インテルメディオ エピソード6

 それは、白昼堂々と行われた。


「環奈……」

 源登は自身の双子の姉の名を力なく呼ぶ。

「大丈夫、源登。気をしっかりして」

 源登にとって勝気な双子の片割れは勇気の象徴だった。

 温もりを与える光であり、力が増す増幅器であり、元気の源であり、苦難を受け止める友であり、一歩踏み出すための足であり、心の安念そのものだった。

 そんな環奈でも、疲労の色を隠しきれなくなっている。

 訳の分からない状況に、精神が闇に蝕まれようとしている。


「どうした、元気がないな、俺のかわいい親戚の双子たち」

 知らない人だ。

 だけど、身近な存在のように振る舞い、嫌がる双子を、遊びに来ていたスーパーから連れ出そうとしている。


 自称、大観鋼始郎として。


「だから、誰よ、あんた。知らないって言っているでしょ」

「そんなあまり会いに行けなかったからって、お兄ちゃんのこと忘れてしまうなんて、悲しいことを言わないでくれよ」

 気持ち悪い。

 ねっとりとした声色に、源登は心が捕まれ、泥のようなものが塗りこまれるような不快感を覚える。


「引っ張らないでよ。環奈、あんたみたいな知らない人についていきたくないの!」

 不快は環奈も感じているはずなのに、気丈にも抵抗する。

 知らない人はそんな環奈を見てニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべては、大人の腕力に物を言わせて、双子たちを無理やり引っ張る。


「なんで、なんでなんだよ……なんで、誰も助けてくれないんだ……」

 源登は涙をこぼしつつも、異様なこの雰囲気に疑問を持っていた。

 双子の目には、叫びには、さらわれようとしているのだ。


 立派な現行犯なのだ。


 なのに、周りの人間たちは、聞き分けのない双子としか見られていない。

 いくら訴えても、防犯ブザーを鳴らしても、やんちゃないたずらと解釈されてしまっている。


 異常だった。


 この異常な事態に心が折れそうになる。


「おや、源登君と……姉の環奈さんですか。こんにちは」

 そんな中、声をかけてきたのは、源登の担任の先生だった。

 男女とはいえ、双子なので同じクラスになることはないので、環奈の方はよく覚えていたと思う。学年先生同士のコミュニティーで、名や情報が上げられることがあるかもしれないが、顔までとなると担当外はあやふやになりやすい。


「助けて、先生!」

 源登はストレートに助けを求める。


 なりふり構っている暇はなかった。


 双子のシンパシーなのか、このままこの知らない人に掴まれたままだと、環奈の精神が危ないと思った。


「源登君……そうですか」

 先生は知らない人に面と向かった。


「ところで、あなたは誰ですか。全く面識がないのですが」

「あ、大観鋼始郎といいます。源登の担任の先生ですか。いつも親戚の子どもがお世話になっています」

 知らない人は飄々とウソを述べる。


「違う、こんな人、知らない。くろのみ町の家のばぁちゃんと一緒にいたのは若いお兄ちゃんだった。こんなおっさんじゃない!」

 制服を着ていなかったのもあって、源登では、鋼始郎が中学生とまで断定しきれていないが、少なくてもお兄ちゃんと言い切るぐらい、線は細かった。


「そうですか。そうですよね……お兄ちゃんですものね」

 先生はどこか納得したようで、知らない人を睨みだす。


「小学生から見てお兄ちゃんなら、十代か歳をとっていても二十代前半。わたしと同い年かそれ以上の年齢の人間にお兄ちゃんという言葉は、使うわけありませんね」


 パリンッ。


 ガラスが割れるような音がする。


「くッ……だが、俺は源登たちのお父さんに頼まれて!」

 知らない人は言い訳をしだす。

 だが、先生はやれやれと聞き分けのない人間を相手にしなければならないようだと、面倒くさいと疲れたような顔をしつつも、その眼光はより鋭利に輝かせる。


「仮にお父さんに頼まれたなら、なんでそんな泥だらけでヨレヨレの格好でスーパーにくるのですか。床が汚れていますよ」


 また、パリンとガラスが割れるような音がする。


「それにいくら親戚とはいえ、顔立ちが違いすぎますよ。むしろ、赤の他人と言ったほうがしっくりきますよ」


 パリンッ、パリンッ。


 立て続けに、ガラスが割れる音が、スーパーに鳴り響く。


 そして、あれだけ強く掴まれていた手が緩んでいる。


「逃げて、源登!」

 環奈の声。

 源登は環奈の言われるままに、知らない人の手を振り解き、とりあえず、信用できる大人、先生のもとに駆けだす。


「井之上先生! 助けて、知らない人が、ぼくと環奈をどこかに連れて行こうとしているんだ! 誘拐しようとしているんだ!」

 小さい体にどこからこれだけの声音を出す力があったのか不思議であったが、源登は力いっぱい、自分たちの窮地を伝えるために叫んだ。


 同時にガラスが粉々に砕ける音が、スーパーに鳴り響いた。


「くそ、このままじゃマズい。完全に解かれるっ」

 知らない人は、源登は逃してしまったが、せめて環奈だけは連れて行くと言わんばかりに、環奈を無理やり抱きかかえると、すごい勢いで走る。


「環奈ぁあああ!」

「源登、源登、まかせたから、助けて、ね」

 その速さは同じ人間のモノなのかと思うぐらい、速かった。

 追いつけない。

 誰もが諦めてしまう、諦めざるを得ない人知を超えたスピードだった。


「あ、待ちなさい。この変質者!」

 井之上のこの言葉で、様子見していた人々が一斉に動き出す。

 ある者はスマホで警察に連絡、ある者は店員を捕まえて事情説明。


 人々はやっと、変質者が女子児童をさらったと認識したようだ。


「うわぁああっ、環奈、環奈、環奈!」

 源登は安堵と後ろめたさがごっちゃになって、感情が爆発したようだ。

 落ち着くまでは泣き止まないだろう。


「源登君……」

「先生、先生ぇ、環奈も助けて!」

 それでも源登はどこか冷静だった。


「ぼく、ぼくたち、あの知らない人の変な力で……周りの人も変なことになっていた。でも、先生が、話していたら、知らない人の力、弱まっていた。だから、先生なら、環奈も助けられる、よね……」


 甘っちょろい希望もあった。


 だが、井之上は源登の幼いながらも、はっきりと頼れるべき人間を見極めていた。


「……約束は出来ませんが、私の出来ることはやるつもりです。しかし、今すぐとは行きませんね。少なくても源登君は安全な場所いないと」

「うん、わかっている」

 子どもゆえの直感か。

 それとも、理不尽な力によって精神を蝕められていた経験をしたばかりだからか、源登は井之上の言葉を、信じるに値すると理解した。


 だからか、源登の両親が、事件と聞きつけ警察官が来るまで、源登は自分が知らない人にまたさらわれないためにも、ずっと井之上から離れなかった。


「源登君、君は私が思っているより、学習能力が高い子なのですね」

 井之上もまた、その源登の意図を読み込み、源登の好きなようにさせる。

「?」

 井上の難しい言葉はわからないようだが、自身のことは、なんとなくわかっているようだ。

 少しだけ、笑顔が戻っている。

 先生に褒められれば、うれしくなるものなのだ。


「……ふ」

 井之上が源登の頭を撫でたのはほどんど無意識だった。

 手持ち無沙汰だったのもあるが……賢い子を褒めるのはまんざらでもない。


「任せてください、源登君。先生があのイカれた愚者をちゃんと滅しますから」

 先生がまた難しいことを言ったと、源登はキョトンする。

 でも、先生が言うなら、正しいことだと思う。


「うん。先生、たのんだよ」

 よくわからないけど、環奈をあんなに怖い目に合わせた、知らない人を擁護する必要性なんてないから、と、子どもながらに源登は確信していた。

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