第5話

 リチラトゥーラの父親であり、スニェークノーチ国の現国王陛下は大層穏やかな人物で有名だった。

 現在、彼は国の政治はもちろんのこと、病により早逝したリチラトゥーラの母親の代わりをこなし、公務の忙しい中でも愛娘との触れ合いは欠かさないような王であった。

 かといって、大変なお人好ひとよしかと問われればそうではないようだ。

 仮にも彼は国を統治する王、いわば国民にとって絶対的存在。それがくだすべき判断であるなら、たとえその判断が厳しい選択であっても下す人物であった。ゆえに国民からの人望も厚く、ロウもそんな国王のことを気に入っていた。


「お父さま!」

「ああ、リチラトゥーラ、よく来たね。ロウも、ご苦労であった」

「……いえ」


 微笑んだ顔がリチラトゥーラによく似ていた。彼女はきっと父親似だ。「娘が父親に似る」という傾向はどの国でも共通のようだとロウは心の中で呟いた。


「お父さま、今日のお薬の時間が終わったら、ご褒美にリチにご本を読んで欲しいです!」

「まだ昼食も食べ始めていないのに? リチは本当に本が好きだねぇ」

「はい! 知らないものごとを知ることができるので楽しいです!」

「そうか」


 国王とリチラトゥーラの微笑ましい会話を見届けると、控えていたロウは静かに退室した。今から行われるのは家族団欒のための時間だ。そこに部外者である自分がいては水を差してしまうだろう。


 廊下をゆっくりと歩くと、今まで見えなかったものが鮮明に映っていく。雪の絨毯は溶け形を保てなくなり庭園にいくつもの水溜まりを作り始めていた。

 太陽の光が水面に反射して生を受けたように煌めき始める。まるで彼女のようだ、とロウは心の中で独りごちた。


 自室に戻る途中、リチラトゥーラの近衛兵のひとりであるジュード=ハンスが手を上げロウを呼び止めた。先ほどまで共に雪合戦で戦った『戦友』とも言うべき男は、どうやら一服していたようだ。珍しい銘柄の煙草のにおいが彼の周りから漂った。


「よっ、さっきはお疲れさんだったな『間抜け者』」

「ジュードさん……はあ、そっちもお疲れさまでした」

「いやいや。なあ、ちょっと付き合えよ」


 ジュードはロウに向かい手にしていた缶コーヒーを投げた。ホットのブラックコーヒーだった。プルトップに人差し指をひっかけて力を込める。プシュッというタブが開く音とともに空気中に湯気が霧散していった。苦いにおいが鼻につく。


「……本当にリチラトゥーラ姫は元気に育ってらっしゃるよな」

「お転婆てんばの間違いでは?」

「いやいや。あれはまだかわいいもんさ。母親のイザベラーニャさまがご健在だった頃はもっと凄かったんだぜ?」

「はあ、そっすか」


 くいっと缶コーヒーをひとくち飲む。温かい液体が喉を潤す感覚に、どこかほっとする自分がいた。


 イザベラーニャ妃は、ロウがリチラトゥーラによって拾われたその年に亡くなった彼女の母親の名前だ。もともと体が弱く、亡くなる少し前から国指定の難病に罹っていた。彼女の死は、国民に衝撃を与えた。


「ま、休暇が入用ならいつでも言ってくれ。私から掛け合ってみるからさ」

「……あざーす」


 ジュードは自分の言いたいことだけを言い切ると、スッキリとした面持ちでその場を去って行ってしまった。まだ残る缶コーヒーからは温もりがすべて逃げて行ってしまっている。これではホットでもらった意味がないな、とロウは完全に冷めてしまった缶コーヒー片手に苦笑した。残りの量をぐいっと一気に飲み干した。


 味は、よく分からなかった。

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