そして、パパとママは、家に帰って、少し遅いお昼ごはんを食べた。


 このときにも、パパはなんともなかった。ただ、やけにたくさんごはんをおかわりしたんだって。

 ふだんはお茶碗ちゃわん一杯くらいしか食べないのに、このときは七杯も食べて、それでも足りなくて、冷蔵庫れいぞうこの残り物もぜんぶ食べてしまった。


 それでママは、お腹のふくれたパパを見て、どっちが妊婦にんぷさんかわからないわね、なんて冗談じょうだんを言った。続けて、いくらなんでも食べすぎでしょ、ってツッコんで、パパはそれに、今日はいろいろあって疲れたのかもなぁ、ってかえした。続けて、眠くなったから少し横になる、って言って、パパはそのまま眠ってしまった。


 こんだけ食べればそりゃあ眠くなるわな、と思いながらママは、しばらくのあいだパパの寝顔をながめていた。そうするうちにママも眠くなってきて、いつのまにか眠ってしまった。


 ママは、私がお腹をるので目を覚ました。


 そのときにはもう、すっかり日が落ちて夕方になっていた。少し肌寒くて、一瞬ママは、秋にいるような気がしたらしい。


 いまは夏でした、そう頭のなかでつぶやきながら、ママは体を起こした。


 ママは夢を見るくらいぐっすり眠っていたらしい。

 やけに頭がぼんやりして、少しのあいだママは、自分の年とか、自分が誰なのかとか、いままでの思い出とか、そういうことをまったく思いだせないくらいだった。

 だけど、また私がお腹をって、ママはそれをとりもどした。


 自分の名前、結婚けっこんしてること、パパのこと、子どもができたこと、自分が妊婦にんぷさんだってこと。そして、眠るまえのことまで思いだして、ママは、パパのほうを見た。


 パパは、目を閉じて横になったままだった。


 でもママには、パパが起きているように思えた。なぜって、パパはなんだか満足まんぞくそうな顔をしていたから。だからママは、こう思った。さては私になにかイタズラをして、寝たふりをしているんだなって。


 それでママは、自分のほっぺたやおでこに、なにか書かれているんじゃないかと思って、手のひらでごしごしこすってみた。

 だけど、手のひらは真っ白なままで、青い血管がけて見えるくらいだった。


 こうさんこうさん、だからはやく起きて、ママがそう声をかけても、パパは表情を変えなかった。ほっとため息を吐いたあとのような、ちょっぴり笑っているような、眠るすんぜんのような。


 子どもですか、ママは思った。それから、もうちょっとであなたは、ほんとうのパパになるんだぞ、とも思った。ママは少し心配になって、未来のことを想像してみた。……子どもみたいなパパでも、それはそれでいいのかもしれない、なんてママは思った。


 イタズラの仕返しにパパをゆすってやろうと思って、ママは、両腕をのばして、パパの左肩と右の手首をつかんだ。


 パパの体は、そのときにはもう、すっかり冷たくなっていた。


 パパの体があんまり冷たくて、ママはその瞬間に思った。


 もうダメだって、もうなにをしても手遅れだって、もうなにもかもおしまいだって。

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