推測:火災を起こす絵画

九十九 千尋

これは「オカ研」の活動の記録、そのひとつである。


 これは「オカ研」の活動の記録、そのひとつである。


「む? 今日は一人か」


 都内の私立浦島屋高校の技術棟二階にある家庭科調理室……の隣に家庭科調理準備室という部屋がある。多くの者にとってはただの小さな部屋だが、彼ら「オカルト研究部」の者には別の意味がある部屋である。


 ここは僅か五人のオカルト研究部の部室。通称「オカ研」の部室である。


 その部室に入ってきたのは二年の春白はるしろ トモヤという男子で、勉強の虫にして何事も真面目に科学的に考える、オカルトには全く不向きの男子である。

 部室には一人、机に突っ伏して僅かに挨拶を行ったのだと思える音を発した部員が一人。その部員は一年の青新あおあら シンジである。

 いつもはスマホに、その向こうの彼の意中の相手である彼のクラスメイト、黄沼きぬま ミオという女子が興味の中心になっている、分りやすい男子である。


「トモヤ先輩ぃ……聞いてくださいよぉ」


 シンジが泣きはらした顔を机から上げてトモヤを見る。

 トモヤはその涙か鼻水だかよだれだか顔なのか判断付かない顔を汚い物を見るような目で見て、即座にポケットティッシュを取り出して投げつけつつ応答する。


「なんだ、もしやミオにアタックして玉砕でもしたのか?」

「違います、まだっす……告白なんてそんな勇気ないっす……」


 鼻をかみ、顔を拭き、もう一度鼻を大きな音をさせながらかんだ後、シンジは自身が突っ伏していた机を拭きながらトモヤの方を視ずに囁くように経緯をぼやく。


「ミオちゃんに、自分が知ったオカルト話をしたんすよ……ところがその反応が」

「なんだ? オカルト話に怒るような奴じゃないだろ、ミオは」

「それがっすね……」



 シンジが言うには以下のようであった。

 トモヤが来る数十分前のこと。この部室でミオとシンジが二人きりで、されど恋人同士という距離感ではない甘酸っぱい距離感で離れて、他愛のない世間話に花を咲かせていたのだが会話がふっと途切れるタイミングがやってきた。シンジはその一瞬に唇を思わず噛みしめ、自身が最近知ったオカルト話を持ち出した。


「ねぇ、ミオちゃん。オカルトの話、最近一個知ったんだけど、聞く?」

「え? 怖い話? どんなのどんなの!?」


 当然、オカ研の部員であるミオにとってオカルトの話は好物である。

 シンジは咳ばらいを一つ、気合を入れて、受ける期待の視線からの恥ずかしさを噛みしめながら話を始めた。



 泣く少年の絵——


 1985年、イギリスで奇妙な火災が起きた。

 家屋が全焼するような大規模な火災であったが、その火の中で唯一、『涙を流している少年の絵』だけが燃えずに残っていたのだ。

 火災現場の炎の中で消防隊員は見た。目に一杯の涙を蓄えた少年の目が、こちらを見ている。

 火災現場の煙の中で消防隊員は聞いた。『お前も燃えろ』という声を。


 他の消防隊員に話を聞くに、どうやら同じように『涙を流している少年の絵』が火災現場に、焼けた家屋の炭や灰の中から無傷の絵が見つかることが何件も、何十件もあったという。


 それらの奇妙な火災を通じて、その呪われた絵の正体が、ルーツが探られた。どうやらその絵は、イタリア人画家が描いた物で少年にもモデルが居たと……

 少年は俗に言う“パイロキネシス”つまり、物に触れずに発火させる力を持つ特別な少年であり、それが故に孤児となり、画家に引き取られたものの、その呪われた体質故に虐待を受けたというのだ。

 そのイタリア人画家は、火災で亡くなっているというのが証拠だと……


 イギリスでこのことは新聞に乗り、そのことを記事にした新聞社に約二千枚を超える『涙を流している少年の絵』が送り付けられることになった。新聞社はこれを焼却……呪いは去った、はずである。


 未だどこかに『涙を流している少年の絵』が残って居なければ……



「って話、どう!?」


 シンジは鼻息荒くミオの顔色を窺った。が、ミオはシンジに向き直らず、自身の爪の具合をまじまじと見て一言。


「ふーん」


 その一言どころか一音ともいえる物を聞いて、シンジは頭が真っ白になった。

 ミオがそんなシンジの様子に気付き、取り繕うように何かを言っていたがシンジにはまるで届かなかった。

 気が付けば部室に一人、ミオは何時の間にか居なくなっていた。



 トモヤもまた、その話を聞いていて途中から退屈を感じ始めていた。

 シンジがミオから思ったような賞賛が得られなくて落ち込んだだけという“どうでもよかった”感と、と見抜いてしまったからだった。

 話を終えてシンジは今一度机に突っ伏して「もうおしまいだ」と泣き始めながらトモヤに問う。


「トモヤ先輩、どこが、何が駄目だったんですか? ちゃんと怖い話でしょ!?」


 トモヤは自身の顔に「面倒くさい」と書かれているのを取り繕わずにバッサリと切った。


「いや、正直詰まらんかった。それはオカルトというより、オカルトっぽく騒いだだけのただの普通のことだ。その話にはおかしな点がある」

「ふ、普通!? え、おかしな点ってどこが!? どういうことっすか!?」


 シンジが泣きはらした目をしながら飛ばした唾を、トモヤは避けるようにしながら咳ばらいを一つ。


「まず、呪われた絵だというのに新聞社に二千枚も送られてくるとはどういう状態だ?」

「え、そりゃ、二千枚ぐらいあったんじゃ?」

「そのうちで火災を起こしたのは? 先ほどの話だと数十件だということだが、確率的に百分の一ぐらいということになる」

「じゅ、十分に多い、んじゃあないっすか?」


 首をひねるシンジにトモヤは首を振る。


「『殺人鬼全員がパンを食べたことがある。よってパンは危険だ』という話を知って居るか? それと同じことだ」


 シンジは手を打ってその話の内容の確認を取る。


「確か、“バーナム効果”って奴っすよね。パンぐらい誰でも食べてるんだから、パンを食べてたかどうかは関係ないのに大げさに、さもその通りであるかのように言う。嘘ではないが誇張されてるって奴」


 トモヤは頷いて話を戻す。


「正確にはバーナム効果じゃないが、まぁこの際分かりやすく想像できたなら良い。今回の場合、『火災現場に絵があった。よって絵が危険だ』と誇張された話だったと考えられる。そもそも、呪いの絵であるなら火災は絵の数だけ起きていたはず。数十件で収まるわけがない」

「そこは……なにか条件があったとか?」

「そうだな。寝煙草やストーブ付近の洗濯物、不審火という条件が必要だったかもしれない」


 ムッとしながらシンジは疑問を呈する。


「でも、そもそも『火災にあったのに絵が燃えなかった』ってのは奇妙じゃないっすか。そこはどう説明するんすか? 普通は火災にあったら絵は燃えるっす! でもこの都市伝説の絵は燃えてなかった。普通じゃ考えられないのは呪われた絵だからじゃないっすか!?」

「いや、全然」


 トモヤはシンジの荒くなった鼻息を吹き飛ばす様に冷静に、今一度バッサリと切った。

 シンジもこれには眉間にしわを寄せながら訴える。


「いやいやいや! 普通は絵は燃えるでしょ!?」

「いいか、シンジ? 火災で絵が燃えないことはあり得るんだよ」


 はい?

 と顔に浮かべながら固まるシンジに、トモヤは言い聞かせるように実例を挙げる。


「確か、この話は1985年のイギリスという話だったな。ということは、硬質繊維版が既に世界には出回っている年代だ。であるなら、そこにワニスを塗った可能性がある」

「こうしつ、せんいばん? わにす?」

「硬質繊維版は主に家具や建築に使われる素材で、最大の特徴は表面に塗装などがしやすいことだ。絵を描くための下地に選ばれておかしくはない。特に、絵の複製品などを何千枚も大量生産する時は重用されていたらしい。仕上げに、絵の保護のためにワニスを塗る。ワニスの耐熱温度は百度を超える。これで、燃えにくい絵が出来上がる」


 シンジは少し口を開け閉めして、されど納得がいかないと抗議を続けた。


「いや、でも、でも火災になったら百度なんて通り越すんじゃないっすか!? 画材が燃えなくても表面は真っ黒に焦げるでしょ!?」

「そういうと思った」


 トモヤはシンジとは対照的に涼しい顔で応える。


「想像してみろ。絵を飾る時、どういう風に飾る?」

「え? そりゃ、額縁に入れて」

「その額縁をどうする?」

「壁に……釘を打って、そこに吊るすっす。紐で」


 トモヤはそれだ、とシンジに迫る。


「額縁が紐で吊るされ、絵は壁に平行から少し斜めに、前かがみになった状態になるだろう。流石に紐まで耐火素材ではないだろうから、この状態で火災に遭えば紐がまず焼き切れる。額縁を吊るす紐が切れたら、この場合は絵が描かれている方が下になる形で額縁は床に落ちるんじゃないか?」


 シンジは脳内で、絵が床に落ちる様を想像し、そしてどこか納得し始めてしまっていた。

 トモヤは結論を告げる。


「火や熱に強い絵が、絵の描かれている方を下にして床に落ちたので、燃えなかった。そもそも二千枚も流通するような大量生産品だったので、火災現場に偶然有った。これが、真相だろう」

「も、モデルの子が、パイロキネシスとか」

「作り話だろうな。画家が火災で死んだことが良いネタにされたんだろう」

「そんな身も蓋も無い」


 シンジはそれでもどこか納得がいかないようでごねる。


「でも、あの……」

「なんだ? まあ、確かにすべて憶測の域を出ないからな。もしかするとオカルト的な火災がゼロではなかったとした方が、話としては面白いが」

「違うんすよ」


 シンジは、何に納得がいっていないのか、その真意を口にする。


「今みたいな難しい知識とか考察とか想像を、ミオちゃんが出来ると思えないっす。彼女根本はアホの子だから」

「お前、自分が惚れてる子にその評価はどうなんだ」


 トモヤは咳ばらいをしつつ、棚に置かれたオカ研部長の私物であるオカルト雑誌を手に取り、椅子に深く腰掛けてシンジに持論を呈する。かなり雑に。


「まあ、ミオはそういうのを勘で解ったりするタイプだからな。そういうもんなんじゃないか?」

「え、ああ……女の勘、みたいなのすかね?」

「そうそう、女の勘女の勘。あるいは野生の勘」


 既にオカルト雑誌に気を取られ始めて気がそぞろなトモヤの一言にシンジが噴き出した。


「いや、いくらミオちゃんでもそんな、野生の勘って。獣みたいじゃないっすか。ミオちゃんは確かに勘が働きますけども。ミオちゃん、野生の勘。獣並みに働く勘っすかぁ。野性的な所は確かにあるっすけど、野生の勘って……」


 そして決して悪い意味ではなく、その言葉を反芻する。よく効く勘を褒めているつもりのようだが……扉の窓からミオがじっとりとシンジを見つめていることにシンジが気づいた。

 シンジが固まっているとオカ研の部室の扉が開く。

 それこそ野生の如き眼光で睨みながらミオが口を開いた。


「私が話聞いてたリアクション悪くて、シンジの気を悪くしたかなぁ、って、話しかけても反応無くなってたし。で、前に好きだって言ってたメロンソーダ探して買って戻ってきたんだけど……そうかぁ。野生児は帰りますね」


 メロンソーダのペットボトルと同じぐらいに汗をかいたシンジを残して、ミオは去っていった。

 トモヤにシンジが助けを求めるのは、それから間もなくのことである。



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推測:火災を起こす絵画 九十九 千尋 @tsukuhi

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