そういうわけで私は、ママのツッコミを受けても、インコの名前を『野々花ののか』にすることと、『ジュニア』呼びをゴリ押しした。


 熱が出ちゃいそうなほどうんうん考えたわりに、手ごろなところに落ち着いたけど、彼女の名前は『野々花ののか』――正確には『野々花ののかジュニア』――に決まった。

 まあでも、ママが言ったようにまぎらわしかったから、けっきょくは、私もママも彼女のことを、『ジュニア』としか呼ばなかったけど。


 ママから聞いた、ジュニアっていう言葉はパパと息子で使うもの、っていうのがずっと頭に残っていて、それに影響えいきょうされてか、私はときどきジュニアに、「パパだよー」なんて声をかけたりした。


 女しかいない家なのに、おかしな話だよね。やっぱりママの言うことは、いつもあたってる。でも、私にはそれがよかった。いまの暮らしに不満ふまんなんかなくて充分じゅうぶん幸せだったけど、私はひとりっで、ずっとママとふたりで暮らしてきたから、やっぱり心のどこかに、家に男の人がいるってことに、ちょっぴりあこがれがあったんだと思う。


 パパがいる家ってどんな感じなんだろうとか、お兄ちゃんや弟がいたらとか、私は昔から、よくそうやっていろいろと想像をした。ママは若ママだから、女のきょうだいがいたらこんな感じかなって想像できたけど、男となるとさっぱりだった。


 あこがれがあったんだけど、昔から私は、男の人が苦手だった。


 小さい男の子とかなら、ただかわいいって思うだけでぜんぜんヘーキなんだけど……。年の近い男の子といっしょにいると、頭が真っ白になって、なにを話したらいいかわかんなくなって、ますます頭が真っ白になって、もうわけがわかんなくなる。

 相手のことがよくわかんないし、なんだか恥ずかしいし、なにより、なんとなく怖かった。


 大人の男の人なんてもう、ずっとずっと怖く感じるから、私にとってみれば、妖怪ようかいとか怪物かいぶつとか、そういうものに近い存在だった。


 べつに怖い目にあったことなんて一度もないんだけど、ただ男の人ってだけで、なんかそう感じちゃう。近くに来られると、なんとなく逃げだしたくなったし、心のなかで『どこかに行ってー』と思ったりしちゃう。

 やっぱりさ、よく知らないものは、なんだか怖いんだよね。


 そんな私だったから、男になったつもりになるのは、ちょうどいいことだったのかもしれない。男の人は、いつもなにを考えているんだろうとか、こういうときはなにを感じるんだろうとか、そういうことを想像したおかげで、昔よりは、男の人を怖く感じなくなった気がする。


 ジュニアとのやりとりが、私が初めて感じた、家に男の人がいる空気だった。それはおままごとみたいなものだったのかもしれない。だけど、私のなかでは、ものすごく現実的な変化があった。私はときどきパパや男の子になったし、ジュニアもときどき、私の息子や男のきょうだいになった。


 私はジュニアに、いろいろな役割やくわりになりきって話しかけたっけ。「お姉ちゃんだよー」「お兄ちゃんだよー」「パパだよー」「ママだよー」こうして思いだしてみると、ほんとうにいろいろだ。


 親になったことがないからよくわからないけど、親になったらこんなかなーって想像はけっこうした。


 だけど、ママが言ったように、自分を神さまだと思ったことはなかった。


 ママの言うように、私はそれくらいに思わなきゃいけなかったんだ。もっと真剣にならなきゃいけなかった。

 だって私はじっさいに、神さまみたいなことをしていたんだから。ジュニアにとっては、トリカゴのなかだけができる世界で、そこをととのえるのは私の役目だった。


 だから私は、心の中まで、そうならなきゃいけなかったんだよ。

 私は神さまにならなきゃいけなかった。

 こわい神さまじゃなくて。

 やさしい神さまに。

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