第3話 影山映莉

 信号待ちの美化みけに挨拶してきた彼女の名前は『影山かげやま映莉えいり


 同学年だがクラスは違う。将棋部で出会い、少しずつ距離が縮まって、去年の夏頃から美化の中で友人という位置付けになった。


 特に同世代との人間関係をうとましく感じる美化は、必要最低限の薄い関係しか築いてこなかったのだが、この影山映莉には、自分に近いものと自分にないもの、それと『底知れぬなにか』を感じたのだった。


 他人に必要以上に興味を持ったのは生まれて初めてだった。


 不思議だった。


 影山映莉といる事が自分になにかをもたらしてくれるのではないか、という美化の向上心を熱くさせたのだ。


 でも、そんな事は絶対にさとらせはしないという、強い気持ちもあわせて持っていた。


「おー、影山おはよー!」


 美化はぶっきらぼうに挨拶を返す。


「今日ね、告白しようと思う」


 影山映莉はクラスメイトに好きな男子がいるらしく、少し前から相談は受けていた。


「結局バレンタインは待たんのかーいっ!」


 少し力の抜けた笑い混じりの声で美化は言った。


 信号が青に変わった。


「まっ、がんばるしんよっ!」


「り」


 そしてふたりは同時にペダルを踏み込んだ。美化が影山映莉から恋の相談を受けるのは今回で2回目だった。


 前回は夏、7月のことだった。


 その時の恋の相手は先輩の望月もちづきという、誰が見ても地味という感じの男だった。美化ももちろんそう思った。


 影山映莉はショートカットがよく似合う、頭もいい美人。それは誰が見てもそう思うレベル。そういう人は、逆に爽やかイケメンにはいかないもんなのかと、その時の美化は勝手に納得していた。


 しかし、その前回の恋は影山映莉が振られるという、意外な結末だった。


 理由は教えてくれなかったが、人間好き嫌いはそれぞれだし仕方のないことだと、まったくもって恋をしたことのない美化は単純にそう思った。


「影山ってさ、あんまり人を寄せつけないとこあるわりに、恋は結構するよね!」


 風が止んだ隙をついて美化は言ってみた。


「なんでだろ? 青春?」


「青春ねー。恋なんて私にできんのかなぁ……」


 ありきたりな『青春』という言葉。


 美化はその言葉があまり好きではなかった。でも、それを影山映莉が発するとものすごく崇高すうこうなことのように感じられるのが不思議だった。


 影山映莉の容姿から行動、発言に至るまで、美化は目が離せなかった。


 その理由のひとつ。


 実は将棋で美化は影山映莉に一度も勝ったことがない。美化の実力はアマトップクラス。将棋部でも敵はいない。影山映莉を除いて。


 小さい頃からコツコツと父に教えてもらいながら強くなり、女流のプロを目指す勢いだった自分を、こんなにコテンパンにする人間が、まさかこんな近くにいるなんて。


 しかも、影山は中学から自分で勉強してその域まで登りつめたという。


(いるんだよね、こういう人間。天が2物も3物も与えちゃうの。絶対に不公平……)


 こんな感じで当初、美化は劣等感を感じさせられる影山映莉があまり好きではなかった。しかし、対局を重ねていくうちに美化は気づいた。


 影山映莉が指す、一手一手の美しさ。それは無駄のない、鋭く突き刺さる、残酷なまでの美しさだった。


 そういうレベルの将棋に出会い、美化は心底熱くなった。そして、その興味は将棋自体から影山映莉本人へと移っていった。


「ちなみに次の白馬の王子様は誰だっけ? 確か、まん、まんー……」


万亀まんがめ君だよ♡」


「そうだ。それそれ。縁起良さげな名前だし、今度はうまくいくんじゃなーい?」


「だと、うれしいんだけど……」


 冬の強い風が、角を曲がるとひどい向かい風になった。ふたりは立ちこぎで叫びながら、笑いながら、胸を高鳴らせながら学校に着いた。


「じゃ、結果報告待ってるしんよ!」


「うん。わかった」


 ふたりはグータッチして、各々おのおののクラスへ向かうのだった。

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