第31話 結末

第三十一話 結末


サイド 剣崎 蒼太



『夢幻月下の花園』


 自分が踏みしめる、『世界』そのもの。


 いわく、かの神話においてこの世界はとある邪神の見る夢そのものだとされている。


 人も、木々も、大地も、海も、星々までも。全ては夢幻のそれであり、かの邪神が目覚めれば水泡と消える存在でしかない。いいや、元々虹色なだけの泡だったか。


 それとこの世界も変わらない。強いて言うなら、この世界は『かの夢の世界ともつながっている』程度か。


 一面に広がる銀色の花園も、月光だけが照らす夜空も、全てが儚い夢の産物。


 だからこそ、ここが必要だった。


 この世界は自分の物。この地ならば神にもなれるとは口が裂けても言えないが、『出入り』だけなら神であろうと縛ってみせる。何よりも、ここでならどれだけ暴れようとも現世にはいかなる被害もありはしない。


『おめでとう、勝ち残りし者よ』


 かすれて消えた魔法陣から切り離された邪神の貌が、その口を動かせる。


『約定に従い、君の願いを叶えよう。聞かせておくれ、君の願いを』


 無言で数秒程その貌を眺めて、魔力を測る。


 やはりと言うべきか、自分とは魔力の桁が違う。アバドンとの戦いで見た金原の太陽ですら、あの貌一つに届かない。


 独力での破壊は、不可能。


「代わりに、ここから出せと?」


『いいや、私はそれほど狭量ではないとも。試練を乗り越えた者には相応の賞賛と敬意を』


 ゆっくりと、重力など知らぬとその質量に見合わぬ速度で邪神の貌は降りてくる。黒く塗り潰され、目鼻口など、輪郭程度しか見えない。


 だというのに、その貌は見慣れた……いいや、見慣れていた顔へと変わっている気がする。


『帰りたいのだろう?人の子よ。本来の親のもとに。死に別れた家族のもとに』


 忘れもしない両親の顔。姿形も、趣味嗜好も、誕生日だって覚えているのに、声だけがもう思い出せない前世の両親。


 二十そこらで死に別れ、最大の親不孝をしてしまった両親。


『叶えてあげよう、その願い』


 ああ、あの二人に、もう一度『ただいま』と言えたのなら。


『時間も、あの時に戻してあげよう。肉体も、望むなら前でも後でも選ばせてやろう』


 もう一度、やり直せるのだとしたら。


『勝利者よ。お前には、その権利がある』


「……願います。神よ。どうか我が望みをお聞きください」


 割り切ったと思っていた。もう、過去の事だと。いかなる理由であれ死に別れたというのなら。前世を忘れずとも今を生きるのが、両方の人生に対する敬意であると思っていたから。


 それでも、こうして突き付けられて、それがただの格好つけだったと自覚する。


『聞こう。勝利者よ、汝が願いを口にせよ』


「神よ……」


 それを気づかせてくれた眼前に拝する神に感謝を。そして。


「お前のふざけたその貌を、焼いて潰せる力をよこせ」


 ありったけの、怒りを。


 言い切ると同時に、自分へと膨大な魔力が流れ込むのがわかる。


 到底人に耐えきれるものではない。まるで惑星一つを押し付けられたかのような重圧。それが内と外から与えられ、全身の骨が軋み上げ、砕け、肉が潰れ血が皮膚を突き破ってあふれ出る。


「が、あぁぁぁあああああ!」


『神を焼く力を望むか、人間よ!』


 どれだけ過去が眩しくとも、それはすなわち、今が忌まわしきものだとは限らない。


 この世界にだって、守りたい者がある。愛はなくとも、ここまで育ててくれた今生の両親が。こんな自分と笑ってくれた、友人達が。


 そして。


『グッドラック、剣崎さん』


 共に戦ってくれた、少女がいた。


 帰りたい理由は百あれど、この世界を守りたい理由もまた百はある。飾らずに言うのなら、ただ単純に選べなくなってしまったのだ。


 前世を即断で選べぬほど、今生に愛着がわいてしまった。だったら、今は滅びかけているこの世界の守りたい者達のために、邪神を焼こう。


 まあ、色々と理由を並べ立てたが、実は一番の理由は別にある。


「お前のその貌が、焼いて潰したくってしょうがなかったんだよ、クソ野郎……!」


 鎧の下、崩壊と再生を繰り返す肉体を動かし、剣を腰だめに構えてみせる。


 真っ当な斬り合いをする必要はないし、できない。ただ、この剣に己が全てを乗せればいい。


 それだけで、いい。


『ハ、ハハハハハ!なにかと思えば、そのような理由か!』


 哄笑をあげる邪神の貌が、自分に向かって落ちてくる。


『いいぞ、人間!一時の感情にのまれ、その後の全てを捨てられる生き物よ!あまりにも歪な欠陥を抱えた愚者よ!』


 刀身が、蒼の光を放つ。今までの比ではない。ただそこにあるだけで、その熱量は千里離れた大地も溶かし、如何なる生物の生存を許容しない。


 ここに、新たなる恒星が出現する。


 その熱量は当然のように所有者を焦がし、殺めんとする。鎧は赤熱し、両の足は溶岩へと変質した大地に飲まれて行きながら、周囲から押し寄せようとするそれらを蒸発させて遠ざける。


 腕の感覚は既にない。手の平と柄が、いいや剣そのものと溶けて一つになっている。


 眼球が蒸発したのか、かの邪神の貌すら見る事ができない。肉体がその防衛本能でもって途中から痛覚を遮断していなければ、痛みのあまり狂死している。


『その蛮勇!ああ、それこそが!それこそを!』


 耳も碌に聞こえない。全身に無事な箇所などありはしない。


 それでも、皮肉な事に邪神から与えられた異能が自分を生かし、動かしている。


『私は、愛しく思うよ』


「燃え、尽きろぉぉぉぉぉおおおおおおおおお――ッ!」


 振り上げた刀身から、熱量全てが解放される。


 それは一筋の光へとまとめ上げられ、極大の斬撃へと昇華された。


 手の中から、剣が消え失せていくのがわかる。作り出された夢幻の世界も溶けていく。限界を大きく超えた、恒星一つを抱えたあげく、それを撃ち出すという暴挙に耐えられなかったのだ。


 だが、それでも。


「勝ったぞ……」


『ああ、おめでとう。人の子よ』


 コンクリートの床に膝をつき、夜の風が溶けかけの全身を冷やすのを感じ取る。


「がほっ……」


 肺が空気を吸い、歪な痙攣をしてせき込む。徐々にだが、手足の感覚も戻って来た。あまりの熱量に蒸発しかけていた血が正常に稼働し始めたのだ。死にかけの肉体を再生させていく。


 痛みで少し、動けそうにない。脳内麻薬も切れてきたか。頼むから再生速度が上がってくれ。ここまできて、痛すぎてショック死なんて死に方は嫌だ。


 だめだ……意識、が………。



*         *       *



「……きさん!………ざきさん!」


「あっ……」


 ここ数日、聞きなれてきた声が聞こえる。ゆっくりと瞼を開ければ、自分が鎧ではなく私服姿で横たわっているのに気づいた。


 頭だけコンクリートに触れておらず、少しだけ高い位置にある。


「起きてください、剣崎さん!」


「新城、さん……?」


 跪き、左手でこちらの上体を持ち上げている新城さんと目があった。垂れ下がった彼女の銀髪がこちらの頬にかかる。


 腹筋に力を入れて、自力で体を支えて上体を起こす。皮膚が突っ張るような感覚があるが、肉体は万全な状態に戻っている。魔力も一割ほどだが回復した。


 どうやら、そこそこの時間意識を失っていたらしい。


「よかったぁ……無駄に心配させないでくださいよぉ」


 目元を薄っすら濡らした新城さんが、脱力した様子で肩を落とす。いや。右肩は元々落ちているというか、力が入っていないようだが。


 膝に手を当てて、少しだけ勢いをつけて立ち上がると、そのまま街の様子を見まわした。


 アバドンの被害で崩れた街並みが、少し遠くに見える。人の気配はせず、無音の世界が続いている。


 それでも、今日の朝と変わらぬ景色がそこにあった。


「勝った、のか?俺達は……」


「ええ、そうですね。やったんですよ、私達」


 立ち上がり、自分の横に並び立つ新城さんがそう呟く。


「世界を守ったんです。いやぁ、英雄ですよ私達!一時は降ろしていた看板ですが、これからはもう一度胸を張って『天才』と掲げますよ私は!」


 心の底から喜びを表す声を聴きながら、自分は――。


「剣崎さん?」


 再生した鎧を身に纏う。


 剣は……完全に溶け落ちたままだ。いずれは直るかもしれないが、剣も花園も再生まで長い時間が必要だろう。


 だが、今はこの腰に提げた短刀があればいい。


「ど、どうしたんですか鎧なんて着て。え、まさかまだ敵がいるんですか!?私もう疲れたんですけど!?正直ここに来るのも大変だったんですよ!?突然倒れたゾンビ共を踏み越えて、放置されていた社用車を拝借して」


「お願いです」


 新城さんと向き合い、正面から彼女を見据える。


「今から行う事が、どうか無駄で無意味な事であってください」


「本当になんなんですか、いったい……というか、なんで敬語?」


「愚かな男の被害妄想で、真実は、もっと馬鹿馬鹿しくって……」


 優しい結末が、待っていますように。


「抜刀」


 腰に提げた短刀を、右手でゆったりと引き抜く。


 呪詛返しが、あってほしい。不完全で正常に機能しない呪詛が、こちらに返ってきて欲しい。この身なら、不完全な呪詛であればなんの痛痒もなく耐えられる。


 そうして無意味に終わった術式を、『馬鹿な事を』と笑い話にしたいのだ。眼前にいる彼女と、そう笑いながら、また――。


「『結椿』」


 音もなく、銀の髪が宙を舞う。


 完全に脱力し、崩れ落ちそうになる彼女の肉体を、鎧をほどきながら抱き留める。


 ごろりと、華の様に銀の髪を地面に散らしながら転がる頭が、歪な笑みを浮べる。


「せいか~い」


 右手から、かの邪神の名が刻まれた短刀が空気に消えながら滑り落ちていった。



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