第7話

「……ロウ? どうしたの、こんなところで」


 名前を呼ばれてハッとする。いつの間にか廊下の床の上で眠りこけてしまっていたらしい。目の前で首を傾げているリチラトゥーラは、その小さな腕にたくさんの書物を抱えていた。ロウはゆっくりと固まった体を起こしながら視線を彼女の腕もとに向ける。


『クルドゥ病について』『医学書・薬学』『クルドゥ病の起源・その歴史』……など。そのほとんどが国指定の難病に関する医学書であった。およそ十歳の少女が読むような書物ではない。


 何がそこまでこの少女を追い詰めるのか。


 ロウはそんな彼女を見る度に、年相応の物事をさせてあげたいと心から思うのだ。

 しかし、医学書以外に一冊、少女らしい本が紛れ込んでいるのをロウは見逃さなかった。実に彼女らしくて嬉しくなり思わず笑みを零す。


「ロウ?」

「ああ、いえ……。すみません。さっきの雪遊びで疲れたんすかねー」

「……むぅ」


 あ。ロウは思わずしまったという表情をして口元を覆った。普段から周りの人間に使用することが多いため、すぐには敬語は戻らないのである。リチラトゥーラもそのことは十二分に理解しているとは思うが、ロウとは対等でありたいと公言している彼女のことなのではどうしても譲れないらしい。


「あー、えと。その本、また読むんだな。飽きないのか? 毎日毎日」

「飽きないわ! これはわたくしにとって毎日でも読まないといけないご本なんだもの!」


 リチラトゥーラは満面の笑みでそう答えた。ロウはその笑顔の眩しさに一瞬目を細めた。


「ふーん……」

「ロウはこの恋物語を読んだことがないからそういう風に感じるのよ」

「ああ……まあ、読んだことはないな、確かに」


 自分には関係のない世界だと思って今まで触れてこなかった。今更触れようとも思わない世界だ。


「……ねぇ、ロウ」


 なのに……。


「はい?」


 春を纏う、冬の少女は。


「お願いがあるの」


 聞いてくれる? と花の蜜のように甘い声で囁くのだ。

 リチラトゥーラの『お願い』はロウの心をいつだって震わせる。ロウは大きく深呼吸をして、目の前で瞳を潤ませているお姫さまを見つめる。今から何を言われるのか、ロウにはおおよその検討はついていたけれど、敢えて何も言わずに彼女の前に跪いた。


「お願いってなんだ、リチ?」

「……! あ、あのね、今日お父さまがお忙しそうだからね、このご本をロウに読んでほしいの……」


 そう恥ずかしそうにしながらリチラトゥーラは例の本をロウに差し出した。

 それは『春竜伝説』という恋物語だ。彼女にとってこの絵本は、母親から贈られた唯一の形見でもあった。それなりに思い出深い作品なのだろう。表紙がボロボロになっているところを見ると、随分と使い込まれているように思えた。

 ロウは微笑んでリチラトゥーラの頭を撫で、差し出された『春竜伝説』の絵本を受け取った。リチラトゥーラは不安そうな表情から一変、愛らしく咲き誇る花のような笑顔を見せた。彼女のこの顔が見たくてをしてしまう。そんな、みっともない心に思わずロウは苦笑した。


「……じゃあ、今日の薬、頑張ったら読んでやるよ」


 端から見れば、それは年の離れた兄妹のように見える光景。けれど彼らは兄妹ではない。その関係よりも複雑で、いびつで、それなのにこの関係が美しいとさえ思う。そんな主従関係。


「本当⁉ 約束よロウ!」


 リチラトゥーラは賢い子供だ。きっと、こんなゆがんだ関係のことも、少しは可笑しいことだと理解しているだろう。それでも縋りたい。疑似的な『家族』を演じていたい。彼女と離れ難いと思えるほどにはロウはこのスニェークノーチという国の温かさに染まってしまっていた。

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