とある戦場。

維 黎

プロローグ

 累々るいるいたる屍がある。しかし、誰もそれらに気を取られる者はいなかった。今この瞬間、少しでも気を逸らせば次に屍となってこの場に転がるのは己自身だと理解しているからだ。

 辺りは本来ならば目と鼻の先すら見通すことの出来ない暗闇に覆われている場所

――洞窟の最奥部。

 地上への出口は遙か彼方にある。


《果て無き深奥しんおうへの大迷宮ラビリンス


 文献によれば古代魔法文明期ロストシヴィリゼイションから存在が確認されている洞窟ダンジョンで、現在大陸で知られている中では最大級を誇る迷宮の一つだ。


「躱せ! 猛毒の息ブレスがくるぞ!! 正面扇形の範囲から退避!!」

「下がれ! もっと下がるんだ!! 回復役ヒーラーは避け切れなかった前衛盾役タンクに【毒解除キュアポイズン】の回復術の準備を!!」


 建物五階分の高さはあるだろう広々とした大空洞の天上付近に、いくつもの【発光球ライティングボール】が浮かび上がり、怒号を飛び交わす者たちを照らしている。

 数十人はいるだろうか。

 背格好、服装、装備も不揃い。男も女も区別なく入り乱れ、人間、エルフ、ドワーフなど種族もさまざまだ。

 そんな多くの者が遠巻きに取り囲んでいるのは異形の存在もの

 それは形だけは二足歩行の人型ではあるが、その身の丈は優に五メートルを超えているかもしれない。

 腕は四本あり、人体の胸元にあたる部分を占めるのは一つ目。腹の部分には鋭い歯が並ぶ大きく裂けた口。

 頭部には四つの目があるが鼻や口は見当たらない。

 額から一本、頭部から二本の角が突き出ている。

 全身の隆々たる筋肉は、まるでハリネズミのように鋭く尖った体毛で覆われていた。


 異形の存在――怪物一覧モンスターリスト記録情報データには魔王の位階デビルロード《ゴルゴヴァ》の名で記されている。


「よし! 全員距離はとったな! まだ近づくなよ! 尻尾の振り回し攻撃が来るぞ! それをやり過ごしてから再度攻撃だ!! 用意しろ!!」


 指揮者リーダーらしき者が、洞窟内全てに届けとばかりに大音量で指示を飛ばした――と、同時に周囲を薙ぎ払うような暴風が吹き抜ける。

 尾の一撃が通過した時に生じた風圧だ。

 今まで通り。

 かなりの犠牲を支払った代償に得た攻撃パターンの解析。猛毒の息ブレスから尾の振り回しスウィング二段攻撃コンボ


「今だ! 間合いを詰めるぞ! 攻撃役アタッカー、気合いを入れろよ! 次の特殊攻撃発動リキャストまでに可能な限り削るぞ!! 全員、とつ――いや、待て!! 何かおかしいぞ!」


 静止の声は一瞬遅かった。

 今までとは違う動き。

 ゴルゴヴァは尾の一撃を放ったあと、身体をぎゅっと縮こませると『ガガァァ!』という呼気と共に伸び上がる。


「うわっ!」

「ぎゃっっ!!」

「ぐぉ!」


 あちこちであがる苦痛の声と悲鳴。


「なっ!? 三連続攻撃トリプルだと!」


 今までになかった新たなる攻撃に驚愕の声が洩れる。


硬化毛針散弾ニードルスプラッシュ


 ゴルゴヴァの体毛が周囲に飛散する全方位攻撃オールレンジアタック

 体毛とは言っても動物の物とは違い、魔王のは一メートルほどの硬質化した毛であり、鉄製の鋭い針となんら変わりがない。

 その針が猛烈なスピードで向かって来るのだ。丈夫な鎧や盾で身を守っている者はともかく、そうでない者にはまともに喰らえば致命の一撃になりかねない。

 事実、今の攻撃で何名かは命を落すこととなった。


「何人、殺られた!?」

回復役ヒーラー! 息のある者には治癒霊術ヒーリングを! 死んだ者には蘇生霊術リザレクションを! 出来る者はいるか!!」

「ダメよ!! こっちは回復役ヒーラーが殺られたわ! ほかのパーティーの回復役ヒーラーを回してちょうだい!!」

「まずい! 追撃が来るぞ!!」


 ゴルゴヴァが隊列の瓦解したパーティーへ歩みを進める。

 四本の腕には、それぞれ形状の異なる大剣が握られていた。それらの刀身からは、禍々まがまがしい紫紺の魔力が陽炎のように揺らめいている。おそらくは伝説級の聖剣、魔剣に匹敵する業物わざものだろう。

 狙われた者たちの成すすべは、仲間を諦め距離をとるしかないと思われた――が。


「【霊波斬アトラクトストラッシュ】!!」


 ゴルゴヴァの横手から一撃を放った者がいた。

 全身板金鎧フルプレートアーマーに身を包み、大型のカイトシールドを構え、青白い魔力を帯びた幅広の剣ブロードソードを手にした戦士風の男。


「【挑発プロボーク】!!」


 男は続けざまに戦士武技ファイタースキルを行使する。

霊波斬アトラクトストラッシュ】は霊力を込めた斬撃を放ち、物理ダメージよりも精神に影響を与える技である。【挑発プロボーク】も精神系武技スピリットスキルの一つで、範囲内の相手に対して直接精神に介入し、強制的に発動者に意識を向けさせる武技スキルだ。

 盾役や壁役タンクの常套手段となる連続攻撃コンボ


「しばらくは、俺たちが引き受ける! 今のうちに体勢を整えろ! キース!!」


 ゴルゴヴァの敵意ヘイトを自身に向けさせた戦士が、狙われていたパーティーから魔王を引き離す。


「バッソ! その位置で固定だ!! キャスティは行動妨害デバフスキル! マクウェス、敵意掌握ヘイトの確認がしたい! 一撃入れてくれ! メルファー、負傷者に全体回復を!!」


 キースと呼ばれた白銀の鎧プラチナメイルを纏った騎士ので立ちをした男が、仲間と思われる精霊術師と魔術師、司祭にそれぞれ指示を飛ばす。


「【雷糸呪縛サンダーシール】」

「【火炎球ファイアボール】」

「【神霊治癒ゴーディス】」


 指定範囲内にいる者を麻痺状態、もしくは行動遅延スロー効果を与える精霊術。何かに接触すると爆発を起こす火の玉を放つ魔術。神に癒しの祈りを捧げる治癒術。


「キース率いる《白鷹の旅団》に主導権を交代スイッチする! 各自、距離を取って体勢を整えろ!!」


 敵意ヘイトが自分たちから離れ、背中を向けたゴルゴヴァを睨みつけながら怒鳴ったパーティー指揮者リーダーの声に、生き残った者たちは蘇生出来なかった者をその場に残し、負傷者を抱えながら下がっていく。



※   ※   ※



何故なぜ下がる? 今が攻撃の好機だろうに)


 後退する者たちを見ながら、内心でそう毒づく小柄な男が一人。

 全身を黒ずくめの衣服で覆い、その上から黒く染めた革鎧レザーアーマーを着込んでいる。露出している部分は目元だけで、後は黒い包帯のようなもので頭と顔を覆うように隠していた。 

 唯一確認出来る瞳は、視線鋭く魔王を射抜いている。

 その男の近くに仲間らしき者は誰もいない。さきほどの【硬化毛針散弾ニードルスプラッシュ】によって全員があっさりと倒された。

 軽戦士ファイターである男の他に、彼のパーティーには精霊術師シャーマン魔術師ソーサラーが二人、僧侶クレリック盗賊技能シーフスキルも修めた猟兵レンジャーの六人組みだった。しかし"仲間"ではない。彼は他の五人の冒険者に雇われた形でパーティーを組んでいた。


(――雇い主がいなくなってしまった場合、隠れ家ハウスに戻る決まりだが)


 空間表示領域モニターに表示された縮小領域ウィンドウにある仲間一覧パーティーリストには自分以外の生存を示していなかった。だからと言って逃げるという選択はあり得ない。

 この場所まで来るのに迷宮のトラップ怪物モンスターによって、各部隊パーティーそれぞれ少なからず犠牲を払ったのだ。誰であろうとたった一人でたどり着けはしなかっただろう。だからこそ単独で戻ることは不可能だ。


 ここである組織に道具として育てられた男が死んだとしても誰も悲しむ者はいない。せいぜい幹部連中が使える道具を失くしたことを惜しむだけだろう。

 使い続け、壊れたら新しい道具ものと交換される替えの利く道具いのち。物心付いた頃から変わらない安価なそれは、人間種ヒューマン以外の亜人種デミヒューマンも含めた人類の中でも最安値の一つ。

 それに引き換え、この迷宮に挑んだ多くの者は名誉のある冒険者たち、軍隊の精鋭部隊、徳の高い聖職者などで、本来ならば男とは命の価値が違う者たちばかりだ。

 だが――。

 生と死の境界線ボーダーラインが希薄な戦場では全ての命が等価値。そして優先順位は命ではなく使命。"一命にかえても"という不退転の決意デタミネーションを持って皆、この討伐に参加している。

 

 道具じぶんにはそんな決意ものは無いとっているが、魔王ゴルゴヴァは倒さなければならない。あれは人の世に出てはいけない存在ものだ、という思いが芽生えたことに戸惑う。


(道具に思考はいらない。ただ雇い主もちぬしが望む通りに結果を出すだけ)


 堂々巡りに堕ちる。こんなことは今までになかったことだ。


 ――二呼吸。


 ただそれだけの時間。ただそれだけに意識を集中し世界を遮断する。

 腰に交差して差した鞘から真っ黒な二本の小剣ショートソードを抜く。

 自らが道具となる儀式スイッチ


 再び空間表示領域モニターを展開して今度は自分の仲間一覧パーティーリストではなく、編成一覧フォースリストを表示。生き残っている人数を確認する。

 六人を一パーティーとして四パーティー、二十四人を一編成フォースとすることが対強敵大規模戦レイドバトルの基本となる。

 編成一覧フォースリストには現状、十名の生存しか確認出来なかった。地に転がる屍を見れば、他の編成フォースも同じような状況だろう。


(――単独ソロの方がやり易い)


 辺りに視線を飛ばせば、まともに編成フォースを組めているチームはなさそうだった。

 魔王討伐に参加したのは四つの編成フォース、総数九十六人。しかしながら今はその半数以上が地に伏している。

 それを確認した男は仲間一覧パーティーリストから抜けて単独ソロとなり、そのまま魔王ゴルゴヴァへ向かって駆け出した。


 その先で一つのパーティーが善戦している。


(確か《白鷹の旅団》と言った) 


 視線の先でゴルゴヴァが手にした剣を盾役の戦士タンクの男に振り下ろしたのを視界に捉えた。

 ガツン、という重い響きと共に青白い火花が散る。

 振り下ろされた一撃を大盾で受け止めたが、残り三本の腕からの攻撃は防ぎきれないように思われた。


「【打撃転換トランスファーダメージ】!」


 戦士が三本の腕から受けた負傷ダメージを一部、精神力メンタルフォースで相殺する。すかさず仲間の司祭が回復する為、戦士へと近づいた。

 接触しなくてもかけられる治癒術はあるが基本的に射程は短い。

 司祭が【治癒霊術ヒーリング】の詠唱を始め戦士の傷を癒す。


「ダメだ、メルファー!! 避けろ!!!」


 キースと呼ばれていたパーティーのリーダーらしき騎士の男が、指示とも警告とも取れる叫びをあげる。

 ゴルゴヴァが目の前の戦士から近づいてきた司祭に標的を変更し、上半身を捻るようにして司祭に向かって剣を振り下ろす。

 手練れの戦士ならば、後方に跳ぶか身をかがめつつ前方に転がるかして躱せたかもしれない。だが状況を理解した司祭は迫り来る死の刃の気配を感じて一瞬、身体が硬直してしまった。

 

 司祭に防ぐ手立てはない。

 恐怖に目を閉じることさえ出来ずにいたが、自分を一太刀にするだろう刃の切っ先だけは、なぜか鮮明にとらえていた。

 しかし、刃がその身を断ち斬る瞬間、黒い影が視界を覆ったかと思うと、ガキンという激しい金属音を耳にする。

 太刀筋は逸れて、その切っ先は激しい音をたてて地に激突した。

 ハッと気づいた時には、自分より小柄な黒衣の男に抱きかかえられ安全な距離まで運ばれていた。その際に司祭衣の聖帽が脱げ落ち淡い桜色の髪が踊る。


「あ、ありがとう」


 地に下ろされた司祭メルファーは黒衣の男に礼を述べた。



※   ※   ※



(――あの男)


 一連の動きを見ていたキースは、黒衣の男が只者ではないことを見抜く。

 仲間の一人、盾装備の重戦士タンクのバッソならばあの一撃を盾で受け止めることが出来ただろう。 

 キースでは躱すことが出来ても受けきることは難しい。それは黒衣の男も同様だっただろうが、あの男は自らの身体を捻って横に回転し、その遠心力を利用して手にした二本の小剣ショートソードで魔王ののだ。

 言葉で説明すれば簡単だがそれを行った技量うでは尋常ではない。双剣を合せるスピードとタイミングが完璧でないと出来ない芸当だ。


(あの風貌。もしかして《愚者の腕》か。何故こんな所に……。いや、今はそれよりも――)


「【神の託宣オラクル】!」


 法と掟を司る女神ルテミスに仕える聖騎士が取得する職種技能クラススキル神の託宣オラクル】は、正義に恥じぬ行動を起こす場合に限り、数十秒先の自らの身に起こりうる負の出来事を女神の託宣により予見出来る、いばわ未来視の技能スキルだ。


「四十秒後だ! バッソ! その間、敵意ヘイト維持しつつ合図をしたら三メートル以上離脱しろ! キャスティは支援系精霊術バックアップをしつつ遠距離から攻撃、接近戦クロスレンジでは仕掛けるなよ! マクウェス! バッソに【防御能力向上ディフェンスブースト】、に【肉体能力向上ポテンシャルブースト】をかけた後、攻撃参加! 主要攻撃役ダメージディーラーはそいつに任せる!!」

「ちょっと、本気なの!?」


 悲鳴にも似た叫びをあげたのは黄金の髪を背中まで流すエルフの精霊術師だった。美しく丹精な美貌かおに不審と不満が入り混じった驚きがありありと浮かぶ。

 この状況で見ず知らずの得たいの知れない者を、六人目の命を預ける仲間パーティーとして共闘すると言うのだから当然と言えば当然だろう。

 一方で黒い奴呼ばわりされた黒衣の男も弱冠の戸惑いを覚える。

 共有領域伝達ネットワークメッセージのリン、という軽やかな音が耳朶じだを打ち、仲間一覧パーティーリストへの招待が来ていることを伝えてきた。相手の名はキース・カルナス。

 戸惑いはあったものの、霊力を帯びた聖槍を持つ白銀の鎧プラチナメイルの聖騎士と視線が合わさったその瞬間、黒衣の男は了承する。

 統制の取れていないパーティーやフォースを組むより単独ソロの方がやり易かったが、この聖騎士が指揮リーダーをするパーティーならば問題ないだろうと判断した。

 黒衣の男の仲間一覧パーティーリストに5人の名前が表示される。


 【1】キース・カルナス

 【2】バッソ・ガーレン

 【3】キャストレイ・ティーノ・ルット

 【4】マクウェス・オルソナ

 【5】メルファー・カルティエ


 そしてキースたちの仲間一覧パーティーリストには新たにNo.8エイトという名が加わっているだろう。


「あと三十五秒! ギリギリまで攻撃だ!」


 キースのげきが飛ぶ。

 バッソが連続的に敵対意識の増幅技ヘイトスキルを使用し魔王の攻撃を受け持つ。

 キャスティはそのバッソとエイトに【風精霊の守りプロテクション】をかけたあと遠距離からの精霊術。

 マクウェスはバッソに【防御能力向上ディフェンスブースト】、エイトには【肉体能力向上ポテンシャルブースト】をかけたあと、精神力の許す限り火炎系上位魔術をゴルゴヴァへ向けて放つ。

 メルファーは仲間に何かあればすぐに治癒術が使えるような位置取りで待機。キースはメルファーを守りつつ、槍術武技ランススキルを繰り出していく。


 キースたちのパーティーが果敢に魔王ゴルゴヴァに挑む様子を見て、周りの者たちも攻撃に加わる。

 あちこちから魔術、精霊術、武技の集中砲火が炸裂し、ゴルゴヴァのいる付近はまるで七色に発光しているかのようだった。


「【四幻残影クアッドミラージュ】!」


 超速移動による攻撃で、二回攻撃と同等のダメージを与えることが出来る【幻残影ミラージュ】の超上位武技ハイクラススキルを使用した黒衣の男――エイトの攻撃がゴルゴヴァの四本あるうちの一本を斬り飛ばした。

 どこかで「おお!」という感嘆の声があがる。


「全員退避! 魔王やつから離脱しろ! 三メートル以上だ!!」


 キースの合図でパーティー全員が散開する。それは他の者も同じだった。

 周りに誰もいなくなった瞬間、ゴルゴヴァは三本の腕を水平に構えてコマのように回転し始めた。

 周囲にいる敵に対しての近接範囲攻撃は、誰にも被害が出ることは無く、その回転攻撃が終わると同時にゴルゴヴァが膝をつく。

 今までの攻撃が蓄積された負荷ダメージとなって魔王の膝を折ることに成功したのだ。


「【破槍の一閃ノーヴァスラッシュ】!!」


 その機を逃さずキースが聖槍を投擲とうてきする。

 閃光と共に高速で放たれた聖なる槍は、魔王ゴルゴヴァの四つの目の中心に突き刺さった――途端にピシリッ、という乾いた音と共に顔面に亀裂がはしる。

 そこに追い討ちをかけるようにマクウェスが魔術の一撃を放つ。


「【紅蓮の槍フレイムランス】」


 炎の槍が、魔王の顔面に突き刺さったままの聖なる槍を押し込むようにして炸裂すると、頭部が弾け跳び巨体全体に亀裂が奔ったかと思うと、バリンという音と共に崩れていく。


「おおおぉぉぉ!」

「ついにやったぞ!!」

「魔王を倒したぞぉぉ!」


 大空洞に歓喜の声が響く。

 この《果て無き深奥しんおうへの大迷宮ラビリンス》に入る時には九十六人いた討伐隊は、今は二十人弱までとなっている。多くの犠牲を払うこととなったが、それでも魔王討伐という偉業を成し遂げたのだ。

 そう誰もが思っていた。


「「まだ終わっていない!!」」



※  ※  ※



 真っ先に気づいたエイトとキースの叫びが重なる。

 崩れゆく魔王のいた場所に人影のようなものが一つ。

 それは先の魔王の巨体に比べるとあまりに小さく、大柄な人間と大差ない背格好だったが、その身体全体は鱗で覆われ、まるで黒い甲冑を着ているかのような光沢を放っている。

 顔は身体とは対照的に白い能面マスクをつけているようで、額から顎先まで縦に一筋の黒い線が引かれていて、妖しげに紅く輝く二つの目が不気味さを伝えてくる。


「な、なんだあれは? 魔王なのか?」

「倒せたんじゃないのか」


 戸惑いと疑問が場を支配するが、無闇に攻撃を仕掛けたりしない。いや、相手の正体がわからなくてうかつに手が出せない、という方が正解だろうか。

 多くの者が倒されたとはいえ、討伐に参加した者は皆、手練れの冒険者や熟練の軍人の集まりだ。前の魔王とは魔力も身体も小さくなったというのに、本能的に以前よりも警戒すべきだと認識していた。

 

 誰もが身構えたまま固唾を飲む中、先に第二形態とも言うべき新たな魔王ゴルゴヴァが動いた。


「ぐあぁぁぁぁ!」

「ぎゃぁぁ!」


 悲鳴が上がる。

 全員がゴルゴヴァを注視していたはずだった。にもかかわらず、その動きに対する反応が遅れた。恐るべき速さだった。

 白い能面が、まるで浮遊する鬼火ウィル・オー・ウィスプのように、空間に青白い軌跡を残して移動するたびに、討伐隊が悲鳴をあげて倒されていく。


「うろたえるな! 相手は物理攻撃での接近戦だ! 動きを止めて取り囲むんだ!!」


 キースが浮き足立った討伐隊に活を入れるが、魔術師や僧侶などの霊魔術師ルーンマスターでは、動きが速すぎて術の詠唱が間に合わない。動きを止めるどころか自分の身を守ることすらままならなかった。


「まずいぞキース! このままでは全滅しかねん!」


 ガシャガシャと鎧を打ち鳴らしながら、バッソがキースの元まで駆け寄って来る。


「わかっている! 俺が魔王やつを抑える。バッソはマクウェスとメルファーを守って――」

「出る! 魔術師! 【敏捷能力向上スピードブースト】を!!」


 キースの言葉を遮ってエイトがマクウェスに叫ぶ。

 エイトの行動は正義感でもなければ、使命感に突き動かされてというものでもない。

 彼は道具だ。そのような感情を持ち合わせていないし命を惜しむこともない。隠れ家ハウスに戻れずここで命が尽きるのならば、たとえ雇い主もちぬしがいなくなったとしても、その用途いしに従って行動を起こすのみ。

 有無を言わせぬ強い意志を感じ取って、マクウェスはエイトに強化魔術バフをかけた。続いてエイトの双剣に一時的に強度と切れ味を上昇させ、破魔の効果もあわせ持つ魔力を付与し、メルファーが一定時間継続して癒しの効果を与える【慈愛の羽衣リジェネ】をエイトに唱える。

 最後にキャスティが「生意気な奴!」と毒づきながらも【風精霊の守りプロテクション】をかけた。


 支援を受けたエイトがゴルゴヴァへ向けて駆け出した視線の先では、味方への攻撃フレンドリーファイアも辞さない魔術の攻撃が放たれていた。

 戦士の一人が決死の覚悟で、自らの腹に刺さったままのゴルゴヴァの腕を掴み、一瞬だけではあるが動きを封じる。そこに魔術師の【火炎球ファイアボール】が炸裂する――かと思われた。

 だが。

 ゴルゴヴァは戦士を貫いたままの腕を横に振るい、その勢いによって戦士の身体は振るい飛ばされ、向かって来る【火炎球ファイアボール】に激突して爆発を起こす。 

 ゴルゴヴァはその爆炎を突っ切って魔術師に迫り、剣のように硬質化させた腕を振り下ろすと魔術師の身体を一刀両断した。

 そこにエイトが迫る。

 二本の剣を肩に担ぐように振りかぶり、迫った勢いを乗せて大上段から二刀を振り下ろす。

 そのエイトの攻撃を、振り向きざまにもう片方の硬質化した腕で受け止めるゴルゴヴァ。

 剣と剣がぶつかり合った音が大空洞に木霊したことを皮切りに、剣戟が続く。

 一撃の剣の重さはゴルゴヴァ。速さはエイトが上回る。

 初めの内は互角のように見えた攻防はすぐにエイトが押され始める。

 速さを生かした手数で攻勢に出たかったが、ゴルゴヴァの重い一撃を防ぐのに手一杯になり、堪えきれずにどんどんと後退する。そこへ――


「下がれ、エイト! 【幻残影ミラージュ】!」


 聖槍をたずさえたキースが駆け寄る。

 背後から聞こえたその声に、エイトは咄嗟に横へと跳ぶ。


「【破槍の一閃ノーヴァスラッシュ】!!」


 攻撃力の増幅されたの槍がゴルゴヴァに命中し、数メートル後方へ吹き飛ばした。


「たたみ掛けるぞ!」


 引き戻しアポートにより手元に戻した聖槍を構えつつ、間合いを詰めるキースに併走するエイト。

 先ほどのエイトとゴルゴヴァとの闘いでは、手数で押し切れなかったが今度は2対1だ。押し返すまでにはいたらなかったが、互角の攻防まで持ち込めることが出来た。

 目まぐるしく打ち合うたびに霊力と魔力の火花が激しく散る。

 超接近戦での戦闘にバッソたちは加勢することが出来ない。下手に手を出そうものなら、二人の邪魔になり兼ねないからだ。


 エイトとキースが魔王との戦闘に入って数十分が過ぎただろうか。

 今は互角で凌げているが、遅かれ早かれ均衡が崩れ、自分たちが押されるだろうとキースは感じ始めていた。

 魔王の無尽蔵とも思える体力に対してこちら側には限界がある。

 仲間たちが絶えず支援をしてくれているが、精神力もそろそろ底をつくだろう。そうなれば一気に形勢は傾く。

 そんな思いがチラリと頭の隅をよぎった。

 通常の戦闘ならば、それは隙と呼ぶほどのことでもなかった。攻撃の手が緩んだわけでも、体捌たいさばきに乱れが生じたわけでもない。だが見た目上は変化がなくとも"場"の流れが変わる。それは対魔王戦においては致命的となった。


 ゴルゴヴァの前腕の刃アームブレイドがキース目がけて振り下ろされる。

 今まで幾度となく躱し弾いてきたその攻撃を、その瞬間だけは対応しきれなかった。


(殺られる!?)


 そう確信したキースだったが、弾き飛ばされ、結果としてゴルゴヴァの攻撃を躱すことが出来た。

 横合いから、エイトが肩口をぶつけるようにキースに体当たりをして前腕の刃アームブレイドの軌道から逸らせたのだ。が、代わりにエイトがゴルゴヴァの凶刃に身を晒すことになった。

 パッと血飛沫ちしぶきが舞う。


「エイト!」


 キースにはエイトが両断されたように見えた。

 しかし、間一髪、バックステップで躱したエイト。

 額から顎先まで浅く斬りつけられた為、顔を覆っていた黒い包帯が、ハラリと解けて素顔があらわになる。

 自らの血で赤く染まったその顔は、まだ幼さを残す少年のそれだった。


「聖騎士! 三十秒、持ちこたえろ!!」


 鋭く覇気に満ちた声を飛ばす。

 もはや仲間たちの精神力も尽き、強化魔術バフ回復ヒールの援護が無い今の状態では、ゴルゴヴァとは数合すうごうも打ち合えないだろう。

 不可能と思える指示。

 しかし、キースは寸分の迷いも無く反応する。 


「――我、ルテミスの御名のもと神聖騎士ディバイン》と成りて邪を討ち払わん」


 略式化された真言しんごんって、一時的に神の御業みわざの一端をその身に宿らせ擬似的な《神威カムイ》と化す。


「【神格武装アームド】!!」


 続けて開封の術式キーワードを唱えるとキースの持つ聖槍が変化した。

 一本刃だった槍先が、三又槍トライデントに形を変え、同時に聖槍から蒼い霊気が溢れ出し、そのままキースの身体を包み込んでいく。

 キースは頭上で槍を数度回転させると、矛先をピタリとゴルゴヴァに向けた――次の瞬間、大地を蹴り上げ、放たれた矢の如く一直線に突き進んでいく。それはまるで、一筋の蒼い閃光のようだった。


 突き出された蒼い一閃を、ゴルゴヴァは剣と化した両腕をX字クロスして防ぐと、腕を打ち払って槍先を押し返す。

 その反動で両者の間に間合いが開く。

 間を置かずキースが攻める。

 今は槍の間合いだ。内に入り込まれれば勝機は無い。ゆえに防戦はあり得ない。最大級の攻撃をもって防御とする。


「【破槍流星撃シューティングランス】!!」


 防御を捨てた十連撃。

 神格化された聖槍は、並の魔法武具であれば紙切れの如く切り裂くことが出来る。しかし、ゴルゴヴァの硬質化した前腕の刃アームブレイドは、破邪の霊槍を弾き、時には受け流して凌ぎきる。

 連撃の間、いく度かはゴルゴヴァの身に届きはしたが、致命傷には遠く及ばなかった。


「――かはっ!!」


 無呼吸による十連撃が終わると、身体中が新鮮な空気を要求した。


「――ハァ、ハァ、ハァ」


 通常戦闘ではありえない疲労感。

 一度や二度【破槍流星撃シューティングランス】を使った程度では疲労などあり得ないが、一種の神降ろしである《神威カムイ》を使った代償は大きい。意識があること自体驚きに値すると言っても良いだろう。

 

 片膝を突き、槍を支えにしてなんとか上体を支える。

 今攻撃されれば対応が出来ないが、ゴルゴヴァからの追撃は来なかった。


「!?」

 

 何故と疑問が浮かぶより前に、背後に感じた濃密な圧力プレシャーに振り返る。

 肌がチリチリとするようなそれは、キースが纏った蒼い霊気とは対象的に、妖気にも似た漆黒の禍々まがまがしさを漂わせる霊気だった。

 バチバチと帯電した電気のような霊気を纏ったエイトが、ゴルゴヴァへと突っ込んで行く。

 キースが蒼い閃光ならば、エイトは黒い雷光だろうか。

 エイトの武器は二本の小剣ショートソード。キースがゴルゴヴァの間合いの外から攻撃していたのに対して、エイトは間合いの内に入らなければならない。

 間合いを詰める為、向かって来るエイトにゴルゴヴァは左のうでを振り下ろす。

 左手の小剣ショートソードを横薙ぎに振るって合せるエイト。


 打ち合った瞬間、落雷にも似た激しい轟音がとどろき、黒い霊力と紫紺の魔力が溢れ、その場にいた者の視界を覆い尽くした――



              ――未了――

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とある戦場。 維 黎 @yuirei

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