私は、土手どてを少し降りたところに腰かけて、流しソーメンを少しだけながめることにした。


 土手どての坂のところは草がびっしりえていて、それでつるつるすべって、私は転びそうになった。

 みとどまったはいいけど、そのときに、右足を内側に曲げたまま、思いっきり地面におろしてしまった。

 いままで生きてきたなかで、いちばん足首が、グキッ、ってなった。


 私はその瞬間、 あ やばい これは完全に足の骨が折れた って思った。


 背中がヒヤッとして、まるでお腹に空気が入ってきたみたい。自分の顔が真っ青なのがはっきりわかる。


 私は両手を使って、そっとその場に腰をおろした。足首を見てみると、ちゃんとまっすぐで、それに、思いどおりに動かすこともできた。

 よかったことに足の骨は無事だった。

 それだけじゃなく、捻挫ねんざとかもしてなくて、痛くもかゆくもなかった。


 それでよかったんだけど、すごく不思議だった。


 だって、体重をぜんぶかけたくらい思いっきり右足をおろしたし、右足が裏返ったと思うくらい足首が曲がった気がしたから。

 それなのにぜんぜんなんともないから、自分の体が、自分のものじゃなくなったように感じた。

 まるで、私とよく似たほかの誰かのものになっちゃったみたい。

 なんか、『捻挫ねんざ幽霊ゆうれい』『骨折もどき』って感じ。


 そんなことを考えてるせいなのかな、ぺたぺた触る自分の足首が、ちょっと変な感じだった。


 あれに触っているみたい。

 袋をやぶって出したばかりの紙粘土かみねんど


 ちょっと冷たくて、外側はやわらかいけど、中になにか入ってるみたいで。その変な感覚に、私は、あれに近いものを感じた。

 あの水たまり。

 似てるけど、ぜんぜん違うから。まるで、遠くの景色を見ているみたいだから。


 そう思うと、いまにも体が消えちゃいそうな気がしてくる。

 そうなったら困るはずなのに、なぜかそうなることを、ちょっぴりだけ期待しちゃう。

 なんか他人事だった。

 でもそれってとうぜんか、自分のじゃないみたいって思ってるんだから。


 まあとりあえず、ケガしなくてラッキーだったよ。にしてもホントによくすべる坂だね。ダンボールとかがあれば、いっきに下まですべって行けそう。スキーをいたなら確実。おしりが燃えてもいいなら、そのままでも行けちゃいそう。それくらいつるつる。


 ソーメンの流れる道は、竹を半分にったものでつくられていた。道は、曲がりくねったり、一回転したり、トンネルがあったりの、すんごいやつで、なんだか私は、大人の本気を見た気がした。


 ちっちゃな子どもたちは、ビックリするくらい大はしゃぎで、見てるとめっちゃなごんだ。

 大人たちが流すソーメンを、目をキラキラさせて待ち構えたり、ソーメンといっしょに走ったり、……こぼしたソーメンを川にてて、大人におこられたり……。


 流れているのはソーメンだけじゃなかった。


 皮のむかれた夏ミカンや、小さく切られたスイカや、お菓子かしのゼリーなんかも流れていた。すごいカラフルだ。


 それで私は、夏の景色を見ているような気持ちになった。


 まあ、いまは夏なんだから、そりゃそうだって話だけど、でも、そんな感じがした。

 色がくて、キラキラ動いて、世界のすべてが元気で、すんごいキレイ。

 だけど目の前の光景は、あんまりリアルに感じない。まるで絵を見ているような感じ。


 そう思ったときふと気がついた、河原にいる全員みんな、おそろいで真っ白な服を着ていることに。

 それで私は笑っちゃった。ソーメンカラーじゃん、それに、みんな仲よすぎーって思ってね。


 みんなの服のことに気がついてから、景色がもっとくなったように感じた。

 竹はもっと青くって、スイカはずっと赤くって、ゼリーの七色なないろははっきり分かれて、ミカンは、ありえないくらいにオレンジ色だった。まるで、夕日をしぼってそうしたみたいに。


 その光景は、見ているだけですごくすずしそうで、なのに自分はすごく暑いから、なんだか、あの水たまりを見ているような感覚になった。


 知らないうちに私は三角座さんかくずわりをしていて、そんでもって、自分の脚を力いっぱいきしめていた。

 『なんでそんなに力を入れてるの?』って不思議に思うくらいに、じっさいに自分自身に、そう聞きたいくらいに。


 すぐに力を抜いて、自分の体に目を落とした。

 腕の内側とひざのあたりに、くっきり、赤いあとが残っていた。あとそれから、腕と脚がシビれて感覚がなかった。


 まったくなくなっていた。


 手のひらでさすっても、指で突っついても、ビリビリも、ピリピリもしない。それが不思議で、それがおもしろくて、しばらくのあいだ夢中むちゅうでそうしていたんだけど、突然耳もとで、「ねぇ、こっち見て」って声が聞こえて、私は顔をあげた。


 でもそれは空耳だったみたいで、近くには誰もいないし、逃げていくかげもなかった。相変あいかわらず、坂の下では楽しそうに流しソーメンをしている。ただそれだけで、なにもない。

 だから私は、また、両目だけに力を込めて、流しソーメンに集中した。


 そうしてながめているうちに、少し眠くなってきた。


 そういえば昨日の夜は、夢になんども起こされて、あんまり眠れなかったんだ。あんなになんかいも起きたのに、夢の内容はよく覚えていなかった。

 でも、悪夢じゃなかったのはたしかだと思う。だけど、あんなになんども起こすなんて、どんなに楽しい夢だとしてもさ、ほとんど悪夢だよね。


 たぶん夢も寝つけなくて、誰かに構ってほしかったのかもね。なんか、すごい構ってちゃん、って感じ。こっちが思いだそうすると、あわてて逃げちゃうのにさ。恥ずかしがり屋の構ってちゃんなのかな?


 突然、河原で不思議なことが起こった。


 ソーメンがトンネルに入っていって、そのまま消えちゃった。

 そんなわけないね、たぶん、中でつまってるんだ。


 男の子が大人のかげに入っていって、そのまま消えちゃった。

 そんなわけないね、たぶん、ずっとかげかくれているだけ、そういう遊びをしているだけ。


 でも、その大人が移動しても、男の子の姿は見えなかった。

 走ってもかがんでもそれは変わらない。

 ほんとうに消えちゃったみたいだけど、やっぱりそんなわけないよ、きっと、ずっと大人のまねっこをしているだけなんだ。


 地面に落ちた夏ミカンが、走りまわる子どもにまれて、あとかたもなく消えてしまう。たしかに、ぴちゃっ、って音がしたはずなのに、地面にはシミひとつない。真っ白な河原はきれいにかわいたまんま。

 どっちが食べちゃったんだろう?

 子どものいたサンダルなのか、河原の小石たちなのか。


 大人たちはみんな、さっきよりもずっと楽しそうで、子どもみたいな顔をしている。

 走り疲れた子どもたちのほうは、河原に転がる大きな石に腰かけて、大人みたいな顔をしていた。


 頭のなかで、あべこべじゃん、ってとなえた瞬間、なんか、くしゃみとしゃっくりのあいだみたいなやつが出た。


 なんだいまの? って感じだよね。


 吸ったのか吐いたのかよくわかんなかったし、それに、すっきりしたような、もやもやしたままのような、そんな意味不明いみふめいなやつだった。


 それに気をとられているうちに、いつのまにか、河原にいる人たちの話し声や、立てる音が、まったく聞こえなくなっていた。

 あたりはしんとして、なんの音も聞こえない。

 みんなの口はたしかにパクパクうごいてるし、あごがはずれちゃうんじゃないかってくらい大きな口をけて、楽しそうに笑っているのに。

 河原にいる全員が無邪気むじゃきに走りまわって、それも、すなぼこりを立てて石ころを蹴飛けとばすくらいの勢いなのに。


 おかしいなと思って、ためしに自分で「あーあー」って声を出してみると、それはちゃんと聞こえるから、私の耳がおかしくなったわけではないみたい。


 もしかしてみんなでそういう遊びをしてるの? なんて思って、だけどすぐにそんなわけないかって思いなおして、なんだかそれがおかしくて「ふふふ」と笑っていると、急に違和感いわかんをかんじた。

 河原の人たちの様子よりも、ずっと変な感じ。

 なにか大事なことを忘れているような。


 あれぇ、なんか変だなぁ、と思ってあたりを見まわしてみると、それがどうしてなのかは、すぐにわかった。


 川が流れをぴたっとめていて、みずうみみたいにしんとしているからだった。


 ただ、静かすぎて変な感じがしたってだけだったみたい。

 違和感いわかんの正体がわかって、ちょっとほっとしたせいなのか、眠いのがひどくなった気がした。


 世界からカラフルがなくなっちゃって、急にくもりの日に変わったみたい。まぶたをこすってみるけど、世界はくもりのままだった。それでも、目に映る景色ははっきり見える。まるで、白黒の写真を見ているみたい。


 重いまぶたをがんばってもちあげると、なぜか口までいちゃった。


 すごくのどかわいてた。口のなかがカラカラだった。

 べろはまるでスポンジみたい。歯はまるでマグカップのふちみたい。

 梅干うめぼしとかレモンとかを頭に浮かべても、ぜんぜんヨダレが出なかった。


 私はすぐにあきらめて、せめていまよりかわかないように、口をぴたっと閉じた。違和感いわかんがある。べろと歯が自分のじゃないみたい。


 食べものじゃないものを口に入れてる感じがして、いますぐにでも歯とべろを吐き出したいくらいだった。

 まあでも、そんなわけにいかないから、違うことを考えてのどかわきを忘れちゃおうと思って、私は川を見た。


 川だって止まっていれば、ただの大きな水たまりだね。あの逃げる水たまりと変わらないじゃん。

 なら、追ってみたらどうなるんだろう、なんて思ったりしたけど、私は眠くて立ちあがることができなかった。

 てかさ、のどかわきすぎて、もう川の水でいいから飲みたかった。

 それでも、立ちあがれない。おしりと土手どてがくっついちゃったみたい。


 しばらくのあいだ私は、そのまま川をながめつづけたけど、川はいつまでもじっとしていて、少しも動かなかった。

 きっと、川も流しソーメンに見とれているんだね。それで、流しソーメンのちっちゃな流れを見て、なごんでたりして。


 なんだか、やけにまぶたが苦しくて、頭がぼんやりして、目がゴロゴロする。

 最近の流しソーメンは豪華ごうかだね、私のときはソーメンだけだったな、私はおはしがうまく使えなくて、あんまり食べられなかったっけ。そんなことを考えながら私は、土手どて仰向あおむけに寝転がって、目を閉じた。


 もう私は、眠くて眠くてダメだった。


 体の力を抜いちゃうと、そのまま坂をずるずるすべって行っちゃいそうな気がしたけど、そんなこともなかった。ひと安心だね。だってそうなったら、きっとみんなビックリしちゃうと思うから。急に上から人がすべってきたらおどろくに決まってる。せっかく楽しそうにしてるのを邪魔じゃましちゃダメだよね。


 しばらくすると、また、みんなの楽しそうな声が聞こえてきた。


 だけどなんだかそれは、私の頭のなかだけで聞こえているような気がしたけど、よくわかんない。でも、みんなが楽しそうで、それに、誰かの声がちゃんと聞こえて、よかったなって私は思った。

 だって、自分の声しか聞こえないなんて、ちょっとさみしいからさ。


 みんなほんとうに楽しそう。楽しすぎて死んじゃいそうって感じ。こんなに楽しそうな声、生まれて初めて聞いたよ。


 意識をみんなの声に集中させていると、こんな考えが頭に浮かんできた。


 ……流しソーメンを発明はつめいした人は誰なんだろう……すごいよね……こんなに簡単なことだけど……めちゃめちゃたくさんの子どもたちを、笑わせてるね……きっと……その人は……エジソンや……ニュートンと同じくらい、すごい人だよね……。

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