第22話:元奴隷少年と王子様

 ヴァネッサとアウローラがカード遊びに興じていた頃。

 朝の仕事を終えたエルクは、高級別荘地の一角を訪れていた。


「小僧、何の用だ」


「村長の息子です。ヘクトル王子殿下の案内を頼まれました。これを見せれば良いと……」


「……うむ。通れ」


 ヘクトルから貰った通行証を見せて、門番の間を通り抜けて。

 自分たちの暮らす家とは比べ物にならないほどに大きく立派で、鮮やかな太陽を照り返す、見事な化粧石で飾られた豪邸が数棟連なる区画に立ち入る。

 このエリトリアの王族や、外国の要人たちを迎える最上級の別荘地だ。


「えぇと、3番の別荘でしたよねっと」


 村の道とは明らかに違う石畳に、まるで王国に帰ったような懐かしさを覚えつつ。

 てくてくとヘクトルの滞在する邸宅に向かう。

 扉の前の守衛に、先程と同じように通行証を見せると中に通された。


「あれが、宝剣デュランダル……触ったら怒られますよね……」


 座った椅子の正面、純白の石壁に掛けられた宝剣。

 武器にこだわらないエルクでも、国宝と呼ばれる剣に興味はあった。

 とはいいつつ、見てるだけと足を抑えて暫く眺めていると。


「おお、エルク。思ったより早かったな」


 絵の具まみれのエプロンを付けたヘクトルが、ベランダに作られた彼のアトリエから顔を出した。

 慌てて立ち上がったエルクが深々と頭を下げると、彼は機嫌良さそうに言葉を続けて。


「着替えてくるから、少し待って……うっ」


「殿下!? 大丈夫ですか?」


 立ちくらみを起こしたように、壁に手を付き目を閉じる。

 慌てた少年が肩を支えると、王子はすぐにケロッとした様子で立ち直った。


「あぁ。問題ない……この国は暑くてな。少し風邪を引いたかもしれん」


「無理をなさらないほうが……」


「そうかもしれんな。では、少し茶に付き合ってもらおうか。出かけるのは後でも良い」


「はい。喜んで」


 むしろ出かけないほうが助かるなぁ。とエルクが思い始めたところで。

 二人はテーブルに向かい合うと、召使いが次々茶と菓子を用意し始めた。

 色とりどりの宝石のような茶菓子を物珍しそうに見て行儀悪くつつく少年に、王子は微笑む。


「……なんだ、ヴァネッサのところで見慣れていたのではないか?」


「食べるために出されたのは初めてです」


「あぁそうか、今日の貴殿は客だからな。好きに食べていくと良い」


 夢中になって菓子を頬張るエルク。

 ヘクトルは美味しそうに食べる彼に満足したように頷くと。


「いくつか、質問がある」


 彼の目の奥で、鋭い光が走った。

 どうぞ。と一言返した少年は息を呑み、追求を受ける覚悟を決める。


「貴殿が王国を離れた時、乗った船は何だったのだ?」


「クイーン・アステリア号です。クラーケン騒ぎで大変でした」


「ふむ。では、貴殿ほど実力のある戦士が、どうして甲板に出て戦わなかった?」


 まずい。と少年のこめかみを冷や汗が流れた。

 口ぶりから察するに、普通なら執拗に転覆を狙って甲板に絡みつくはずのクラーケンと戦っていたのだろう。 


「あの船には俺も乗っていてな。一つ気になっていたんだよエルク」


 だからこそ、二等ラウンジに大穴を開けて、支配の笛ドミナートルによって帰らされたクラーケンに違和感を覚えたのだと。

 それに気付いて、少年は全力で頭を回す。


「……何をですか?」


 逃げるとしたら、どう逃げるのが適切か。

 そう辺りを一瞬見回して、少年は時間稼ぎの言葉を探す。

 王子は一度不敵な笑みを向けると表情を消して。まっすぐに彼の瞳を見つめた。


「クラーケンは、あの船を襲った訳ではないのではないか?」


 言葉を失うエルク。

 ヘクトルの背後からじくじくと溢れる黒い気配に、彼は喉を握りしめられたように感じて。


「では、もう一度聞こう」


 必死に呼吸をする少年に、王子はゆっくりと。

 頭から押さえつけるような声で聞いた。


「貴様は、どこで、”誰と、何を”見た?」


「っ!! そ、それは……」


 ヴァネッサのことはバレている。しかも支配の笛ドミナートルのこともだ。

 エルクは完全にそれを理解して、氷魔法を唱えようと覚悟を決めた。

 いくら王国最強の軍人ヘクトルでも、宝剣を持っていない今なら一撃くらいは当てられると。

 必死に隙を伺う少年の前で、王子がいきなり素っ頓狂な声を上げて崩れ落ちた。


「教え……あぁ!? 時間切れかよ!!」


「え?」


 時間切れ? と彼の言葉を理解できないまま、意識を失ったヘクトルを支えて椅子に座り直させる。

 数分ほど規則正しく息をしていた彼が、ぱちっと目を見開いた。


「ん? 頭痛が酷い……軽く水を浴びてくるよ。すぐに出かけようじゃあないか」


「だ、大丈夫ですか?」


 目を見開いた王子からは、つい先程まで出ていた黒い気配は一切消えている。

 そんな彼はぐいっと伸びをすると、軽く肩を回して跳ね起きた。


「景色を描くのに、日を浴びすぎたのだろう。こういう時は身体を動かすに限る。少し待っていろ」


「えぇ……?」


 今さっきまで自分を追求していたヘクトルとは全く別人の様子で。

 しかもそれを覚えていないということに首を傾げたエルクは、しゃきしゃきと風呂場へ向かう彼の背中を見送った。


「た、助かった? 今のは一体……」


 こうして観光に出かける二人の背後で、壁に掛けられた宝剣デュランダルがぎらぎらと不規則に輝いていた。

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