地下書庫

 三淵くんに洗い物を任せた私は、一階の奥の部屋からさらに隣の書庫に入り、地下への入り口の封印を解いた。

 階段を下ると、その向こうがプノイマ式の照明で明るくなる。

 端から順に探し始め、中央の本棚で手が止まった。

「お待たせ」

 折りよく三淵くんが降りてくる。

「あったよ、ここ」

 中央の本棚に置かれた封筒を手に取り、三淵くんに渡す。表に「蝉の雨 黒田谷堂」と記されているのが見える。三淵くんが封筒を傾けると、分厚い原稿用紙の束が滑り出てきた。原稿用紙は封印紋の書かれた細い紙の輪で括られている。

「あったのはいいけど、それどうするの」

「念のため、怪異の種類を確認しよう。谷堂の魂が憑いてるのでまず間違いないけど、時間経過で変質することもあるからね」

 三淵くんはジャケットの内ポケットに手を入れ単眼鏡を取り出すと、左目に当てる。なにやらつまみを操作しながら数秒間原稿用紙を見て頭を縦に振った。

「間違いないね。人の魂が憑いてる」

「確定かあ」

 私はため息をついた。わかっていたとはいえ、重い荷物を背負わされたような気分になる。

「これ、しばらく市役所で預かるよ。尾形って人、また来るだろうし、もしかすると受取人が現れた時に発動する呪の類がかかってるかもしれない」

「ごめん、そうしてもらえる?」

 半分安心、もう半分は情けなさで二度目のため息をつきながら私は答える。

「アキちゃんが気に病む必要はないよ」

 三淵くんは原稿を封筒に戻そうとした。ところが、一旦封筒に入った原稿が、すぐに飛び出してきた。私たちは素早く目を合わせる。

「何、今の?」

「……まずいな」

 三淵くんは原稿を抱えこんだ。

「アキちゃん、僕はここにいる。君は入り口をもう一度封印して、その後で市役所に応援を頼んでほしい」

「ど、どうして? それ、ここに置いて一緒に出ようよ」

 三淵くんは黙って首を振った。

「ダメだ。もう何かの呪が発動してる可能性がある。僕が手を離したらどうなるかわからない」

「そんな!」

「大丈夫、僕は怪異の扱いには慣れてるよ。なんといっても妖怪係だからね」

 三淵くんはにっこり微笑んで、それからすぐに真剣な表情に戻った。

「アキちゃん、早く行って」

「――わかった。応援が来るまでがんばって」

 私は振り向き、階段を駆け上がろうとしてそのままの姿勢で凍りついた。

 上からこちらを見下ろす人影があった。


「勝手に上がりこんですみません」

 黒い人影が小さな声で言った。

「――尾形さんですね。どうやって入ったんです」

 私は後ずさりしながら聞いた。

「申し訳ない、店の入口のガラスを破りました。もちろん弁償します」

 話しながら尾形氏は階段に足をかけた。

「来ないで!」

 私は叫ぶ。だが尾形氏は首を振った。

「私はそこにある黒田谷堂の原稿を読まなければならない」

「呪だ」

 後ろで三淵くんがつぶやいた。

「原稿の中の谷堂が尾形さんの感情を増幅させて操ってるんだ」

「操られているかどうかなんて、どうでもいいことです」

 尾形氏は悲しそうな目つきになり、同時に口だけで薄く笑った。

「どのみち私は同じことをしたでしょう。祖父は偉大だった。その作品は恐ろしいまでに美しい。どんな手を使っても、私はその最後の世界を見てみたい!」

 尾形氏の言葉が終わるのと同時に、私の後ろでぴしっと小さな音がした。同時に三淵くんのあっ、という声が響く。

「しまった! 封印が破れた」

 三淵くんの手から次々に、原稿がまるで生きているように飛び立っていく。

「ダメだ」

 三淵くんの瞳が輝いた。体内のプノイマを放出して、谷堂の呪を抑えようとしているのだ。

「三淵くん!」

 近づこうとする私の腕を尾形氏がつかんだ。

「ちょっと、離してよ」

「やめなさい。近寄ると危ない」

 その瞬間三淵くんの手に残った原稿が破裂するように飛散した。真後ろの本棚に体を叩きつけられ、三淵くんの口からうめき声が漏れた。

 三淵くんの手を離れた原稿が飛び回り、空中に円を描く。次第にその円の中から光が差し始めた。

「見えたぞ。――この先が谷堂の最後の作品の世界だ」

 円に向かって尾形氏が歩き始める。

「行くな。戻れなくなるぞ」

 本棚にもたれたまま、苦しそうな声で三淵くんが言う。

「戻れなくてもいい」

 振り向きもせずに尾形氏が返す。同時につかんだままだった私の腕を離した。

 駆け寄ろうとする私に、しかし三淵くんの目は来るなと言った。尾形氏を止めろと。

 私は尾形氏の背中に飛びついた。

「行くな! 行くなっての」

「邪魔をしないでくれ」

 強引に前へ進みながら、尾形氏は私を振り払おうとする。けれど私は尾形氏の胴に腕を回してがっちり組んだ。

「離せ!」

「離すか!」

 尾形氏はこっちを振り返ろうとした。引きずられる形になって私の足はふらつく。思わず尾形氏に寄りかかってしまい、ところがその尾形氏も頼りなくよろめいた。

「うわっ」

 二人の口から同じ言葉が出て、もつれ合ったまま倒れこむ。その先には谷堂の世界へ繋がる穴が空いていた。三淵くんの見開かれた瞳が目に映り、その後視界は暗転した。

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