猫の婿取り(8) 終

 うわさをすれば影。


 「これはほんに大変だあ」


 酒蔵の顛末はもちろん、宿屋へも一番に入ってきた。


 それはまことかと、いっとき宿屋は上へ下への大騒ぎであった。


 縁談整い、あとは日取りを決めるだけ。


 そんな時に。


「いや、しかしな、考えようによっては、今この時にわかってよかった。酒蔵のが悪い人だと知らずにおまえさんを嫁にでもやっていたらと思うと……」


 ぶるっと、弟御は震える。


「いやいや、おまえさんには悪いことをした。ささ、小遣いをはずんでやろう。気晴らしに町を見物にでも行ってくるといい。おいしいものもあるから、それもたんとおあがり」


 そう言って娘っ子は送り出されたけれど、いまさら町見物の気分にもなれない。


 気付けば足は自然と酒蔵の前。


 庄屋の好意でご隠居から人並みの読み書きは教えてもらっていたから、高札こうさつの文字は読める。罪状数々上げられ、いかにこの酒蔵がこれまで悪事を働いていたか、泣いた人も多かったかと知れる。うわさ話も耳に入れば、あきれてため息も漏れだす。


(町にはこんな悪い人もいるもんなんだなあ……)


 娘っ子は強かった。


「わっちには縁のない話だったんだあ、町のお嫁さんなんて」


 からからと笑えば、さて帰るかと、胸を張る。


(いい潮時ね)


 ニャア!


「あんれ、もしかしておめえ、ヒメでねえか!」


 幽霊でも見たように驚く娘っ子のすねに、ヒメはすりすり。抱き上げられても逃げもしない。


「やっぱり、ヒメだあ。これは大変だ! もしかして、わっちについてきていたのか?」


 ニャア。


「賢い子だなあ、おまえは」


 と、何を思ったか、ヒメは娘っ子の腕から飛び出した。


「あれ、待って、待って……」


 するするとヒメは人混み抜けて、ある人の足元へ。


 その若い男もまた、ヒメを見ればびっくり仰天。


「なんで、ヒメがこんなところに!」


 抱き上げれば、ヒメを追ってきた娘っ子とばったり対面。


「あれ、若旦那!」


 確かに彼は、町にはいるはずのない庄屋の跡取り息子。


「なして、若旦那がここに? ヒメを連れてきたのも若旦那け?」


「ヒメのことは知らん。お、おまえのことが、その、心配でな」


「若旦那まで? みんなに心配してもらって、わっちは幸せものだぁ」


 くすくすと娘っ子は朗らかに笑う。


 その笑顔にぽーっと熱に浮かされたように赤くなるのは若旦那である。


『じれったいわねえ』


 ニャア!


 ヒメの鳴き声に夢から覚めたか、若旦那もやっと……、


「そ、そうだ、おまえのことは、その、なんだ……」


 まだ、もごもご。


『いい加減にしなさい! ここが男の決め時でしょ!!』


 ニャアッ!!


「お、おまえを、迎えに来たんだ!」


「わっちを? ヒメでなく?」


 小首をかしげる娘っ子の愛らしい姿にも、もう負けない。


「迎えにというのは、つ、つまり、おまえをおれの嫁に、ということだ!」


「あれ、まあ! なんてことを……」


「父も母ももう説得してきた。おまえの家が貧しくとも関係ない。おれが二倍でも三倍でも働いて家は大きくする。おまえはなんも心配せんでいい」


 優柔不断の若旦那も一気に言い放ったのである。


 必死さはつねならず。いつもどこかぽけっとのんきな若旦那の、カッカと焼けた炭のように真っ赤な顔は、それでもどこか締まりがない。


 娘っ子はたまらず噴き出した。


「な、何を笑うか」


「だって……」


 娘っ子の頬は、笑いながらも季節外れな桜色に染まる。


「あ、あの……。返事は? 受けて、くれるのか?」


「あい……」


 そっと娘っ子は手を差し出す。


 若旦那はぎこちなくも、その手をしっかりと握ったのだった。


 それから程なくして、庄屋の息子と貧しい小間使いの娘っ子の、おとぎ話のような祝言しゅうげん賑々にぎにぎしく行われた。


 その脇で、これはひっそり、ヒメとトラ、猫の二匹も祝言を挙げたことを人間は知らない。


『トラ君、私を幸せにしないと承知しないわよ』


 キッとヒメににらまれれば、


『は、はい!』


 と、トラは身を硬くしたものだった。


 フッと笑みをこぼすヒメの、なんと穏やかな顔。


 二人も、二匹も、ともに末永く幸せに暮らしたと。


 今のいまでもいつまでも。

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