さるかに星間戦争

松井みのり

第1話

『確認されている敵機はすべて破壊しました』

 机に置いたタブレットが青白く光り、一件の通知を表示した。

「今日の作業も終わりだな、ジロー」と同僚のフジが言うので、おれは適当に相槌を打ち、椅子に深く腰かける。時計を確認すると予定通りの作業時間だった。

 ついでに、少しも代わり映えしない部屋を意味なく見渡す。おれたち猿にとっては肌寒いくらいに設定されている空調設備。潔癖症のためにあるような真っ白の壁。誰が置いたかもわからない観葉植物。一匹につき三台は用意されているモニター。それから、一番大事な仕事道具の端末装置だ。

 この端末装置と宇宙空間に無猿機動監視機を使い、おれたちはカキ星の居住地区や農耕地区、工業地区周辺に、蟹たちがウロチョロしないように見張っている。

「それにしても、おまえもおれも随分と暇な仕事を任されたもんだな」と同僚のフジ。

「そうだな。暇な日が続くのは大歓迎だけどね。退屈だが楽な仕事だ」おれは返事する。

「もちろん暇な日が続くのは大歓迎だが、もう少し残業で稼ぎたい」

「わかるぜ。無猿機動監視機を端末装置でただ動かすだけ。あと二時間ぐらいは働ける」

「その残業代があればな。もう少し生活に余裕ができるのに」

「カキ星を偵察する蟹のマシンは、一日に多くても一機か二機。残業はできねえよ」

「おれたちの作業は、その一機か二機を敵機破壊担当に報告するだけだもんな」

「そのとおり。高給取りになるのは諦めるしかねえよ、フジ」

「やつら、ついにカキ星の奪還を諦めやがったのか。しぶとい連中だと思ってたのに」

「いやいや。おれに言わせれば、蟹たちはカキ星に執着しすぎだよ」

 おれたちは端末装置と無猿機動監視機の通信を切断する準備にとりかかる。

 準備をしながら考える。そう、蟹のやつらはカキ星に執着しすぎだ。


 二千年前、蟹たちは蟹工知能を開発した。たしか正式名称は神託機械式二進知能(Oracle Machine Style Binary Intelligence)といったはずだ。一般的には、OMSBIという頭文字からオムスビと呼ばれている。このオムスビは二千年前に開発された技術だが、猿星ではいまだに使われているはずだから、おれたちも世話になっているはずだ。

 猿星で使われているオムスビは、蟹たちから奪ったものだ。

 頭のキレるボス猿が蟹たちのマザーシップを訪問した。猿星と蟹星が互いに情報を教え合うという友好的な名目で、荒れ果てていたカキ星の情報とオムスビの情報を交換するはずだっだ。だが、ボス猿の目的はそんな生やさしいはずがない。当たり前だ。この猿星のボスになるような男だからな。

 ボス猿の目的は蟹たちの殲滅だった。残酷なことかもしれない。だが、驚異的な蟹工知能を開発できるような連中だ。その開発技術が武器や兵器に転用されることになる可能性を考えると、恐ろしいことが起こる前に滅ぼすというのは悪い選択肢ではない。おれを含めた多くの猿たちはそう考えていると思う。

 すべてはボス猿の考えていた通りに進んだ。並べられたドミノを指でちょんと倒すような感覚だったろうな。カキ星の情報を徹底的に調べ上げ、蟹たちにとって都合のいい情報をチラつかせる。蟹たちとカキ星の共同開発をすることで交流を深め、ボス猿と幹部たちがやつらのマザーシップに招待されるように仕組む。そして、オムスビの情報を聞き出し、ハイジャック。やつらの船と蟹工知能を操り、蟹星を襲撃した。これで蟹たちの栄えていた文明は滅亡。その後、ボス猿はオムスビを猿星のために平和的に活用している。ここまで実行力のある政治家だ。歴史に残るのも当然だろう。

 二千年前のこの出来事以来、蟹たちはおれたちを敵視している。宇宙を支配するチャンスを逃したから敵視する理由はわかるが、あいつらはきっと軍国主義を貫いた教育をしているんだろう。二千年間も猿星とカキ星に偵察機を送るのはどうにも気味が悪い。もっとも、あいつらが偵察機をカキ星に送ってくるおかげで、おれやフジが仕事にありつけるのは皮肉な話だがな。


 そんなことを考えているうちに、端末装置と無猿機動監視機の通信切断作業を終えた。これで今日の仕事は本当にお終いだ。おれはフジに別れを告げる。

「じゃあな、おれは帰るぞ。お疲れ様」

 その瞬間だ。

 すべての光が音もなく姿を消した。停電だ。こんなことは滅多にない。

 おれが狼狽えていると、フジが大きな声を出し、静けさを追い払った。

「おい、とりあえずタブレットの光でなんとかするぞ!」

 急いで机にあるタブレットを確認した。

『致命的なエラーが発生しました』『致命的なエラーが発生しました』『致命的なエラーが発生しました』『致命的なエラーが発生しました』『致命的なエラーが発生しました』 

「なんなんだよ!」今度はおれが大きな声を出してしまう。「これは! 停電じゃないのか! どこにも連絡できないじゃないか!」

 この部屋にはおれとフジしかいない。タブレットが使えなければ、別な部署と連絡する手段は実際に顔をあわせるしか方法はない。

「落ち着けよ、ジロー。たまたま停電と変なエラーが重なっただけかもしれないぜ」

 フジが囁く。アクシデントにも落ち着いて対応できるのは、フジが工学部出身で機械に強いからだろうか。とにかく、おれはフジの発言で少し落ち着いた。

「すまない、取り乱した。とりあえずこの部屋から出よう。暗証番号を入力する必要のあるドアだが、手動で開ける方法もあるだろう」

「そうだな。たしかロッカーに鍵があるはずだ。それを使おう」

 故障しているタブレットと、プライベート用の通信機(これも壊れていた)と財布を所持することにした。最低限の持ち物といったところだろう。ロッカーから鍵を取り出し、この部屋から出る。

 廊下は闇の世界だった。停電前から少し薄暗い廊下だったが、それとは比べ物にならない。よく知っている場所だが慎重に歩く必要がある。おれとフジは他部署のドアを開けようと試みる。合流することが最優先だと考えたのだ。

「やっぱり、どのドアも開かないぜ、ジロー。セキュリティのことを考慮し電気錠にしたのが、ここまで裏目に出るとはな」

「停電を復旧させるのに一体どれくらい時間をかければ気が済むんだよ、ここは軍が管理してる施設だぞ」

「そう焦るなよ。しばらく歩いているうちに、電気は元通りになるだろうよ」

「昔、いろんな惑星の研究をしていたことがあるんだが、栗星に住んでいる栗ってやつらがいてな。そいつらは機械だろうが、鍋だろうが、いろんな隙間に入り込んで悪さをするらしい。停電の原因が栗だったら、しばらく戻らないだろうな」

「おいおい、何を言うんだよ。栗なんて初めて聞いた名前だぞ」

「冗談だよ、フジ。だいたい栗が猿たちを襲う理由なんて考えられないさ」

「よくこんな状況で冗談言えるな。そんなことよりも、おれは他の猿たちと出くわさないことのほうが気になるな」

「そのことはおれも疑問に思っていたんだが……フジ、ちょっと静かにしてくれ。何か聞こえないか」

 おれの耳に間違いがなければ、目の前の部屋から低い唸り声が聞こえた。汗が大量に出る。自分が冗談を言っていたとは思えない。

「おい、ジロー。何か聞こえたのか」

「気のせいかもしれない。だが、この部屋から声が聞こえたような気がする。猿がいるかもしれない。無理矢理こじ開けるぞ」

 ブブブブブブブブブブという低い唸り声が廊下に響き続ける中、ドアを叩いたり蹴ったりした。

 しかし、やはり開かない。このままでは疲れるだけだ。他の猿との合流を諦めて先に進もうか。そう思った時、ドアが向こう側から開いた。

 現れたのは猿ではない。黄色と黒を纏った巨大な悍ましい姿の生き物だった。その体躯に見合う大きな六本の足を持ち、身体よりも大きい透明な羽がある。どうやらブブブブブブブブブブという音は、この羽が動いたときに鳴っている音のようだ。

 おれは動けなくなった。全く正体のわからないこの生き物に、おれは襲われてしまうのだろうと直観してしまったのだ。

 フジも動けていない。このままではフジが襲われてしまう。フジの腕をギュッと掴み、闇が覆う廊下を走った。

 廊下はおれたちの足音と、やつの羽音が響く。とにかく、あの音から遠ざかりたい。

 少し息切れがしてくる。しかし、足を止めるわけにはいかない。少し止まって休んだところで、すぐには体力回復するわけではない。

 思い返すと、やはり停電は意図的なものだったのだろう。

 あの巨大な生き物の仕業かもしれない。いや、栗と共謀しているのかもしれない。もしそうなのだとしたら、一体あいつは何を企んでいるのだろう。

 この廊下はそこまで長い距離ではない。そろそろロビーに辿り着くはずだ。

 音が聞こえてくる。

 ブブブブブブブブブブ。

 あの羽音がロビーのほうから聞こえてきた。止まるべきか。いや、走り抜けるほうがきっといい。止まったらダメだ。

 あの音も聞かないようにしよう。あいつの姿を見ないように目を閉じて走ろう。きっと出口の方向はわかるはずだ。

 廊下の先にあったロビーでは、先ほどの恐ろしい生き物と、倒れている猿たちがいた。どうしてロビーの電気は停電対策をちゃんとしていたのだろう。おれはあんなものを見たくなかった。もう何も考えたくない。

 ロビーも駆け抜け、基地の外に出た。

 そういえば、いつの間にかフジも自分の意思で走っていた。

 おれは立ち止まって、肩で息をするのが精一杯だった。今は冬だから肌寒いはずだが、もう温度を感じる余裕はない。

 しかし、おれに休む暇はなかった。

 地面が揺れて、おれは尻餅をついてしまう。

 そして、一瞬で空が白くなった。


 何かの声が聞こえてくる。どうやら、あの羽音ではないようだ。

 目は開かない。

 もう開けたくもない。

「空間転移装置で送り届けた栗による機械の破壊。それから、蜂による襲撃。そして、FUN型地雷と、USU型爆弾。流れは完璧。あとは、あいつらの宇宙に向けた敗北宣言。やっと終わるわけだ」

「おい、あのボケ猿たちはまだ起きないのか」

「はい! まだ意識がないと思われます」

「もう起こせ。さっさと終わらせるぞ」

 顔に痛みが走る。その痛みで目を開けてしまう。

 蟹がいた。

 どうやらおれたちは捕まってしまったようだ。フジも隣にいた。蟹が首謀者だったんだな。この襲撃は。

「起きたか?マヌケ面め」

 おれは蟹の大きなハサミで腹を殴られる。しかし、不思議と暴力を受けるのが正解だと思ってしまった。

「そっちも起こせ」蟹は続けて言う。「こいつらにマイクとカメラを用意しろ。今から全宇宙に猿星の敗北宣言だ」

 手下の蟹が何か機械の準備を始めた。

「余裕みたいだな、流石だよ。おれたちに喧嘩売る度胸だけはあるもんな」

 蟹はさらに話を続ける。

「だが、それも今日で終わりだ。これからおまえらは全宇宙にむけて敗北宣言をし、二千年前のことを謝罪してもらう。安心しろよ、敗北宣言の後に命まではいただかないさ。おまえらみたいに残酷な真似はしない。まあ、この宇宙にもう居場所はないと思うがな。その時は、たっぷり可愛がってやるさ」

 話を終えた蟹は大笑いしていた。

 おれは希望を持つことができなかった。このまま、捕虜となり終わるのだろう。

 そう思っていたから本当に驚いた。


 突然、やさしい声が身体に刻み込まれたのだ。一つ一つの音が身体に染み込むようだった。

「蟹たちよ、復讐はそこまでだ。きみたちの空間転移装置を拝借して、この場を用意させてもらった。きみたちとわたしは宇宙と宇宙の間にいる。わたしは平行宇宙からやってきた蟹だ。きみたちの未来を知っているものと思ってもらえばいいだろう。わたしは復讐が善とされないことをよく知っている。如何なる仇討ちも天は許さないのだ。よって、すぐに猿たちを解放させてもらう。しかし、きみたちが復讐をする気持ちもわかる。この猿たちは別な存在が支配している惑星に移送しよう」

 宇宙と宇宙の間がどんな景色なのかは何も覚えていない。いつからその場所に滞在していたのかもわからない。ただ、あの声だけは覚えている。

 今、おれは人間という存在が支配している惑星にいる。どうやら動物園という施設で飼育されているらしい。

 周りの猿たちが何を考えているのか、さっぱりわからない。意思疎通は不可能なようだ。あの星がどうなったのか、蟹たちがどうなったのか、フジは一体どこにいるのかもわからない。

 この世界は動物園の猿にとっては平和だ。

 ただ人間から餌をもらい、今日を生きている。

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さるかに星間戦争 松井みのり @mnr_matsui

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