「…………ん……わ……わたしは……、わたしは死にたくなんかない! 死ぬまで生きて、やりたいこと全部やりたいよ!」


 私がそう叫ぶと、ミイラ男は腕を組んで少し頭をさげた。


「そうか。欲張よくばりセットだな。だがそれでこそ若者わかものだ。こころざしが高く、清々すがすがしいくらいだ。……さて若人わこうどよ、これで思い残しはなかろう。その気概きがい、忘れずにいけよ。そうして来世らいせで、思うぞんぶんはげむといいわい……」


 ミイラ男は腕組みをとくと、さっきみたいに手首をクロスさせて、腕をエックスのかたちにすると、全身をふくらませるように大きく息を吸いこんだ。


「――ゼットォッ!!」

「どう見てもエックスだよぉっ!」

 私のツッコミを無視むしして、ミイラ男はトロッコのレバーを両手でにぎりしめ、「さあ、いくぞぉ! ゼット座標ざひょう、……百ぅ、まえにぃー!!」と叫んで、すぐにレバーを左に倒しながら、「トロッコ問題ささいな問題!!」と続けて叫んだ。


 その瞬間、トロッコが、火花をまきらしながら、すさまじい速さでこっちに向かってきた。


 『たすけて神さまー!』、私はこう叫んだつもりだった。

 だけど、じっさいに口から出たのは、

「たしゅけけきゃみはまー!」だった。


 その瞬間、私は、なぜかわからないけど、『神さまだのみじゃダメだ』、とそう思った。自分でなんとかしなきゃって、自分のことは自分でしなきゃって。

 神さまはめっちゃすごいけど、それとおんなじくらい気まぐれなんだ。神さまだのみは、あきらめるのとおんなじだ。


 そうだよ、あきらめちゃダメだ。


 ……いちばちか受け止めてやる……。


 あれだからね……私これでも砲丸ほうがんげやってるから、腕の力はけっこうあるんだよ……。だって、女子じょしの友だちのあいだじゃ、ウデズモウはけっこう上のほうだもん。それにほら、いつも坂道のぼってるから足腰強いし。


 私は少し腰を落として、腕を前にのばし、両方の手のひらをトロッコに向けた。


 トロッコがすぐ目の前に来たとき、私は、全身に力を込めるために、思いっきり息を吸いこんで、奥歯おくばを全力でみしめた。

 でもなぜかその拍子ひょうしに、ひざカックンされたみたいに両脚の力が抜けて、私はそのまま仰向あおむけに地面に倒れた。まるで、背泳せおよぎのじょうずな子のスタートみたいに、かなり勢いよく。


 頭の後ろを地面に打ったせいでそう見えただけなのか、真っ暗だった空が、夕焼け色に光ったような気がした。

 でもその光は、花火みたいに一瞬で消えてしまった。

 だけど、お腹にひびくような音も、空を焼くジュウジュウって音も、なんにも聞こえなかった。

 まるで、空の上の誰かが、空のあかりのスイッチを間違えて押しちゃって、それをあわてて消したみたいだなって、私はそう思った。


 タイヤが大きくて車体しゃたいが浮いていたおかげで、トロッコは間一髪かんいっぱつぶつからずに、私のおでこをかすめて、そのまま、突きあたりのブロックべいに突っこんでいった。


 大きな音が鳴って、思わず私は目をつむった。


 なんだか体に力が入らなかった。……安心しすぎて死にそう……みたいな感じ……。


 とそのとき、目の前がちょっと明るくなったのを感じた。

 目を開けると、目の前でなにかが光っていた。

 目のなかに光の残像ざんぞうが映ってよく見えなかったけど、目の前のそれは、クリスマスツリーの電飾でんしょくみたいに、光ったり消えたりをくりかえしているらしかった。


 目が慣れて残像ざんぞうが消えると、光の正体がわかった。

 トロッコの底の面には、ちょうどサイコロの『ろく』みたいに黒いマルがかれていて、そのマルすべてがピカピカと光っていた。

 マルは……ペンキでられているふうで、ぜんぜんガラスっぽくなくて、……どんな仕組しくみで光っているのか、私にはさっぱりわかんなかった……。


 ふと、視界の上のほうをうるさく感じた。

 体を動かす元気がなくて、私は、目ん玉だけをキョロッと上に向けた。


 トロッコの底の面の、私の頭の上あたりに、なにか書いてある。


 私は、力を振りしぼって首をそらして、さらに上を見てみた。


 そこには、習字しゅうじをならっている子が書いたような、きれいな筆文字ふでもじで、こう書かれてあった。



  神は言っている 「おまえを見ていると、めっちゃなごむ」、と



「……えぇ」


 私はなんだか怖くなって、横にコロンと転がってうつせになってから、カメさんみたいな動きで頭とおしりの向きをえて、急いでトロッコの下から這い出た。

 するとその瞬間、頭の上から、「おい!」と声をかけられた。ビックリして、すぐに体を起こして後ろを見上げると、声をかけてきたのはあのミイラ男だってことがわかった。


 ミイラ男はトロッコから体を少し乗り出して、私を見下ろしていた。そして、少しののあと、「……きみ、大丈夫かい、ケガはない?」と言った。

 ……おまえなめとんのか……? と一瞬口にしそうになるけど、私はギリギリこらえて、「……はい、なんとか……」と答えた。そしてすぐに、「……おじさんは大丈夫?」と続けた。

「ワガハイかい? ワガハイはほら……石頭いしあたまですから」と、ミイラ男は、……なんか、ちょっとれたふうに、そう言った……。

「……。はぁ……な、なるほどです……」

「でだねぇ。きみ。ひとついいかい?」

「え、なんですか……?」


 と私が返事をしても、……ミイラ男は、ただモジモジするだけだった……。で、一分半くらいモジモジしてから、やっとしゃべりだした。


 さっきと違って声はまともっぽいけど、しゃべってるあいだじゅうずっと、まるで『……言いだしにくいなぁ……言わずに帰りたいなぁ……』って言っているみたいで、……なんかすごく嫌なしゃべり方だった……。


「うん。なんというか。いやー、ホント、ごめんねぇ……。うん。……ワガハイ、ミスをしていたようだ。……きみが親のかたきに見えたんだけど、……どうやら人違いだったみたいで。たはは……、ほんとうにうっかりしていたよ。いやー面目めんぼくないっ。あやまる、ごめん、ホントにごめんよぉ。


 こんなこと、ワガハイが言っちゃいけないような気もするけど……まぁ言うよ、……人はミスをする生き物だよね……ミスをしない人間はいない……人生に失敗はつきものだよね……。

 ……あれだよね……人間誰しもさ、……遠目とおめには、誰も彼もが、親のかたきに見えるものだよね。……だから、そのほら……、間違えちゃうのも、わからないでもないっていうかさ……。


 それでね? ここからが話のキモだからよく聞いてほしいのだけど……、じっさいそれが親のかたきだったとしてもさ、……話しかけてみると、あんがい普通に話せてさ……、相手も、血のかよった人間なんだってことがわかるんだ……。自分と同じ……それどころか……自分の親と同じような……マジものの人間なのだとね……。


 ワガハイも今日から心をえてさ、性善説せいぜんせつガチぜいになるよ。つまりね、ワガハイが言いたいのは、復讐ふくしゅうなんてしたところで、ただむなしいだけってこと。それでなくても人生にはむなしさが多すぎる。


 ……なのに……それを自分からとりにいくなんて……えげつないくらいにナンセンスさ……。ゆえに、復讐ふくしゅうなんて考えるもんじゃない、とワガハイは思う。だから、ゆるしてほしいと言う、ワガハイは。

 お願いだからゆるしてくれ。たのむよ。このとおりだ……! ……ホントにごめんね……。


 ゆるしてくれぇ……! すべて水に流しちゃってくれぇ……! ……たのむから、ワガハイの非礼ひれいをなかったことにしてくれ……。……お願いだから、きよらかなワガハイのままでいさせてくれ……。……とてもすまなんだ……ちょうすまなんだ……マジすまなんだ……。

 ――というわけでさ、おわびに家まで送るよ、とりあえずね。――さぁ、乗って!」


 そうめくくると、ミイラ男は、私に向かって右手をのばしてきた。


「…………。……いえ、いいです……」私は言った。

「きみ。遠慮えんりょしなくても、……いいのだよ?」

「……わたしの家、すぐ近くなので」

「そうかい?」

「……はい。いやです……」

「……まったく、シャイな子だ」


 そう言ってミイラ男は、手をひっこめるとすぐに腕を組み、その場で少しふんぞり返った。


 それを見上げる私の顔は、すんごい表情になってるはずなんだけど……、ミイラ男は、それに気づいていないのか、それとも気にしていないのか、「いやーそれにしても、ゆるしてもらえてよかったよ!」なんて言いながら、のんきに笑っていた……。


 声の感じから、ミイラ男はけっこう年をとっている人みたいだとわかった。おじいさんまではいかないけど、……おじいさんよりのおじさん? みたいな感じ。


 ……なんかいろいろ納得なっとくできないけど、とりあえず助かってよかった……。私は顔をさげて、ほっとため息を吐いた。


 トロッコを後ろの面には、サイコロの『さん』みたいに、黒いマルがななめに三つ並んでかれていた。私はそれで、坂道を思い浮かべた。

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