時をかけるトロ

青海老ハルヤ

時をかけるトロ

 まぐろのトロが部屋にいた。そいつは、小学校入学の時に買ってもうボロボロになった椅子の上にちょこんと座っていて、身体? についた椅子の布のカスを一生懸命に落としていた。僕は思わず部屋のドアを閉めた。


 僕の目がおかしくなってしまったのだろうか? そう思った僕はスマホで撮影しながらもう一度ドアを開けた。たまたま家には僕しか居なかったので、あとで兄さんに見てもらおうと思ったのだ。するとそいつは、甲高い声でこう言った。


「おい! なに俺に変な板を向けていやがる!」


 見ると、四角く切られたトロの真ん中に、漫画から飛び出してきたんじゃないかと思うような顔がついていて、それにしめじのような白い手と足が生えていた。あまりにも現実味がなさすぎる光景だった。僕はまた驚いて、スマホを落としてしまった。やばいお母さんに怒られる、とは思ったがそれどころじゃなかった。だってトロのそいつは生きていて、カスをしめじの手で落としながら怒鳴るんだから。


「君はだれ?」と僕は聞いた。もちろん、落ち着くのにだいぶ時間はかかったけれど。するとそいつは椅子の上で立ち上がった。そして、僕の方を指(しめじ)で指して、


「人に質問するときゃあ、まず自分から名乗るのが礼儀ってもんだろ! てめえ誰だ!」


なんて言うのだ。仕方なく僕はそいつに自己紹介をした。


「僕はマサトって言うんだ。年齢は16歳。高校生だよ。それで君は?」


 でもそいつはそんなことは後回しとばかりにこう聞いてきた。「おい、今は冬なのか?」と。「違うよ、今は夏」と言うと、そいつは驚いて、「こんなに涼しいのにか⁉」と叫んだ。とても声が高いので頭が痛くなりそうだった。


「違うよ、これ、クーラーって言うんだけど、部屋の中を涼しくしてくれるんだ。外はすごく暑いよ」


 いい加減その現実味のなさに慣れてきた僕はそう教えた。そいつは少し言葉を失ったあと、「そんな時代が来ちまったのかあ……」と感動したように呟いていた。


 少しして、「俺はタイムスリップしてきたんだ」と言い、自分は机の上に飛び乗って僕に椅子を勧めた。僕が座るとそいつは色々なことを話し始めた。


 まず、そいつがまぐろのトロであることに間違いはないらしい。「気づいたら俺はまな板の上で動けるようになってた」という。そして、皿に載せられた時、直感的に食われると気づいたとか。


「そんときの俺はな、もうとにかく余裕もねえってんで、ひたすら逃げた。右も左も分からず、食われないためにひたすら逃げたんだ。そしていつの間にか俺はタイムスリップしてた。変な感じだったよ。訳がわからないのに時間を飛んだことが分かるっつうか……。言葉じゃ説明できん。

 そうして来た時代は、文政5年とか言ったかな、よく分からんが、なんか町全体がバタバタしていた。嫌な雰囲気だったが、町の人は明るかったな」


 そんな時、トロは酔っ払いに食われそうになり、タイムスリップ。次の時代は大正だったと言った。そこで今度は子供に食われかけ、タイムスリップして――今に至る、と。


「なんでその時代の年号が分かったの?」と聞くと、「その時代ごとにな、マサトみたいに話聞いてくれるやつが居たからだ」とトロは言った。


「よく君みたいに高飛車な……トロ? が毎回そんな人に会えたね」


「るせえ、文政の頃にお世話になった女にこうしろって言われたんだよ、そっちのがモテるからって」


「モテるの? 君」


「それでだ」トロは会話をぶった切って続けた。


「俺は多分、食われかけたらタイムスリップするようになってると思うんだよ、最初のときも多分犬かなんかに食われかけたんだな。だからさ、守ってはもらねえかな。死なねえとはいえ怖いんだ、なっ」


 トロはハエのようにしめじをスリスリこすりながら頭? を下げた。仕方ないので、僕は僕の部屋で隠れているように言った。






 次の日、「飴が食べたい」とかトロが言うので、久しぶり買い物に行くことになった。外に出たのは久しぶりだった。


 そもそもトロが飴を食べるとか色々と意味不明なのだが、細かいことはどうでもいいと言う。細かくないと思う。


 前が大正時代ならきっとイチゴ味とか、そういう色んな味があるものは食べたことないだろう。そこに至るまで散々迷って、僕はたくさん味の種類がある飴の袋を手に取った。


「おっマサト、久しぶり」


 声の方向を見ると、名前も分からないクラスメイトが居た。向こうが覚えているのが少し気まづかった。


「最近はクラス全員文化祭の準備が忙しくてさ、人手が足りないんだよ。ちょっとだけでいいから来れない?」


 彼はそう言った。優しい子なのだと分かった。僕は「考えとく」とだけ言って立ち去った。彼は「そか」と笑っていた。






 2日経って、僕はトロにスマホを貸したことを後悔した。というか色々と後悔していた。やれアイスとやらを食ってみたいだの、ドリップとかいう赤い液体を拭けだの、とにかく面倒くさいやつだったのだ。なんでそんなん知ってんだよ、と思ったが、スマホはなんでも出来るからしょうがない。初日に家から放り出すべきだったと思う。


 だが、今回のはさすがにヤバかった。トロはいつの間にやら、SNSに自分の映像を投稿していた。謎すぎる生物ということで瞬く間に人気が出て、テレビの取材やらなんやらの連絡でDM欄がとんでもない事になってしまった。親にもバレて叱られた。理不尽だ。


 なんで過去から来たのにスマホをそんなに使えるのか聞いたところ、「なんか分かった」とトロは言った。さすがにふざけているのかと怒ったが、トロはゴメーンとだけ言ってあとは何も言わないので仕方がなかった。


 当然、全ての誘いを断ろうとしたが、トロは「テレビだけ出たい!」と言った。僕はテレビに出るなど考えられないのだが、もうその自分勝手さにも疲れてきたので、1社だけ出させることにした。そして僕の想像を超えてバズり、次のオファーが舞い込むようになっていき、どんどんとそれを受けていって――そしてトロは一世を風靡した。






「いやー、こんなに楽しいのは産まれて初めてだわ! テレビって楽しいな!」


 ガッハッハとトロは高い声で笑った。トロに人気が出てもう1ヶ月になる。僕はマネージャーのようなことをさせられていた。


「俺一生この時代にいるわ! ガッハッハ」


 飴を舐めながら彼は笑った。レモン味がお気に入りらしい。


「あのさ、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」


 僕は思いきって言った。ずっと聞きたかったことがあった。


「なんでそんなに君は前に出て行けるの?」


「ん? 前に出てくって?」


「僕はさ、そんなに自分からなにか出来ないよ、君みたいに」


 質問には答えずに僕は言った。ざまあみろ、ずっと強情で通してきた罰だ。堰が切れた。初めての感情だった。いや、意識したのが初めてなだけで、元々持っていたのかもしれない。


「君みたいにさ、自分からなにかに挑戦したり、何かやりたい事見つけたり、僕にはそんなことできない。なんで君には出来て僕には出来ないのさ、なんで!?」


 トロは黙って聞いていた。だから僕は続けた。涙が出てきた。


「君みたいに強情で、周りの言う事聞かなくて、それだと周りが迷惑して、世の中が上手く回らないはずなんだよ!? なんで君はそうやって自分勝手できるの!?」


 良い子でいなさい。そう教わってきた。良い子で居続けてきた。それが爆発したのは今年の春だった。


「君のマネージャー出来てたのもさ、ずっと学校に行ってなかったからなんだよ。不登校なんだ僕。別に君が来たからじゃなくて前からだけどさ、ねえ、」


どうすれば君みたいに――


「うるせえ! しみったれてんじゃねぇ!」


 トロが叫んだ。その甲高い声に思わず口が止まった。


「いいこと教えてやる。まぐろで一番人気なのは中トロ、次に赤身だ。そんで、俺は大トロだ」


 何を言い出したのかさっぱり分からないでいると、「お返しだ」とトロはニヤリと笑った。そしてトロは机の上に登った。


「大トロみたいなのはな、1部のやつにめっちゃ好かれるんだよ。だけど、赤身の方が広く好かれる。1番好かれるのはその中間だけどな、今ここにはいねえから省くぞ」


 どうやら僕は赤身役らしかった。


「大トロはな、だから、出来るだけ脂をいっぱい持ってなくちゃならねえ。そうじゃないと大トロとして好かれねえ。だから俺は強情、自分勝手で人気が出た。な?」


 確かに、最初のインパクトで売れたところもあるが、外見とキャラのギャップが1番人気が出たところだった。


「だが、それは1部に好かれるだけだ。結構俺の嫌いな奴も多いだろ。逆にマサトを熱狂的に好きなやつはいねえが、嫌いな奴は少ねえ。それにな、」


 大トロは、我慢しなきゃ中トロにはなれねえが、赤身はちょっと解放すりゃ中トロになれるんだ。難しさは人によるだろうけどな。1番楽しいところを探しな。それが人生ってもんだろう。






 しばらくどちらも声を出さなかった。次に僕が声をかけた時、30分は過ぎていただろう。


「君は、中トロになろうとは思わないの?」


 ふと思い立って僕は聞いた。また少し悩んだ後、トロは、


「それは性分だな。モテねえけど」


そう言って笑った。






 トロが居なくなったのはそれからまもなくの事だった。お金を沢山使って自分の身を守り、何とかしてこの時代に残ろうとしたらしい。その時には、トロはもう僕の手を離れていた。だけど彼はどこかに消えた。猫かなにかに食われかけてしまったのだろう。トロが消えたというニュースに日本中が悲しんだが、それもすぐに忘れられた。結構残っていたお金は僕に相続されたらしい。面倒なので親に全部任せた。税金とか何とか、少し慌てているようだったのが面白かった。


 僕は、忘れられたくないと思った。真面目に、堅実に戦った人として名を残して、そしてトロに届いて欲しいと。


 だから僕は勉強を始めた。不登校の分もなんとかしなきゃいけなかったけど、何とかしてやろうと思った。椅子と飴を買った。

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時をかけるトロ 青海老ハルヤ @ebichiri99

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