いなりの日


 ~ 八月十七日(水) いなりの日 ~

 ※虎尾春氷こびしゅんぴょう

  きわめて危険なこと




 常在戦場。

 男は敷居を跨げば七人の敵あり。


 そんな心構えが足りていなかったのだと。

 反省しながら三十キロの米を担ぐ俺。


「保坂君。笑顔でお仕事しないとねぇ?」

「こんなん担いで笑えるかっ!」


 昨日の敵情偵察隊。

 隊長のカンナさんは、握りずしの看板を見るなり飛び出して開店前の行列に並び。

 『三十秒以内に来ねえと今後は給料を余ったドリンクでの現物支給』という無茶なメッセージを俺たちに飛ばしたわけなんだが。


 それを見た俺たちも。

 取るものもとりあえず現場に駆け出して。


 結果。


「困った子ねぇ。オープン初日から無銭飲食なんて……」

「今どき携帯決済できないお前の店が悪い」

「大慌てで開店したからねぇ。今日からは携帯払いもカード決済もOKよぉ」


 家はすぐそこだ。

 誰かが取りに帰ればそれで済む。


 でも、隊長は頭の上に豆電球を光らせると。


 まるでトカゲのしっぽ切り。

 俺を無償で出向させるからそれでお代を無しにしろと。


 めちゃくちゃなことを言い出した。


 ……いや。

 めちゃくちゃではないか。


 俺はまさに、埋伏の毒。

 内部工作をするよう命じられたと。

 つまりはそういう意味だろう。


「さてぇ。それじゃ保坂君」

「へいへい」

「お米、重かったでしょぉ? 休憩しなさい」

「…………は?」


 この、やたらと妖艶な店長さん。

 バイトに入るなり、俺につきっきりなんだけど。


 これでもう三度目の休憩だし。

 それと同時にこの質問だ。


「ねえ、あなたのお店ぇ。なんであんなに繁盛してるのぉ?」


 さすがにバレバレだぜ。

 ワンコ・バーガーの秘密を握って、一気に潰そうって作戦なんだろ?


 まったく、手の込んだこと考えやがるぜあのクソ親父め。


「キレイな女の子ばっかりだからじゃないですか? こっちのお店みたいに」

「あらぁ、やっぱり男の子ねぇ。いいわよぉ? それじゃ何人か呼んで来るからぁ」

「へ?」


 変なことを言い出した店長さんが休憩室を出ていくと。

 入れ替わりに入って来たのは、七人の女の子。


「ちょ……。そんな同時に休憩して大丈夫なのか?」

「やだ! 平気ですよ、保坂君!」

「そんな心配してないで、楽しくお話しよ?」

「ちかいちかい」


 なんという見え見えのハニートラップ。

 美人さんから可愛らしい子まで取り揃え。


 スタイルもモデル体型から幼女体型まで。

 全てのニードを網羅するという徹底ぶり。


 そんな女子一同は、くっ付かんばかりの距離感で俺を囲むと。


 ごくごく当たり障りのない世間話をし始めた。


「ねえ、ワンコ・バーガーの秘密教えて?」

「魔王城にはレベル上げてから入れ」


 手練手管も準備も無い。

 そんな徒手空拳で本丸に乗り込まれてもな。


 俺は呆れ顔を隠しもせず席を立って。

 せめて仕事っぽいことをしようと厨房に足を踏み入れようとすると。


 暖簾の手前にまで刺客がいやがった。


「あ! 保坂君だ!」

「ねえねえ、お話しよ?」

「やだあたしが先よ!」

「俺の首には一体いくらの賞金がかかってるの?」


 あのクソ親父め。

 勝負に勝つばかりか。

 あわよくばこの中の誰かと俺をくっつけようって作戦だな?


 あいにく俺には秋乃一人で間に合ってるんだ。

 いや、持て余していると言っても過言じゃねえ。


「暖簾の向こうじゃ、みんな真面目に仕事してるぜ?」

「えー? なにそれー?」

「いいから休憩室行こうよー」

「これ、俺が暖簾くぐると厨房の皆さんも態度変わるんだろ?」

「うん」

「そう言われてるから」

「白状しちゃうんかい!」


 呆れた話に頭を抱える俺に。

 店長さんが歩み寄る。


「やだ、バレちゃったのぉ?」

「バレないとでも思ってたのかよ」

「ううん? だってバレても構わないしぃ」

「なんでさ」

「それでもちやほやされたいって思うのが男の子でしょぉ?」

「………………うん」


 意図せず爆笑をさらった俺だったが。

 それにしてもほんと、皆さん可愛く笑いやがる。


 考えられ得るいろんなタイプのいい女。

 よくもここまで取りそろえたな。


「ひゃわわ!」


 がっしゃん!


「すいません! すいません! すいません!」

「…………そんなタイプまでいるんかい」


 ハーレムから暖簾一枚向こうの空気が重苦しい。

 だって、昨日から何度目だって。

 店から出ていけとまで罵倒されて泣きそうな顔してる女の子。


「おい店長。ドジっ子まで網羅かよ」

「あの子は例外よぉ。社員じゃないもん」


 なるほど、彼女は仕込みじゃないのか。

 そういうことなら安心だ。


 俺は掃除用具を持って厨房に入ると。

 手のひらを返したように手を差し伸べて来るバウンティーハンターどもにそれを渡して。


 ドジっ子メガネをお店の外に連れ出した。


「あ、あの……。クビにしないで下さい……」

「大丈夫、俺にそんな権限はねえ。ちょっと落ち着いたらまた頑張ろう」

「は、はい……」


 垢抜けない感じはするけど。

 俺より年上っぽいその子は壁にもたれかかる。


 そしてゆっくり深呼吸すると。


「あ、ありがとう……。落ち着きました……」

「うん。……でも、そんなにここでバイトしたいの?」

「はい。あたし、飲食店を開くのが夢なんです」

「なるほどね……」


 向いて無さそう、なんて軽口叩いちゃ失礼だよな。

 それにやりたい事があるなんて羨ましい。


 ……そう言えば。

 俺、まだ進路決まってないんだよな……。


「あ、あの……。ワンコ・バーガーさんでバイトなさっている方ですよね?」

「ん? 知ってるの?」

「はい……、何度か利用したことあるんですけど、凄いお店ですよね……」

「まあ、そうかな。あんたもお店開きたいんなら、こんな無茶苦茶な店じゃなくてあっちの経営を学んだ方がいい」

「へえ……」


 俺は、夢を持った彼女を元気づけようと。

 ワンコ・バーガーの美点をあげていく。


 近所のじじばばに愛されるわけ。

 週替わりで次々と顔を出す新メニュー。

 店員の休憩時は店の物を食べ放題。

 年中面白企画を打ち出す発想力。


「そして、味、だな」

「美味しいですよね! あのハンバーグ、どこで仕入れてるんですか?」

「店長こだわりの手作りさ」

「スパイスの配合は……」

「えっと、オレガノ、バジル、ナツメグは三種類だろ? あとは……」


 ん?


「……後は分からねえ。調合は、今度聞いとくよ」

「ありがとうございます。それと、店員のカンナさんにも憧れていてですね」

「はあ」

「昔、信用金庫の社員だって聞いたのですが、何があってハンバーガー屋に?」

「…………今度。聞いとく」

「あとあと、店長さんの弱みとか……」

「壮大な仕掛けだなおい!」


 化けの皮がはがれた瞬間。

 舌打ちするとかどんなだよこいつ。


「まったくどいつもこいつも……」

「ほさかくうん」

「今度は何だ」

「今日のお給金、はいどうぞぉ」


 給料?

 いや、俺はただ働きって話じゃなかったか?


「しかも手渡し? 助かるけど今どき茶封筒とか珍しなんでこんなに分厚いの!?」


 おいおいいくら入ってるんだよ!

 これ、毎日くれるってか!?


「さ、さすがにグラつく……」

「あ、店長。きゃつの店ではまかないが無料で食べ放題らしいです」

「ああ言うな! 良心の呵責が!」

「じゃあうちもそうしましょ? 保坂君、なに食べたい? ウニ? アワビ? 大トロ?」

「…………い」

「い?」

「伊勢海老の味噌汁くいてえ」

「まりもちゃん、すぐ作ってきてぇ?」

「は!」

「良心が……!」


 さっき届いた秋乃からのメッセージ。

 ワンコ・バーガーに客が戻るまで給料無しにされたと言っていた。


 エサも食わずに必死で逃げた。

 トカゲの本体は知る由もあるまい。


 まさか、尻尾が酒池肉林の接待を受けているとはな。


 ……でも。


「そうか。……ドジっ子なのはほんとだったのか」

「すいません! すいません! すいません!」


 俺は、休憩室で店長にしつこく質問攻めにあいながら。


 でかい朱塗りのお椀に山盛り一杯盛られた稲荷寿司を食い続けることになったのだった。


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