1-⑤ 

 どらやきは出来上がっていなかったので、また次の機会となった。

 帰宅した慶子さんは、聞いたばかりの仙寿に関するうんちくを両親に話しながら、帰りがけに和菓子屋さんに教えてもらった通り、丁寧にお茶をいれた。


 そして、家族三人で仙寿を食べた。


 桃の実を模した甘い外側と中身の餡とが、口の中でほろりと溶けた。仙寿は、どらやきを食べた時のおいしさとは、また違ったおいしさがあった。

 けれど、その違いをうまく言葉にできない慶子さんだった。だから、それは謎のままで、慶子さんは心の引き出しにしまった。


 慶子さんはよく、心の引き出しにこういった謎をしまっておく。


 物事を今直ぐこの瞬間に解決したい人もいるだろうが、慶子さんはそうではなかった。引き出しにしまって、そしてそれを時折取り出しては考える。

 慶子さんはそういう性質たちだったのだ。

 ちなみに、和菓子屋さんのお顔についても、その引き出しにしまっていた。


 三月のある日、いつもと違う道を歩いた慶子さんは、いつも通る道の和菓子屋さんと縁ができた。

 そこで、慶子さんは和菓子に魅せられた。

 小さな甘い菓子に込められた願いが、自分の想いと重なると知った。

 それを教えてくれたのは、背の高い和菓子屋さんだった。

 慶子さんは和菓子屋さんに対し、尊敬という想いがわき上がってくるのを感じた。

 その結果、慶子さんは「和菓子屋さん」を「和菓子さま」と、心の中で呼ぶようになったのだ。


 


 慶子さんはその後も、何回か和菓子屋さんに行った。

 和菓子さまは、いる時もあれば、いない時もあった。

 いないときは、和菓子さまの母上と思われる女性が接客してくれた。

 そして、和菓子さまがいるときは、慶子さんは和菓子についての知識を深めるのだった。


 若者のわりには落ち着いた声の和菓子さまは、その所作も落ち着いたものだった。

 きっと、立派な跡取りさんになるのだろうと、慶子さんは思った。

 と、思う反面。

 和菓子さまの、すっきり爽やかとは言い切れない顔のバランスについて、つい悩んでしまう慶子さんでもあった。

 一体、和菓子さまのお顔の何に、そんな印象を受けるのだろうか。


 慶子さんに、神のお告げのごとく閃く雷神が落ちたのは、ある日のことである。 家族そろって夕飯を食べ、テレビを見ながら食後のコーヒーを飲んでいた慶子さんは、ある俳優さんの目もとに、はっとした。

 そっか、そうだ。

 まさに、ガッテンと手を叩いてしまいそうになる慶子さん。

 ほくろ、だ。

 和菓子さまの左の目もとにも、小さなほくろがあったのだ。

 そのほくろが、和菓子さまの顔立ちから「すっきり爽やか」だけでは表現できない、何かを醸し出していたのだ。 そこまで分かったのはいいけれど、それがなんというものなのかが慶子さんには思いつかなかった。


 まぁ、いいや。


 一歩進んだ和菓子さまのお顔への認識を、それをそのままの形で再び慶子さんは心の引き出しにしまった。


 ちなみに、慶子さんは与り知らぬことだが、和菓子さまは「マダムキラー」として、ご近所では知る人ぞ知る存在だった。

 つまり、慶子さんにはまだ認識できない、和菓子さまのお顔の様子を一言で言うならば。


 ――色気。


 食い気で一杯の慶子さんには、まだまだ高いハードルである。


 


 まぁ、ともかく。

 こうして、少しずつ慶子さんにも「青春」らしきものが漂いはじめてきた三月が過ぎ。

 四月。 慶子さんは、めでたく高校三年生になった。


 教室で、新しいクラスでの自己紹介も終わり、授業選択や保護者への手紙などのプリント類が、どんどんと配られ始めた。

「全部受け取った人から、適宜、帰宅してね」

 担任の今井洋子いまいようこ先生の声がする中、慶子さんの机の上に、ぱらりと一枚の紙が載せられた。

「柏木さん、空欄にサインして」

 左隣の席の男の子にプリントと渡される。こりゃまた面倒だと思いつつ、慶子さんは筆箱からボールペンを出すと、その紙にサインをした。

「入部ありがとう」

「え? 入部?」

「うん。柏木さん、クラブどこも入ってないでしょ」

  彼は、確か鈴木学すずきまなぶ君といったはずだ。慶子さんがサインした紙を、鈴木君はひらりと取り上げた。

 クラブは、入れてくれるならどこでもいいから入ってみたいと、確かにそんな気持ちは少しはある。

 けれど、そんなことは自己紹介で言わなかったはずだ。


「わたしたち以前、同じクラスでしたか?」

 それだったら、どこかで慶子さんが部活をしていないという噂を聞いたのかもしれない。

「いや。クラスは今回初めて一緒」

 ふっと笑いながら、隣の席の鈴木君は慶子さんのことを眺めている。

「一期一会だよ、柏木 慶子さん」

 そう言うと、鈴木君は片手で前髪を上げた。


 すっきりとしたお顔の目もとに、ほくろが一つ。


「わっ、和菓子屋さん」

「正解。で、ようこそ剣道部に。初心者大歓迎だよ」

 和菓子さまこと鈴木学君は、慶子さんがサインしたプリントをカバンに入れると「詳しいことはまた後日」と、教室から出て言った。        


 


 残された慶子さんは、腰が抜けるほど驚いていた。

 けれど、クラスはざわめいたまま。

 慶子さんの様子に誰ひとりとして気がつかないようだった。



 柏木慶子さん、高校三年生の春。

 


 和菓子と剣道に、未知との遭遇。



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