禁煙地区

杜侍音

禁煙地区


「ふぅ……なんとか契約に持ち込めたか」


 俺は東京に本部を構える会社に勤めている。歳は今年で41。

 一応営業部長ではあるが、大層な肩書きだとは俺は思っていない。計画を立てては命令してるだけではなく、自身も現場に出てはこうして自社の商品を売りつけに行く。


「さすがです部長! こんな散布機械を契約に持ち込めるなんて、やっぱり伝説の人の口捌きは違うなぁ!」

「やめろ」


 伝説の人だとか、勝手に俺を殺して神格化するんじゃない。ただ家族のために稼いでたらこうなっただけだ。

 あと、自社製品をこんなとか思っても言うなよ。どうあれしばらくはこれの売上で生活していくんだから。

 と、まぁ、こうしたゴマする後輩の育成として、足で契約を取りに行けと見せつけるために俺は動いている。

 それにわざわざ出向く理由はこれだけじゃない。

 俺はポケットから取り出した煙草を口に咥え、ライターで火を付けた。


「……うめぇな、仕事終わりの一服ってのは」


 そう、これだ。

 一仕事終えた際に吸う煙草だ。

 もしかしたら、生きる上で唯一の楽しみかもしれない。


 初めて吸ったのは18の時。今も昔も法に反していることくらい分かっているが、当時はまだ規制が緩かったし、叱る側の大人が守っていない時代だったから仕方ない。

 大学の先輩に誘われてってので吸ったのが最初。まぁ、一番ある理由だな。

 煙草を吸う奴はカッコいい、大人。そういう憧れもあってか、ヘビースモーカーとなるまでに時間はそうかからなかった。


「どうだお前も。この時の煙草が死ぬほどうめぇって知らんだろ」

「マジすか先輩……」

「ああ……どうした?」

「先輩って煙草吸う人間だったんですか──人として終わってる」

「はぁ? どうしたお前?」


 さっきまでヘコヘコニコニコしていた後輩が、人が変わったように俺のことを侮蔑の目で見ている。

 煙草が嫌い、あるいは肺に疾患でもあるのか? そうだとしてもそこまで言うことはないだろう。


「この地区、禁煙地区っすよ」

「禁煙……地区……? あ、あぁ、そうなのか」


 最近は禁煙と掲げる店や街が増えて、俺たち喫煙者にとっては世知辛い社会となった。

 さらにここは最先端の技術やベンチャー企業が集う、中央の電波塔がシンボルの近未来モデル都市。禁煙は代表的な条例の一つなのだろう。

 知らなかったとはいえ、マナー違反したってことで注意したというわけか。

 いや、だからといって俺は何年も先輩だぞ? そんな言葉を──顔が歪むほどに恐ろしい顔で言うか……?


「みなさーん! この人喫煙者ですぅー‼︎」

「はぁっ⁉︎ お前本当に大丈夫か⁉︎」

「この街を脅かす猛毒を振り撒く犯罪者ですぅ! テロだテロォ‼︎」

「おい、おま──え……」


 さすがに調子に乗りすぎだろと注意しようとした矢先、周りからの尖った視線が刺さるのを肌で感じた。

 見渡せば、街の人は皆俺のことを見ていた。大人も子供も、女子高生も高齢者も犬も誰一人として視線を逸らすことなく、後輩と同じ顔でジッと俺を見ていた。


「は、はっ? な、なんだよ」

「テロだぁ‼︎」

「犯人を捕まえろぉ‼︎」


 周囲の人間は声を荒げると、我先にと俺を捕まえようと走ってくる。

 あまりの狂気に怖くなって、俺は逃げ出した。


 こんなに全力疾走したのはいつぶりだ?

 逃げれば逃げるほど追いかけてくる人は増えてくる。

 とりあえず街から出ないと……いや、駅は人で溢れかえってる。この感じだと多くの反煙草主義の人間がたくさんいるはずだ。

 じゃあ、今も手にある煙草を捨ててしまおうか……これもダメだ。落ちた灰に気付いた人が怒りを増して追ってくる。

 喫煙でこれだ。ポイ捨てしたならば、さらに街の人たちの逆鱗に触れることだろう。

 しかし、体力がもうなくなってきた……ろくに運動もしてないアラフォーだぞ……。


 ……ん……あれは⁉︎


 喫煙所か⁉︎


 禁煙地区にもオアシスはあったようだ。

 俺は最後の力を振り絞り、その中へと逃げ込んだ。

 こんな密室に行っては袋のネズミか?

 しかし、街の人間は誰も入って来なかった。それどころか、何事もなかったかのように皆日常生活へと戻っていく。


「……どうなってんだよ、この街は……」


 窓もない、汚くて狭い、まるで独房のような喫煙所の壁にもたれかかりながらそう呟いた。

 とにかくずっとこんなとこにいられない。

 ただ出ればまた追いかけられるかもしれないので、誰か助けを呼ぼう。そうやって携帯を取り出すがアンテナが一つも立っていない。この喫煙所のせいか?

 外に出て電話しようにもすぐ追いかけられるだろうし……なかなか器用なことをしないといけないみたいだ。

 後輩のことも今はどうでもいい。会社に戻ったら然るべき処置をしてやる。


 とにかく走って外に向かおう。

 息を整えた俺は喫煙所から顔を出し、周りに人がいないのを確認するとそそくさと出て行った。

 街の端はどこだ……? と数歩進めばすぐに住民に見つかった。

 また追いかけられる……! だが、住民は俺のことを気にも留めていない。

 さっき追いかけて来た人の中にいなかったのか。それとも狂っていたのはあの時だけ?

 俺は安心して息をつき、住民とすれ違った。


「臭い」

「……あ」

「臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い」


 きっと俺の息や服についた煙草の臭いに反応したんだろう。住民になるべく近付かない方がいい。

 それだけ分かったところで今も追いかけられているのには変わりない。

 次の喫煙所はどこだ⁉︎

 だが、その前に間違いなく捕まる。くそっ、何年吸ってると思ってんだ。肺は汚れに汚れまくってるに決まってるだろ。むしろ、煙草吸った方が元気出るんだよ。


 ……吸ってみるか?

 俺は慣れた手つきで火をつけた煙草を一吸い。

 おぉい、体力も速力も上がる気がする! ……思い込みだ。もはやドーピングだな。

 臭いもあって後続は離れて行く。これで……って、臭いに釣られてめっちゃ人が集まってきやがる⁉︎

 だが、目先に建物はもうない! もうすぐ出口だ! 


 ──は? 海……?


 あ、そうだった。ここは湾内に浮かぶ人工島。

 IT会社をはじめとして多くの企業が本社をここに移し、同時に住居も建ち並び住民が増え、公共施設や商業施設が充実していった、今話題のモデル都市……。

 この街を出入りするには本土と結ぶ二本の橋を渡るか、海底トンネルを走る電車に乗り込むか──つまるところ、俺は今詰んでいる。

 既に逃げ道は住民によって塞がれている。

 こいつらに捕まったところで、法治国家なわけだし死ぬとは思ってないが、どうなるかは分からない。罰金で済めばいいが。


「……最後くらい一服させてくれや」


 この煙草が燃え尽きる時が俺の煙草人生の終わりということか。

 諦めたその時──


「──こっちよ。急いで……!」


 俺を呼ぶ女性の声がした。

 声の主を捜すと、いた。マンホールの中から呼んでいる。

 声を頼りにするしかなく、完全に追い詰められる前に俺は地下へと潜っていった。



   **



「助かったよ……あんたは?」

若葉わかば。そう呼んで」


 若葉はスマホの光で照らしながら、ドブ臭い下水道を進んで行く。


「あいつらはここまでは追ってこないのか?」

「まぁ、この狂った島に住む人はみんな潔癖症だからね」

「そ、そうか。それにしても、なんだあの住民たちは。条例ってだけであんなに襲ってきていいものなのか⁉︎ それに後輩までおかしくなって……」

「……あんたはさ。追われる前、この島に来て何を思った?」


 この島に来て……目の前の仕事に集中していたから、観光などしたわけではない。

 だが、まだ短時間の滞在だったにも関わらず、住民は朗らかで優しくて、幸せそうな──


「ここに住む奴らはみんな幸せだと感じさせられてるのさ。中央にそびえ立つ電波塔の電磁波によってね」


 この島のシンボルでもあり、街の快適な通信を支える電波塔。あそこから電磁波が出ているだって……?


「てことは後輩がそんなのに感化されておかしくなったというのか。じゃあ、俺はどうしてこのままなんだよ」

「あんた、煙草を日常的に吸ってんだろ?」


 案内が終わり、少し開けた場所にランタンなどで照らされた住居スペースらしき空間へと来た。

 若葉は電子タバコを取り出す。こんな空気が澱んだ場所で火を使うのは危険極まりないからな。


「ふぅー……ニコチンだよ」

「ニコチン? って、あの……」

「ニコチンにはこの洗脳を効きにくくする成分であるらしい。詳しいことは科学者じゃないから分からないけどさ。単純にまともな奴らの共通点がそうなだけ」


 この場所には若葉以外にも何人かいるようだ。

 みんなオジサンばかりだが、この中に妙齢の女性が一人いては危険ではないか。

 不便な生活を強いられているため清潔感はなく、表情に覇気は感じられないが、素材としてはかなり美しい部類に入る黒髪長髪の女性だ。

 すると、突然一人の男が俺に掴みかかった。


「煙草! 煙草を持ってきたんだろうなぁ!」

「お、おい! なんだよ!」

「やめてげんさん」

「……お、おぅ……若葉ちゃん、すまん……」


 ニコチンを摂取できなくてイライラしてるのだろう。

 何本か持っているので、分け与えてやるとニコニコしながらどこかへ行く。

 若葉の言葉を聞いていたことから、一応ここを取り仕切ってる存在ではあるのか。俺の知らない彼女の強さがあるんだろう。


「ありがとね。貴重なものなのに渡してくれて」

「いや、それくらい構わねぇさ。だが、ここでは吸えないだろ……」

「うん。だから、地上の喫煙所で吸ってる。あれ、マンホールの上に私たちが設置したんだ」


 だから、人目に付かないように周りが見えないブラックボックス状態の喫煙所なのか。

 普通、そんなものを勝手に置いたら撤去されるだろうが、気がおかしい住民からしたら十分に誤魔化しがきくのかもしれない。


「一度喫煙所入ったでしょ? 迎えに行ったのに、もういなかったからさ。あいつらに捕まる前に見つけて良かったよ」

「あいつらに捕まるとどうなるんだ?」

「……同じにされるよ。ずーっと虚無な幸福に取り憑かれて、一生この島から出られないように、ニコチンを抜かれてから洗脳するんだ。強引な方法でね」

「一生、だと……」

「そう。この街は今も拡がり続けている。ここに来た人が誰も帰れないからね。臭いに厳しいくせに、来る時は何事もなかったでしょ?」


 嘘だろおい……。こっちはまだ明日から仕事があるんだ。それに煙たがられているが、愛する家族もいる。

 あんな笑顔が張り詰めただけの奴らの仲間入りなんてしたくない。


「おい! どうすればいいんだ‼︎」

「まぁ、街から出るのが一番だよ。でも、もう狙われてしまったからね。地下鉄も橋も警戒は厳重だ。出るには特別な許可証がないと」

「なら……!」

「盗むのとか考えた? 無理だよ。この街は近未来モデル都市って語ってるだけに、あちこち監視カメラだらけ。支配者が住民を自在に操るために、あらゆる方法で逃がさないようにしている。だからこそ、街は拡大し続けて変わり続けている」

「この下水道を伝っては出られないのか?」

「ご丁寧に、街の外へ通じるものは全て人が通れないサイズになってるよ。さ、次はどんな脱出方法を考えてくれる?」


 この様子だと、考えられるものは全て試したのだろう。

 だからこそ、思考を放棄し、逃げる気力も失い、未来都市の地下に隠れ生きていく……自ら服従しているだけで、地上の奴らと何も変わらないじゃないか。


「……俺に考えがある」

「え?」

「ニコチンを摂取すれば、洗脳はかからないんだろ?」

「え、えぇ……」

「ならば、タバコの臭いを住民に付けたらいい。ここに散布機械のサンプルがある」

「ん? ダジャレ?」

「いいだろそれは」


 作戦はこうだ。

 煙草の臭いを仕込んだ散布機械を、空調のようなさらに広範囲に臭いを広げる機械の近くに設置する。それを幾度か繰り返すことで許可証を得たり、徐々に行動範囲を広げていく。

 住民も最初は苦しむだろうが、臭いが染みつけばいずれは洗脳から解放されるはず。


「子供とかいるのに、街に公害仕掛けるとか、あんたもなかなか狂ってるね」

「そんなことは分かってる。俺たち喫煙者は非喫煙者と線引きし、住む世界を違えてきた。誰かに仕切られるのではなく、自ら選んで喫煙することを選んだ。だからこそ幸福だからといって同じ場所に閉じ込め続けるのは自由じゃないだろ。いつだって、自由を獲得するのはリスクを負った奴だけ。抵抗するさ」

「あとで健康被害訴えられても知らないからね」

「始末書書かないといけないな」

「クビじゃない?」

「なら、次はここの市長にでもなるかな」


 俺はカバンの中からポケットサイズの消臭剤を取り出した。商談前にエチケットとして衣服に撒く用のものだ。もうすぐ新しいの買わないとなと思っていたから、ほとんど中身は無いが。


「消臭剤じゃ、あいつらの鼻は一瞬しか誤魔化せないよ」

「だろうな。俺たちの臭いはもう、臭いほどに体に染み付いてやがる」

「嫌いじゃないけどね、あたしは」


 と、若葉はピッタリと俺に付いている。

 若い女が隣にいると、それだけで条例に触れそうなんだから、やめてくれ。


「あたしも行くよ。街の新参者に任せきりにはできないからね」

「そうかい」


 こうして俺たち逸れ者は、自分たちの居場所を取り戻すため、窮屈な地上へと登った。


 この先どうなったのか──それは全て君たち次第だ。

 煙に覆われて見えない先の未来を、その手で変えてほしい。

 どう生きるかは自由だから、どうするかはお任せするがな。

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禁煙地区 杜侍音 @nekousagi

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