家の玄関げんかんとびらを開けると、くつのすぐ近くにママが立っていた。


 ママは、私の顔を見るとニヤニヤ笑って、「さては彼氏かれしね? そうでしょ? 彼氏かれしなんでしょう? ぜったいそうでしょ! さっそく明日つれてきなさいよ!」なんて言ったけど、玄関げんかんで待っていたくらいだから、やっぱり心配してくれていたんだと思う。


 ……それに、ママは片手にスマホを持っていたんだけど、……その画面に『110』って数字がチラッと見えたような、見えなかったような……。

 もしかすると私は、間一髪かんいっぱつだったのかもしれない……。……刑務所けいむしょとか、……怖すぎっ……!


 ママは夕ごはんの準備してくれていた。「すぐにできるから」ってママの言葉に甘えて、私は手伝わずに、居間いまでテレビを見ながら待っていた。

 おもしろそうな番組がなかったから、私はなんとなくニュースを見ていた。たまに怖いのがあるから、あんまりニュースは好きじゃないんだけど、今日はいいニュースばかりだった。


 行方不明ゆくえふめいのおじいちゃんや、動物園どうぶつえんから逃げだしたおサルさんが見つかったとか。新種しんしゅのトリが発見はっけんされたとか。はたらくママたちにやさしい、あたらしい仕組しくみのベビーシッターの会社ができるとか。


 宅配便たくはいびんの人たちがはたらきやすくなるようになるとか。あたらしいチューリップえんがオープンするとか。遊園地ゆうえんちにあたらしくトロッコの乗り物ができたとか。


 今年はクルミがたくさんとれそうだとか。人がしゃべってるような声で鳴く、おもしろカラスが目撃もくげきされたとか。いろいろね。


 それはぜんぶ、この街から遠く離れた、別々の、知らない場所でのことだったけど、やっぱり、いいニュースはいいよね。聞いているだけで、ちょっぴり幸せな気持ちになるから。


 どうして今日はいいニュースばかりなんだろうって、少し不思議に思った。だけど少し考えてみて、それはすぐにひっこんじゃった。

 不思議なんかじゃないよね。たぶん、これが世界のほんとうの姿なんじゃないかな。

 いつものニュースはさ、世界のダメなところばかりを集めたものなんだよ。

 ひとつの悪いニュースの後ろには、きっと、たくさんのいいニュースがかくれているんだ。


 それはたぶん、私たちだって同じなんじゃないかな。

 今日はひとつもいいことない日だったなとか、ここ最近ずっと不幸続きだとか、そんなふうに思うこともたまにあるけど、幸せのまったくない日なんて、ほんとうはないんだと思う。

 ただ、幸せが見えなくなっちゃったんだよ。それか、『こんなの幸せなんかじゃない』って、自分で顔をそらしちゃうだけなんだ。


 ほんとうに落ちこんだりしたときは、幸せを感じられなくなっちゃうこともあるけどさ、それでも、毎日毎日、私たちは幸せなんだと思う。

 特別なことがなくたって、いつもどおりの一日でも。眠れるだけで。ごはんを食べられるだけで。キレイな景色を見られるだけで。大好きな人たちといられるだけで。思い出を忘れないでいられるだけで。


 しばらくすると、ママがとなりの台所から顔を出して、「できたわよー」と声をかけてきて、すぐに「そこのむすめさん。運ぶの手伝ってー」と続けた。それに私は「あいあいー」と返事をした。

「『はい』はいっかいでいいらしいわよ?」

「えー、『あいあい』だよぉ?」

「『あい』もいっかいでいいの」

「えー?」


 台所に行ってみると、そこには、私の望んでいたものがあった。


 それは冷やし中華!


 私は、その場でちょっとおどりたくなるくらいうれしかった。……いや、べつに私は冷やし中華が大好物だいこうぶつってわけじゃないんだけど……、あれだよね、おあずけされると、なぜか余計よけいに食べたくなっちゃうっていうか……、まあ、そんな感じだよ!


「今日は冷やし中華よ。ソーメンはきたって言っていたからね」とママは、なんだか、すんごい得意とくいげにそう言った。


 そういえば、ママにはただ、お昼は外で食べてくるってしか伝えていないんだった。


 よかったあ、お昼に冷やし中華を食べなくて。……同じものを食べきて、それで嫌になって家を飛びだしたのに、連続れんぞくで冷やし中華じゃ、なんだか意味がなくなっちゃうような気がするからね。


 私は冷やし中華を持って、スキップもどきをしながら、ママといっしょに居間いまに戻った。あれなんだよね私……、どんなにがんばっても、どんなに気合きあいを入れても、まったくスキップができないの……。スキップもどきしかできない……。


 食卓にすわると、ママがこっちに手をのばしてきて、ばしを渡してくれた。あれなんだよね私……、どんなにがんばっても、どんなに気合きあいを入れても、普通のおはしじゃ、まったく冷やし中華のメンがつかめないの……。つるつるすべってぜんぜん食べられない……。


 私は思ってる。冷やし中華のときは、ばしが最強だってね!


 ばしを『パキンッ』とって、『いただきます』をして、私は冷やし中華を食べはじめた。


 もうあれだよね……幸せで、サイコーで、ヤバい……! おおげさじゃなく、このに生まれてきてから、いちばんおいしい冷やし中華だっ……!


 ママは冷やし中華をもぐもぐしながら、私の食べっぷりを見て目をまるくしていたけど、どこかうれしそうだった。


「あんまり急いで食べるとつかえるわよ? いくらメンでもね。……それにしてもごきげんねぇ。なにかいいことあったの?」

「いま起きてるっ」

「いまぁ? あれじゃないのぉ? 彼氏かれしができたからじゃないのぉ?」とママは、まるで小学生が友だちをひやかすみたいに言った。

「……ち、違うよ……。あ、でも、彼氏かれしじゃないけど、今日はなんだか……、男の人とたくさん会った気がする……」

「えっ? ……彼氏かれしじゃない男の人……? それもたくさん……? ちょっとどういうこと? ねぇあなたそこにすわりなさい」と言ってママは、食べかけの冷やし中華を横にどけて、ものすごい目で私を見た。

「……え。もうすわってるけど……?」

「こまかいことはいいの。それより正直に話して。ママぜったいにおこらないから。ママね、ほんのすこしもおこらないから。だからいますぐ白状はくじょうして」


 ……うわあ……おこる気まんまんだぁ……、と思うけど、べつに悪いことは、……いや……チューリップをダメにしちゃったこと以外は……悪いことしてないから、私は今日あったことを正直にママに話した。……カラスがしゃべったってとこだけは、さすがにパスしたけどね。


 それでも、私は自分で話していて、『こんな人いるぅ?』『こんなことあるぅ?』と思うくらいで、今日あったことがだんだん信じられなくなっていったんだけど……、ママのほうはあんがいリアクションがうすくて、「まあ、なかには、変わった人がたくさんいるものね」と言って納得なっとくしてしまった。

 そんなママの様子を見るうち、私も、『まあそれもそうかぁ』と思って納得なっとくしてしまった。


 ママとごはんを食べながら、ふたりでテレビにツッコミを入れたり、今日あったことを話したり。昨日と同じことをしているはずなのに、なんだかすごく特別に感じた。

 まるで、昨日までの毎日が、今日の練習れんしゅうだったんじゃないかって思うくらいに。

 舞台ぶたいの上みたいに明るくて、かがやいて、それなのに、すごく本物に思えた。


 ごはんを食べたせいか、疲れが吹き飛んで、なんだか力がみなぎってきた。


 と、いうわけで私は、予定よてい変更へんこうして、明日からじゃなくて、いまからがんばることにした。


「ねえママ?」

「どうしたの? おかわり?」

「ううん。もうめちゃくちゃ大満足だいまんぞく……」

「え。あなた、そんなに冷やし中華が好きだったの? それなら今度から……」

「いや、やめて……。それよりね」

「なにかしら」

「……あのさ。……また、『インコ』をいたいなって思ってさ。……ダメ、かな?」

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