天青

小狸

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 その日は台風が首都圏を通過していた。

 

 お昼ごろあたりから暴風域に突入したらしく、地面と空が轟いていた。


 せっかくの休日ではあったけれど、元々雨が降っていようといまいと、家から出ることはほとんどない。


 家の中で映画を見ながら、だらだらと過ごしていた。


 外から隔絶された、平穏で静かな部屋の中。


 時折襲ってくる寂しさが、この時ふっと、私の肩へと降りてきた。


 寂しい――寂寥せきりょう感とでも言おうか。


 色々と事情があって、実家とは高校を卒業してから連絡を取っていない。

 

 その時からだろうか――ただいま、と言わなくなったのは。

 

 元からだって、惰性で言っていた。


 手元には、スマートフォンの画面が握られている。


 一件だけ、既読を付けずに放置しているものがある。


 大学時代の異性の同級生からの、ご飯のお誘いである。


「……いや」


 昔から仲は良く、サークルの関係で時折会い、そのたびに良く話していた。いつも人に囲まれていて、人懐っこく人当たりの良い同級生であった。


 自分で言うのも気恥ずかしいけれど、ほら、案外分かるものだろう? 

 

 脈があるかどうか、とか。


 ラインの返信具合、私への態度とか言い方とか話し方とかで、きっとこの人は私に気があるんだろうなあ――と、漠然と他人事のようにそう思っていた。

 

 既読を付けようとして、やはり止めた。


 何となく、一生私は独り身なんだろうなあという漠然とした感覚が、私の中にはあった。


 私の両親は、世間的な俗語で言うところの、毒親である。


 そしてこれも世間一般的には、毒親の子は毒親になる――と言われている。


 自分が育ってきた環境が、それ以降の人生を大きく左右する。もしも私が、親と同じことを繰り返してしまったら? そう思うと、怖かった。恐ろしかった。

 

 独りでいなければならない。


 私は、誰かと一緒に幸せになってはならない。


 独りで勝手に――幸せを探さねばならない。


 だから――だから?

 

 だから、何なのだろう。


 別段、誰かと恋仲になることも、誰かを好きになることも、もう私にはない。


 結局私はそれを、独り身の言い訳にしているだけなのだ。


 現実逃避しているだけなのだ。


 そんな自分が、いやだった。


 その時であった。



 世界が静止した。



「ッ――?!」

 

 思わずカーテンを開けて、ベランダに出て外を見た。


 それまで轟々と悲鳴を上げていた空と、大地と、雲が、静止していて、丁度私の住んでいるマンションの近くに――青い空が垣間見えた。


 少し離れたところは、いまだ雲が渦巻いているけれど――。

 

 ここだけは、晴れていた。


「あ」

 

 渦巻く低気圧の中枢――台風の眼。


 今、私は世界の、中心にいた。


 私は――眼を離すことができなかった。

 

 その美しさに、恥ずかしながら私は、感銘を受けてしまった。暗澹たる世の中の向こう側はいつだって晴れていたんだと――ふと、思い出してしまった。気分屋の頂点のような、天候なんかによって、私は励まされてしまったのだ。


 何だか悔しくて、じっと空を見続けた。


 しばらくすると台風が移動したのだろう――横殴りの雨が降り始めたので、慌てて部屋の中に戻った。


 先刻までの鈍色の曇天に戻って、窓に強い

 

 それでも。


 その向こうには晴天がある。


 その事実が、ほんの少しだけ私を、前向きにしてくれた。


「ご飯、行こっかな」


 私は、既読を付けた。


 明日は晴れると良いなと、私は思った。


(了)

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天青 小狸 @segen_gen

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