第8話 お嬢様

「どうもご執心のようだよ。うちの頼りない息子を鍛え上げてくれないかってね」

 モリヤさんのお誘いを断ってしばらくしてからのこと、モチェニーゴさんは茶飲み話として、モリヤさんの父上のことを話す。

 ダンドン・アンドレアさんは私を気に入って息子の嫁に欲しいということだった。

 せっかくのモチェニーゴさんの手土産の味がしなくなる。

 私の顔色をうかがっていたモチェニーゴさんが笑顔を見せた。

「乗り気ではないようだね」

「正直に言えばそうですね」

「家柄の問題かい? オルシーニ家の出身としては商家は不満かな?」

「家名に関しては、叔父との関係もありますし、それほど強く名乗れる立場ではないのでそれほど気にしていません。ただ、まあ、苦労しそうかなって」

「確かに少し頼りないところはあるようだ。ダンドンもそれは認めているな。そうか。では私の方からダンドンには断っておくよ。なに、あいつとは昔から付き合いがあるのでね。うまくやっておくさ」

「よろしくお願いいたします」

 ほっとしたのも束の間、次の矢が飛んでくる。

「先日、酔っぱらいにからまれたことがあったね。あれは誰かに唆されたということだよ。身持ちの軽い若い女が通るってね。証拠はないが商売敵の嫌がらせだろう」

 それ以上は言わないが仕事で危険な目にあうのが気に入らないようだ。

「それで、少し立ち入った質問になるがいいだろうか?」

「もちろんですわ」

「恋愛に興味が無いということではないんだね?」

「そうですね。私の仕事に理解があって、私の生き方を尊重してくれる方であれば惹かれることもあるかもしれません」

 モチェニーゴさんとしては、私が誰かの令室になってくれると気が休まるということなのだろう。そうとはっきり言わないのは私の意志を尊重してくれているのかな?

 他人の色恋沙汰に中途半端に首を突っ込んでいるので、恋愛はお腹いっぱいなのよねえ。今は仕事とお店のことの方が面白くて、お付き合いなんて煩わしいし。

 一方で、私のように可愛くない女に興味を持つ男性も少ないだろう。

 まあ、モチェニーゴさんのように控えめでありながら、いざという時に助けの手をそっと差し伸べる振る舞いができる人がいれば考えなくもないかな。でも、これは年齢と経験のなせる業であって同年配には難しそうだ。

 モチェニーゴさんがもうちょっと年が近ければねえ。

 おっと。そんなことより仕事、仕事。

 モチェニーゴさんが帰った後に来たお客さんはきちっとした感じの女性だった。

「お仕事をお願いしたいのですが?」

「代読ですか? 代書ですか?」

「いえ、お願いしたいのは私ではなく、私がお仕えしているお嬢様なのです。お屋敷の方にお出でいただくことはできますか?」

「今日はこのあとお約束があるので難しいですね。それにあまり出張というのはしていないのですけども」

「相場の三倍は払います。結果がでたら、さらに成功報酬もお支払いします」

 私は食い下がってくる女性を見る。依頼の内容が想像できた。

 格上の家の想い人相手に知性と教養溢れる手紙を書く手伝いをして欲しいというのだろう。有名な詩の一節を引用したり、警句の一部をちりばめたりする。技巧的すぎるので個人的には好きではないが、様式美の一つと言えた。

 相手の家柄を考えると一度は直接話をうかがわないわけにはいかないだろう。

 明日の訪問を約束した。

 

 筆記用具などを収めた鞄を持ったマルコを連れて、ダンダロス家の屋敷に向かう。これぐらいの荷物なら私でも運べるのだが、私を偉く見せる演出の一環でもあった。こけおどしにしかならないと思うけれど、こんなことに感銘を受ける人間もいる。

 ダンダロス家の屋敷は町の中心部に近いものの閑静な一角にあった。区画全部が占めている大きな敷地は、高い塀に囲まれている。

 わざわざ店まで差し向けられた馬車は通用口ではなく、正面の門から中に入っていった。

 これは私の仕事の評判に対するものなのか、はたまたオルシーニの名に対するものなのか?

 そんな疑問の答えが出る前に車寄せについた馬車の扉が開いた。玄関には昨日店を訪れた女性が待っている。

 豪華な内装にマルコは目を見張っていたが、それでも従者の役割はきちんと果たしていた。私はそれほど気圧されることも無く案内されていく。

 案内された部屋ではブロンドの可憐な少女が待っていた。

 荷物を置くとマルコと案内の女性は控えの間に下がる。

 部屋の感じからするとお嬢様が家庭教師から学ぶための部屋なのだろう。それなりの広さの書き物机の前には、小テーブルと安楽椅子が二脚用意されていた。

 少女は安楽椅子を指し示す。

 仕事の前に少し話をしようというのか。

「お出でいただきありがとうございます。ルクレティアです」

「アンジェリーナです。お招きいただきありがとうございます」

 自己紹介が済むとルクレティアは小さなベルを鳴らした。

 お茶とお菓子が運ばれてくる。

 勧められるままに手をつけた。さすがはいい味だ。

 他愛ない世間話から先日の裁判の話に話題が移った。

「女性なのに自分の力で勝訴するなんて凄いです。憧れますわ」

「いえ。そもそも争訟にならなければすむことです。お恥ずかしい限りです」

「いいえ。争いごとは向こうからやってくるので仕方ないですわ。それで、見事な手腕からもっと険しい顔をしている方かと想像していたのですけれど、実際お会いすればそんなことは無くて。これで安心してお願いできます」

 やっと、仕事の話になったか。まあ、本題に入るまでの話に付き合うのも代金に含まれているのでいいのだけれど。

「先生には、語学と法律の授業をお願いしたいのです」

 え? 想像していたものと違う依頼内容に虚を突かれた。もちろん顔色には出さない。

「私は一介の代筆屋ですが」

「謙遜なさらなくても結構です。この町に先生以上の方はいらっしゃいません。私は兄の役に立ちたいのです。今まではそれだけの知識と教養を持たれた女性の方が居なかったので同意が得られませんでしたけど、やっと見つかって本当に嬉しいです」

 ルクレティアの目が輝いていた。

 ということは、私がお兄様の代筆をしたり相談に乗るというのでは意味がないということか。

 思考を巡らせているとルクレティアの表情が曇った。

「お引き受けいただけないでしょうか?」

 ええと、どうしたものか? セルバ市で一番の有力家のお嬢さんの依頼を無下にするのはまずい。

 そこへ大きな声が聞こえてくる。

「ルクレティア!」

 扉が大きく開け放たれて入って来たのは、眉目秀麗な若い男だった。

「お兄様。お戻りになったのね?」

 立ち上がったルクレティアが若い男性の腕に飛び込む。抱擁を解いた男は私を見て表情を険しくした。

「お前はなんだ?」

「あの。アンドレアお兄様。先生は私がお呼びしたのです。前にお願いしたら、女性の先生ならいいというお話だったでしょう? お兄様。お願い」

 うわあ。まだ許可取ってなかったの? これは最悪屋敷から叩き出されるんじゃない?

 心配する私の前でルクレティアはかき口説く。

 アンドレア・ダンダロスは無表情のままだった。

「どこの馬の骨か分からぬ女は信用できん」

「オルシーニ家の方ですわ」

「わざわざ師事するほどの能力があるとも思えん」

「お一人で裁判で勝たれています。それにお店は親切丁寧と評判ですのよ」

 埒が明かないと思ったのかアンドレアはギリア語、ニーア語、メルカント語と次々と切り替えながら私に質問を浴びせかけてきた。

 日常会話から、少し専門的な内容まで。それに一つ一つ回答をする。

 だんだんとアンドレアの表情が変わってきた。表情が落ち着いたところでルクレティアが最後の駄目押しをする。

「お兄様。一生のお願い」

 これで落ちた。お兄様ちょろい。絶対、初めての一生のお願いじゃないだろう。

「うむ。確かに言葉は巧みなようだ。語学の家庭教師としては認めよう。ただし、法律に関しては実務能力を見なくては判断できん。日を改めていくつか仕事を依頼する。その内容に満足したら認めようではないか」

「お兄様。ありがとう」

 妹の感謝の言葉に笑み崩れそうになる顔を引き締めるとアンドレアは部屋を出て行った。

 今さらお引き受けできませんは言えないわよねえ。

「先生よろしくお願いいたします」

 両手を握り合わせて喜ぶルクレティアを前にして、何か人生の輪が変な方向へ転がり始めたのを感じていた。


 ***


 とりあえず、ここまでです。

 

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