるのでしょう?私は逃げも隠れもいたしません。一緒に参りましょうね。

 ……あなた達くちなはとは、こんな肌触りなのですね。触れてみるのは初めて。冷たくて滑らかで、心地よいことです……知りませんでした……」

 按察使の大納言の娘、人呼んで「蟲愛づる姫君」。この場の侍たちも皆、姫の噂は知っていました。ですがまさか、これ程とは。そして彼らの脳裏にある思いがよぎるのです。自分の運命を受け入れ、健気に耐えて落ち着きを保っているものとばかり思っていた姫。ですがそれはもしかしたら、とんでもない思い違いだったのでは?

(まさか、この姫は、……?だから道中もあんなに、……?)

 顔を見合わせながら、いやいやまさかと首を振っている侍たちの動揺を、知ってか知らずか。姫は最後に。

「それではお侍さま方、私はこれより、蛇神さまのもとへ参ります。どうかこちらでお見届け下さい。そして主上に、出来ましたら父上母上にもお伝え下さい。では」

 そう穏やかな微笑みを浮かべながら、姫は踵を返して、しずしずと。

 目前の洞窟の奥に消えていったのでした。

(続)

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