青年期(3)

 ミサが印を組んで何かをつぶやき、それと同時に箱に貼られたお札が光り始める。キヨヒコは俯瞰図を展開し、神の動きを探った。

 瞼の裏に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線が浮かぶ。その一本を、ものすごい勢いで駆け抜ける光があった。

「あと五秒で来るよ」

 キヨヒコが言い、ツトムが印を組んだ。

 じりじりという何かが焦げる音と臭いがした後、箱がはじけ飛んだ。箱のあった場所から、巨大な柱のようなものが飛び出す。

「うんにょろかっかそわか!」

 ツトムの呪で、それは地面でのたうった。全貌が明らかになったが、作業場の天井に届くほどの巨大な蛇だ。

「よし、こっちだ」

 ツトムとキヨヒコは、蛇が魔法陣の方へ進まないよう、壁伝いに祭壇を目指す。

 怒り狂った様子の蛇は、二人の後を追いかけた。

「がらこっ」

 ツトムの指先から光が飛ぶ。それは蛇の眉間に命中した。蛇は乾いた音で吠える。

「がらこっがらこっ」

 ツトムの放つ微弱な弾は、うまい具合に蛇の怒りをあおっているようだ。

 すでに蛇は作業場の中ほどを超えている。順調に誘い込めているはずだった。

 ふと、蛇が動きを止めた。ツトムとキヨヒコは瞬時に警戒する。蛇の注意はこちらに引き付けているはずだった。現に、蛇は今もツトムとキヨヒコをにらみつけている。何かが起こったのだ。

 蛇の尾がぐるりと持ち上がる。そこはてらてらと光っており、ホースのような穴が開いていた。

「なんだ、ありゃ…」

 ツトムがつぶやく。

 穴の横に、何かが光っていた。一つではない。複数の光が一列に並んでいる。

 それらは眼光だった。

 蛇の尾に、ヤツメウナギのような顔が付いているのだ。穴だと思ったのは、どうやら口らしい。

「双頭の蛇だ」

 キヨヒコがつぶやく。

 尾の顔は、明らかに梨田兄妹とミサの姿を捉えていた。

「キヨヒコ、こっちの頭を頼む」

「分かった」

 ツトムはミサらの援護に走る。キヨヒコは不慣れな印を組み、「がらこ」を放った。

 蛇の頭が牙をむき、じりじりとこちらに寄って来る。

 しかし、尾の頭もまた、魔法陣に向かって進んでいた。ミサがお札を投げつけるが、効き目は弱いようだ。

 尾の頭が少し引き、汽笛のような鳴き声を上げた。

ツトムがミサの肩を抱いて「うんにょろかっかそわか」を放った。尾の頭は少したじろいだものの、魔法陣に突進した。

 梨田兄妹は悲鳴を上げるが、魔法陣によって守られた。しかし、今の一撃ですでに魔法陣は崩れ始めた。

「走って! もうそれはもたない!」

 ミサが叫ぶ。梨田兄妹は顔を見合わせ、予備の魔法陣に向かって駆け出した。

 尾の頭が二人を追おうとするが、それをツトムが「がらこ」で足止めする。頭は再び、耳障りな鳴き声を上げる。

 兄妹が魔法陣にたどり着き振り返ったのと、尾の頭が鞭のように体をしならせたのが同時だった。尾の頭は、確実に、ミサとツトムの身体を引き裂いていた。上半身と下半身が横一文字にちぎれとぶのが見える。兄妹は悲鳴を上げた。

 尾の頭がツトムとミサを始末し終えると同時に、蛇の頭がキヨヒコにとびかかった。

「うんにょろかっかそわか!」

 蛇がわずかに身をよじる。ツトムほどではないが、妨害としては機能しているようだ。

 そのままキヨヒコは走り始める。

「こっちだ!」

 蛇は怒りに任せて追ってくる。祭壇まであとわずかである。

 しかし、蛇の口はキヨヒコの右足を捉えていた。激痛が走る。咥えられたまま、身体が持ち上がる。

「うんにょろかっかそわか!」

 蛇の全身が麻痺したように震え、キヨヒコは解放された。印を結んだツトムがにやりと笑う。足は血まみれだが、動くには動く。

 ツトムの肩を借りながら、キヨヒコは祭壇にたどり着いた。蛇がそこへとびかかる。

 ツトムとキヨヒコが身をかわすと、蛇は祭壇の中に吸い込まれていった。

 蛇の入った部分は黒々とした穴として残り、ミサがそこへ大判のお札を貼り付けた。

 三人が息をついていると、トミ婆の毛布がもぞりと動いた。

「あとは頼むぜ、トミ婆」

 ツトムの言葉に応じるかのように、毛布から、しわくちゃの腕が伸びた。

 空書するように、指を動かす。

 辺りがしんと静まり返った。

「成功…か?」

 ツトムがつぶやくと、トミ婆の腕は毛布の下に引っ込んだ。

「そうみたいだね」

 キヨヒコはその場に座り込む。右足の太ももからは血がまだ流れているが、それほど深い傷ではなさそうだ。

「二人とも、もう大丈夫よ。出ておいで」

 ミサが梨田兄妹に声をかける。二人は、恐る恐る、といった様子で、機器の裏から出てきた。妹は兄にしがみついたままだ。

 キヨヒコは努めて優しく声をかける。

「ごめんね、想定外のことがあって、かなり怖い思いをさせてしまったね」

「でも、もう大丈夫よ。あれは祀りなおせたから。これで霊障も収まるはず」

 兄妹はこくこくとうなずくが、緊張は解けない。その様子を見て、ツトムが「ああ」と声を上げた。

「そうか、君たち、見ちゃったんだな」

 そう言うと、自分の腹部に手を当て、「スパーン」と切る真似をした。それを見て、ミサも「ああ、そうだね」とうなずく。

「大丈夫、私もツトムも、切れてないよ」

 ミサの言葉に、梨田妹が「本当に?」と涙目で聞いた。

 ミサとツトムは顔を見合わせ、苦笑いする。

「最初にも言ったけれど、私たちは以前、大きな闘いを経験したの。そのとき、トミ婆は代償として、あんな姿になった。そして、私とツトムは命を落とした」

 梨田兄妹は唖然として二人を見つめている。

「俺たちも幽霊ってことだ」

 ツトムが明るい調子で言う。

「でも、成仏するのをまだトミ婆が許してくれないわけだ。こうして夜な夜な呼び出されては、除霊に付き合わされてる。そもそも俺が幽霊だっていうのに」

 ミサも「そうそう」と言いながら、キヨヒコに肩を貸して立たせる。

「さて、もう片付けないとね。霊気も弱めるから、君たちにはもう私とツトムが見えなくなるよ。それで、一つお願い」

 ミサは指を一本立てる。

「キヨヒコに肩を貸してあげて。事務所に放っておけばいいから」

 

 工場の前で梨田兄の肩を借りながら、キヨヒコはツトムらと対面した。霊気は弱まっている。梨田兄妹には、もうツトムとミサの姿はうっすらとしか見えていないはずだ。

「じゃあ、また除霊のときに」

 ツトムがあっさりと言う。

「早くけが直しなさいよ」

 ミサもそう言って手を振る。

 トミ婆は毛布の下でもぞもぞと動いた。

 トミ婆の車いすが、甲高い音を立てて転回する。ツトムとミサも踵を返した。

 きいきいという車いすの音と共に、三人の姿は工場内へ消えた。

「では、僕らも帰ろうか。手間をかけてすまないね」

 キヨヒコと梨田兄妹も、工場を背にして歩き始める。

 キヨヒコは一度だけ工場を振り返った。

 工場は無言でたたずんでいる。ひとけはない。

そこには静かな闇だけがあった。

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駄菓子屋除霊組 葉島航 @hajima

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