Track.11 慰霊碑

「鋼ちゃん、鋼ちゃん。手桶を置いてこっちおいで」


 祖母が俺を呼ぶ声がする。


 墓周りの掃き掃除を終え、花を供えているところだった。

 朝露がまだ残っている庭に咲いていた花の名は、ホタルボクロ。別名釣り鐘草。

 釣鐘形のふっくらとした花が垂れ下がっている、見栄えのいい草本。

 美しいので山野草として栽培されることも多いからな。ただの雑草じゃないと言い張る。


 それに、祖父はこういう素朴な花が好きだったようだ。他にはタンポポやコスモス。彼岸花も好んだそうだが、墓に供える花としては避けたほうがいいので、持ってきたことはない。

 あいにく俺は物心つく前に祖父を亡くしているので、すべて祖母の受け売りだけど。


 祖母の家にあるアルバムに映る祖父は少しハンサムで、控えめの笑顔が印象的な男性であった。


「じぃさんに挨拶しよう」

「そうだね、ばぁちゃん」

 線香に火をつける。

 風に乗って白い線を描き、安らかな気持ちにさせるいい匂いを発する。

 静かな気持ちで手を合わせる。

 別世界の俺でスマナイと思うところもあるが、祖母と似たり寄ったりの感性なら、受け入れてもらえるかもしれない。


 非日常の中でも、狂気に蝕まれないように、日常に沿うように行動している、俺を。


 世界にたった一人だけ、違う世界に放り込まれてしまった今。


 深く考えるだけ、不安に飲まれそうになる。


 戻れると思っているのは、弱い俺の心はそういう希望を持たないと、怪異に立ち向かえる気がしないからだ。

 俺が俺の第六感を信じている根本は、そこにある。


 手を合わせてどのくらい時間がたっただろうか。

 ほんの数分だろうけど、自分を見つめなおすには十分な時間だと思う。


「ありがとう、じぃちゃん」

 勇気をもらった気がする。


 晴れ晴れとした気分で、借りた手桶は柄杓を洗って元の場所に戻した時、商一がスマホ片手にやってきた。


「鋼始郎、照乃ばぁちゃん、黄魁川で起きた死亡事故は多分コレだよ」

 花が多く並んでいたところから、今日から三日前後に絞って調べたらしい。


「今から六年前。ボクたちが小学三年生の時かな。くろのみ小学校に赴任してきた養護教諭が亡くなっている」

 嫌な予感しかしなかった。


辻岡つじおか素子もとこって人だけど……あ、鋼始郎、やっぱり知り合いか」

「小学生時代大変にお世話になった、保健室の先生だよ!」

 俺は修学旅行に行ったメンバーが亡くなっていたことにショックを受ける。


「なんだよ、この世界。俺の顔見知りがことごとく死ぬ世界線なのかよ」

 さすがに三人目となると、偶然には思えない。

「それとも、俺がくろのみ町に住まなかったからか。しかし、それはそれでなんか嫌だな」

「ボクも嫌だ。ボクにとっては鋼始郎は幼馴染で大親友。この二つの属性を併せ持つ、最強の友情を否定されているようで、なんかヤダ」

 感情を丸出しにする、商一。


 怒りからか、ガキ臭くなっているが、言いたいことは分かる。


「そうだな。ペリドット鋼始郎は商一の幼馴染かつ大親友。それを変えちゃいけない」

 そう、ペリドット世界はそういう世界線なのだ。


「土台が違うから、一様に何が正しいなんて、言い切れるわけがないよ。考えさせられるけど、考えさせられるだけ。少なくても、商一は罪悪を感じなくていい」

 幸せな思い出を否定しないでくれ。


 違う世界の商一でも、辛い顔を見るのは、心が痛む。


「あと、俺のところは、くろのみ中学校が存在していないし。勧夕稚羽雄といった、くろのみ町の有力者の問題児が生まれてきていない」


 分岐点があるとしたら、ここからだと思う。


「俺がくろのみ町に住んでも、流れが変わらない気がするよ」

 むしろ、俺という犠牲者が増えたかもって思うぐらいだ。


「うちの世界線と違って、混音市の一部にならずに、くろのみ町のままだったから今回の水害でダメージを受けた。ただそれだけだよ」

 混音市に吸収合併したからこそ、いろんなものが大幅に見直されたのだ。


「そうか。よくよく考えたら、トパーズではそんな大きな流れがあったな」

 俺一個人じゃ流れを変えるなんて無謀だから。

「そういうこと」

 むしろ、くろのみ町のままでも、水害の被害を回避出来たのなら、その方法を知りたいぐらいだよ。


「じぃちゃんへの挨拶も済んだし、慰霊碑の方に行こうよ。いいだろ、ばぁちゃん」

「そうだね。しかし、そういう慰霊碑があったかね?」

「少なくても、トパーズにはあったよ」

 果たしてペリドット世界にもあるのか。


 俺はとりあえず歩く。


 ついていくのは、商一と祖母。




 そして……。

「う~ん……ここから先、獣道になっているなぁ……」


 まさか、公営墓地の敷地面積が違っていたなんて。


 慰霊碑があると思われる場所が公営墓地外になっていたよ。


「進もう、鋼始郎」

 もしもの時は集会所に侵入する気もあった商一はもともと長ズボンをはいている。

 さらに、リュックの中から虫よけスプレーと長手袋、足カバーを取り出してきた。

 用意周到だった。


「……ああ」

 俺は商一の気迫に圧倒されるしかなかった。


「すごいねぇ」

 祖母はさっさと装備するし。これで慰霊碑がなかったなんてことになったら、どうしようとも思った。


 しかし、天は我を見捨てていなかった。


 慰霊碑はあったのだ。


 ただし、雑草が慰霊碑全体を覆い隠すように生い茂っていたので、文字が見えるようになるまで、三人で黙々と草取りをする羽目になった。


「よし、これで、読める」

 正直、手入れされていない慰霊碑の周りをさっぱりさせるのは、墓掃除よりも長く辛い戦いであった。


 茫々と無秩序に生える草は強敵だったよ。


 虫除けスプレーでガードしたはずなんだけど、蚊に吸われて腕をボリボリかくのは、様式美。ちょっとした隙間や布地の薄い部分をチクリとしやがったよ。


 雌の蚊は大胆で、積極的で、凶悪だった。


 夏場じゃ仕方がないけど、かゆい。


「建てられたのは、昭和二十……一桁のところ、破損がひどく読めねぇ」

 とりあえず、昭和二十年代というのは確定した。

「昭和二十年といえば、第二次世界大戦が終わった年だな。戦争犠牲者の慰霊碑なのか?」


 そういう割には扱いが雑すぎる気もするが。


 ペリドット世界では、という注意書きがつくけどな。

 うちの方は公営墓地内だから、手入れされているもん。


「広義的に見れば、そうなるかもしれないねぇ。でも、これは……くろのみ町に疎開してきた子どもたち、それも空襲で親族を失い、戦争孤児になった子たちを慰めるものだね」

 親を失った子どもたちが生きていくのは難しい時代。


 くろのみ町がどんな対応をしたのか、慰霊碑が作られているところからすると、不幸な出来事が起きたのは間違いないだろう。


「殺されたのか?」

 死んだということは確定事項。

 なら、どのような死にざまだったのかが、問題か。


「その慰霊碑に刻まれた文章からすると、町のもんにこき使われ、ある日みな、毒を飲んで死んだとされているね」


 毒物はこき使った先の家に自決用に軍が支給していたもの。全員が盗み出し、同時に服毒自殺。集団自殺として、処理されたという旨が書かれていると、祖母は俺たちに伝えた。


 この慰霊碑、旧漢字とカタカナだらけで、俺じゃ解読するの難しいよ。


 正直、祖母が居なかったら、半分も理解できなかったと思う。


「服毒による集団自殺……悲しい話だな」

「ブラック労働で心身ともに、イカれた末のノイローゼ自殺だものな」


 慰霊碑が建てられた理由としては納得できる。ただし、維持や管理に努めてほしい。

「日付は……八月……ひびだらけで日にちが読めない」


 とりあえず、今月かよ。


 偶然ではすまされないようだな。


「じゃ、このままの勢いで、集会所に行くこうか」

 商一の中では決定事項なのだな。

 私有地への不法侵入になるとわかっているけど、見つかったら、わかりませんでしたと押し通す気満々だな、こりゃ。


 そりゃ、他人の敷地だとは認識せずに立ち入ってしまったと言いくるめれば、イケそうな気はするよ。この慰霊碑を盾にすりゃ、より説得力が増すしよね。


 題して、夏休みの郷土研究のため、慰霊碑に刻まれた被害者が仮住まいしていたという場所に行ってみた、作戦。


 かつては青年団の集会所としても使われていたという話も聞いていたので、公地と勘違いしていた、申し訳ない。反省している。

 ……そう言って未成年と老婆の三人組が、頭を下げれば、許してもらえそうだよ。


 上手くいけば、そのまま集会所の中を気が済むまで探索させてもらえそうだ。


「その前に、どっかその辺の喫茶店に寄って、腹ごしらえしよう、商一」

 蚊に刺された場所に薬も塗りたい。

 俺は休憩時間を設けるように商一に訴えた。

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