番外編:想い出2

◆◆◆◆◆


「飯でも食いに行くか」

蓮さんがそう言ったのは15時少し前だった。

食事の時間にしては微妙な時間。

朝起きたのがいつもよりゆっくりで朝食も遅くなったから多分これが昼食になるんだと思う。

蓮さんは絶対に1日3回きちんと食事をする。

どんなに起きる時間が遅くなって時間がズレたとしても必ず1日3回食べようとする。

私的には1食ぐらい食べなくてもいいとは思うんだけど…。

そこは蓮さん的に絶対に譲れないこだわりらしい。

しかも、私が女で蓮さんは男だからかもしれないけど、食べる量だって半端じゃない。

そんなに食べるのになぜか蓮さんは太らない。

出逢ってから蓮さんの体型は全く変わっていなかったりする。

洋服を着てれば細く見える蓮さんの身体。

だけど、実は筋肉質だったりする。

腹筋もしっかり割れてるし、ニの腕にも筋肉はついている。

…なんで、蓮さんはあんなに食べるのに太らないんだろう…。

それは私が常に感じている疑問だった。

…もしかしたら、私が知らない間にこっそりトレーニングとかしてるのかもしれない。

そんな事を考えてみたりもしたけど…。

いつも忙しい蓮さんにはそんな時間があるはずもなく、私の推理は見事に外れた。

「準備するぞ」

そう言って蓮さんはソファから腰を上げた。

…どうやら、蓮さんは出掛ける気満々らしい。

まだ、私は返事すらしてないのに…。

そんな事を考えてる私を他所に蓮さんはスタスタとクローゼットの方に歩いていく。

その背中を眺めながら私は思った。

…一体、今日はなにを食べに行くんだろう?

蓮さんとの食事はある意味恐怖だったりする。

食事と恐怖感。

普通は結びつくはずのないその言葉。

だけど蓮さんとの食事はいつも私をドキドキさせる。

その理由とは…。

蓮さんは私にたくさん食べさせようとする。

一緒に食事に行くと私の目の前にはたくさんのお皿が並べられる。

しかも、どのお皿もてんこ盛りで…。

『こ…こんなに食べれないんですけど…』

そんな私の意見はいとも簡単に全て却下されてしまい、結局は、全てのお皿を平らげなければいけなくなってしまう。

そのお店がレストランとかならまだいいけど、バイキングのお店だったりすると本当に最悪だ。

バイキングっていうのは、好きな食べ物を好きなだけ食べられるお店のはずなのに私にはお料理を選ぶ権利すら与えてもらえない。

ちょっと油断した隙に私の目の前にはてんこ盛りのたくさんのお皿が並んでしまうのだ。

そうなってしまったら最期。

私はひたすら食べることに専念するという事態に陥ってしまう。

今日だけはその状況を避けた。

ううん、避けなくちゃいけない!!

夜にはケンさん達との飲み会を控えてるんだから、この食事で食べ過ぎると明日体重計に乗れなくなってしまう。

「…よし!!」

気合をいれた私は、立ち上がり蓮さんがいる寝室のクローゼットに向かった。

寝室のドアを勢いよく開けると、蓮さんが視線を向けた。

「どうした?なにかあったか?」

私の異変を察知したらしい蓮さん。

「今日、なにを食べに行くの?」

「はっ?」

「今からごはんを食べに行くんでしょ?」

「あぁ」

「なにを食べに行くの?」

…もし、蓮さんが“バイキング”とか言ったらそこは反対しなきゃ!!

今日だけは絶対に負けられない!!

私は、意気込んで蓮さんの言葉を待っていた。

「グラタンだけど」

「…はい?グラタン?」

「あぁ、さっき食べたいって言ってただろ?」

「…えっ…あっ…うん…」

あんなに気合を入れてたのに…。

なんか拍子抜けしてしまった。

「なんだ?他に喰いたいもんでもあるのか?」

「へっ?」

「他に喰いたいもんがあるならそれでもいいぞ」

「ない!!」

「あ?」

「他に食べたいものなんてない!!グラタンが食べたい!!」

「そうか?」

「うん!!」

急激に気分が軽くなった私はいつもとは比べ物にならない速さで準備を終えることができた。


◆◆◆◆◆


繁華街のメインストリート。

学校が休みの今日は私と同じくらいの年齢の若い男の子や女の子の姿が多い。

溢れかえるくらいの人の波。

背の低い私は、いつもならウンザリとしてしまう状況でもあるんだけれど、蓮さんが一緒の今日はそんな心配も不必要だったりする。

相変わらず蓮さんの周りには不自然な空間ができていて

そのお陰で隣にいる私も息苦しさは感じない。

快適な気分で私は蓮さんに肩を抱かれて歩いていた。

私達が向かっているのは、この前葵さんやアユちゃんと一緒に行った小さな洋食屋さん。

笑顔がとても可愛らしいおばあさんと人の良さが顔に滲み出ているおじいさん夫婦が2人で営んでいるこじんまりとしたお店。

そのお店はアユちゃんから教えてもらったんだけど、たった1度お店に行っただけで私は大ファンになってしまった。

おじいさんが作るグラタンとおばあさんが作るケーキがとてつもなく美味しい。

そのお店にいつか蓮さんと一緒に来たいと思っていた。

…きっと蓮さんもあのお店を気に入るはず…。

そんな事を1人でこっそり企んでいると

「…なにニヤニヤしてんだ?」

呆れたような声が隣から聞こえてきた。

「えっ!?」

慌てて視線を向けると蓮さんは怪訝そうな表情で私を見ていた。

「…なにか企んでるだろ?」

「は?」

「そういう顔をしてる」

「…!?」

…そうだった。

すっかり忘れてたけど…。

蓮さんは人の心の中が読めるんだった。

「…一体、なにを企んでるんだ?」

「…」

「美桜?」

「…すっごくいいお店なの」

「…?」

「今から行くお店」

「洋食屋のことか?」

「うん。おじいさんとおばあさんがいるこじんまりしたお店なんだけどね」

「あぁ」

「お料理も美味しいんだけど、なんていうか…すっごく温かい雰囲気なんだ」

「そうなのか?」

「うん…あっ…ほら、私にはおじいちゃんとかおばあちゃんって呼べる人がいないでしょ?だからそういう存在がどういうものなのか今まで分からなかったんだけど…」

「あぁ」

「…きっとおじいちゃんとかおばあちゃんってこういう雰囲気なんだろうなって…」

「…美桜」

「私ね、小学生くらいの時憧れていたんだ」

「ん?」

「夏休みとか冬休みが終わった後にクラスメート達が絵日記を描いてたの」

「“おじいちゃんの家に遊びに行きました”って…」

「あぁ」

「それがなんとなく羨ましかったんだよね」

「そうか」

「うん」

「今から行くレストランはそんな雰囲気があるお店なんだ。だから、蓮さんもきっと気に入ると思うよ」

「あぁ、お前はその店が好きなんだろ?」

「うん!!大好き!!」

「…なら、きっと俺もその店が好きになるだろうな」

蓮さんはフッと優しい笑みを零した。


◆◆◆◆◆


久々に訪れたお店。

そこは私が望んだとおりの雰囲気で私達を出迎えてくれた。

たった1度しか来た事のない私をおじいさんとおばあさんはしっかりと覚えててくれた。

『久しぶり。元気にしてた?』

優しい笑顔を浮べたおばあさんのその言葉に私は驚いてしまった。

「えっ?」

一瞬、誰か他の人と間違ってるんじゃないかと思った。

だけど、おばあさんは間違ってなんかいなかった。

『…えっと、確か“ミオちゃん”だったわよね?』

「…なんで私の名前を知ってるんですか?」

『この前、アユちゃんがあなたの事をそう呼んでるのを聞いてあなたにピッタリな可愛らしい名前だなって思ったの。それで覚えていたのよ」

「…あっ…ありがとうございます」

『こちらこそ、また来てくれてありがとう。さあ、お席へどうぞ』

ニコニコとテーブル席に案内してくれるおばあさん。

私と蓮さんはおばあさんが案内してくれた席に座った。

目の前に置かれたのは、透明のグラスに注がれたお冷と温かいおしぼり。

そのおしぼりを開くと白い湯気があがった。

ほんわかと温かいおしぼりで手を拭いていると

「なんか嬉しそうだな」

蓮さんが言った。

「えっ?」

動きを止め、蓮さんに視線を向けると

「顔がニヤけてる」

苦笑していた。

「はっ?」

私は慌てて両手で自分の顔を覆った。

…冗談じゃない!!

ニヤけてる顔なんて蓮さんには見られたくない。

そんな私を見て蓮さんは豪快に吹き出すと声をあげて笑い出した。

「…!?」

ヤバイ。

もう…手遅れだったかもしれない。

そう思いつつも私は指の隙間から真正面にいる蓮さんを覗き見た。

「…!!」

こっそりと蓮さんの様子を覗き見るつもりだったのにばっちりと蓮さんと視線がぶつかってしまった。

「嬉しいのか?」

未だに両手で顔を覆ってる私に蓮さんが尋ねる。

「…嬉しい?」

「あぁ、なんかすげぇ嬉しそうだ」

そう言う蓮さんの方が私には嬉しそうに見えるんだけど…。

「…嬉しいと言えば嬉しいかもしれない…」

私は食べるものが決定しているにも関わらずおばあさんがテーブルに置いていったメニューを開いた。

そのメニューに視線を落とした私は小さな声で言葉を続けた。

「…たった1度しか来たことがないのに、おばあさんが私の事を覚えていてくれたことも嬉しいし…」

「あぁ」

「…名前を覚えてくれていたことも嬉しいし…」

「あぁ」

「…それに…」

「うん?」

「…名前を褒めてくれたことが何よりも嬉しい…」

「あぁ」

“美しい桜”

その名前に込められた意味を知るまでは、1度も自分の名前を好きだと思ったことはなかった。

…だけど、あの日。

蓮さんから教えてもらった自分の名前の意味。

お母さんがこの名前を選んだ由来。

それを聞いた日から私は自分の名前が大好きになった。

私を生んだ日。

お母さんは病室の窓から見える満開に咲き誇る桜の花を見てこの名前に決めたらしい。

私はずっと思っていた。

“私なんか生まれてきちゃいけなかった”って…。

“私の存在がお母さんをずっと苦しめてきたんだ”って…。

でも、その話を聞いて少しの間だけでも、お母さんが私の事を考えてくれたんだって分かってとてつもなく嬉しかった。

美しい桜みたいに育って欲しい。

そんな願いが込められた名前。

その話を聞いた時、もしかしたら私は生きていてもいいのかもしれない。

そんな事を考えてしまった。

「…美桜…」

心配そうな表情で私の顔を覗き込む蓮さん。

「それにあのグラタンを食べれるのもすっごく嬉しい!!」

私はメニューから顔をあげ蓮さんに向かってにっこりと笑みを浮べた。

「そうか」

私の笑顔を見て蓮さんは安心したような表情を浮べた。

蓮さんは片手を挙げてカウンターの傍にいるおばあさんを呼び注文をはじめた。

蓮さんとおばあさんのやり取りを私はボンヤリとみていた。

私はまだお母さんとのこと過去を“想い出”にできていない。

あの日。

数年振りに会ったお母さんは確実に私の知らない人生を歩んでいた。

新しい家族と一緒に幸せな家庭を築いていた。

だから、私も前に進まないといけないのに…。

私は、まだ立ち止まってしまうことがある。

「美桜」

「うん?」

「ケーキも食べるんだろ?」

「うん!!チョコレートケーキ!!」

「分かった」

蓮さんは苦笑気味におばあさんに伝えてくれた。

「食後にチョコレートケーキとアイスティーとコーヒーを1つずつ」

『はい、かしこまりました』

おばあさんは優しい笑みを残してテーブルを離れた。


◆◆◆◆◆

テーブルの上にはまだグツグツと熱そうな音を出す焼きたてのグラタン。

辺りに漂うのはチーズの香ばしい香り。

蓮さんはそれをスプーンに載せると口に運んだ。

「どう?美味しい?」

私は蓮さんの顔を覗き込んだ。

「あぁ、美味い」

「でしょ?」

蓮さんの満足そうな言葉に私は得意気な気分になった。

別に私が作った訳じゃないんだけど…。

なんだか誇らしげな気分になった。

そんな私に苦笑する蓮さん。

「ここのケーキも美味しいんだよ!!あとで私のケーキを1口あげるね」

「あぁ、楽しみだな」

熱々のグラタンは心も身体も温かくしてくれる。

ホワイトソースの優しい味が元気をくれる。

…蓮さんと一緒にこのお店に来れて良かった…。

私と蓮さんにまた想い出が1つ増えた。


◆◆◆◆◆


『今日は来てくれてありがとう。また来てね』

「はい」

おばあさんの優しい言葉とおじいさんの笑顔に見送られて私と蓮さんはお店を出た。

「あ~お腹いっぱい!!」

「珍しくいっぱい喰ったな」

「うん!!美味しくて食べ過ぎちゃった」

「いつもそのくらい喰ってくれたら俺も何も言わないんだけどな」

「…うっ…」

「…」

言葉に詰まってしまった私を蓮さんは横目で見ている。

…。

…さて、どうしよう…。

ここは素直に謝るべきか…。

それとも違う話題に代えるべきか…。

…。

…。

…よし!!

ここはスルーしてしまうことにしよう。

「い…今からケンさんのお家に行くんでしょ?」

「おい、美桜」

「は…はい!?」

「なんか声が裏返ってんぞ?」

「…!?」

「頑張って話題を代えようとしたみてぇーだけど…残念だったな」

「…!!」

…私の頑張りに気付いてくれたんなら、そこもスルーしてくれてもいいと思うんだけど…。

言葉すら出てこなくて金魚みたいに口をパクパクさせている私を蓮さんは鼻で笑っている。

完全に私の作戦は失敗してしまったけど…。

今更、謝るのもどうかと思った私は

「ケンさんのお家に行くんでしょ!?」

仕方なく作戦を続行することにした。

だけど、その作戦の続行にはかなり無理があって…。

それがイヤってくらい分かってる私の口調は逆ギレ気味になってしまった。

私の意味不明な逆ギレ気味な口調に、蓮さんは気分を害した様子も怒った様子もなく

「…ぶっ!!」

なぜか盛大に吹き出し、楽しそうに笑い出した。

「本当にお前はおもしろいな」

…意味不明な言葉とともに…。

「…なっ…」

蓮さんの笑いの意味が全く理解できない私は、ただただ唖然と蓮さんの顔を見上げることしかできなくて…。

最終的には大きな溜息を吐くしかなかった。

一頻り笑って満足したらしい蓮さんは

「…んじゃ、酒でも買ってケンの家に行くか」

私の作戦に乗ってくれた。

「…うん…」

敗北感を感じながらも私は頷いた。


◆◆◆◆◆


繁華街のメインストリート沿いにある酒屋さんでたくさんのお酒を買い込んだ蓮さんはすぐにタクシーを停め乗り込んだ。

車が走り出してすぐに私は蓮さんに尋ねた。

「ねぇ、蓮さん」

「ん?」

「ケンさんのお家って葵さんのお家のすぐ近くでしょ?」

「あぁ」

「だったら、わざわざタクシーに乗らなくても電車でも行けるんじゃない?」

「…まぁ、行けねぇこともねぇーけど…」

「…?」

「ちょっと買い込み過ぎた」

「…なるほど…」

私は蓮さんの言葉に納得した。

さっき酒屋さんで蓮さんが買い込んだ大量のお酒。

その量は半端じゃなかった。

『それって買い過ぎじゃない?』

そう言いたかったけど…。

蓮さんとケンさんがいるからそのくらい必要に違いないんだ。

という結論に達し、私は喉まで出掛かっていたその言葉を飲み込んだ。

『配達しましょうか?』

余りにも大量のお酒を買い込む蓮さんにお店の人もそう言ってくれたけど、蓮さんはその店員さんにタクシーのトランクに荷物を運ぶ事だけをお願いしていた。

総額で諭吉さん数人が蓮さんのお財布からいなくなった。

そのくらいの量のお酒も蓮さんとケンさんの2人がいればあっという間になくなってしまうはず…。

そう考えた私は、思わず膝の上に載せていたお菓子が入ったビニールの袋を抱きしめてしまった。

「そんなに菓子が好きか?」

「へっ?」

首を傾げる私に蓮さんは膝の上にあるビニールを指差した。

「大事そうに抱きしめてるから」

「…あっ…うん。どちらかと言えばお酒よりお菓子の方が好きかも」

「そう言えば、アユや葵もそんな事を言ってたな」

呆れたように呟く蓮さん。

「蓮さんは、お菓子よりお酒の方が好きでしょ?」

「あぁ」

自信満々に頷いた蓮さんに私は思わず苦笑してしまった。


◆◆◆◆◆


タクシーに乗って10分ぐらいが経った時蓮さんはポケットからケイタイを取り出した。

…誰に連絡するんだろ?

その疑問はすぐに解決した。

「…俺だ」

蓮さんが口を開くと同時にケイタイから声が漏れてきた。

『蓮!!なにやってるんだ?あんまり遅ぇから先に始めてんぞ』

…ケンさん…。

どうやら今日もテンション高めですね。

「あぁ、勝手に始めてくれ」

『今、どこにいるんだ?』

「もうすぐそっちに着く」

『なら、開けとくな』

「あぁ、頼む。それと荷物が大量にあるんだけど」

『荷物?なんだ?』

「酒と菓子」

『さすがだな、蓮。そろそろ酒がなくなりつつあるんだよ』

「だろーな」

『んじゃ、家の前で待ってるから!!」

「あぁ」

蓮さんはケイタイを閉じると疲れ果てたように溜息を吐いた。

「どうしたの?」

私は蓮さんの顔を覗き込んだ。

「…失敗した」

「失敗?なにを」

「…出遅れた」

「…はい?」

「ケンはもうかなり飲んでる」

「うん、いつにも増してテンションが高めだったね」

「それが面倒くせぇーんだよ」

「は?」

「一緒に飲み始めればなんとかあのテンションにも着いていけるけど、素面で今のケンのテンションに着いて行くのはすっげぇ疲れんだよ」

「そうなの?」

「あぁ」

蓮さんの真剣な表情を見る限り、それが冗談なんかじゃないことはよく分かる。

「でも、ケンさんは蓮さんが来るのをすっごく待ってるみたいだったよ」

「…それが面倒くせぇーんだよ」

そう呟いた蓮さんがフッと前のフロントガラスの方に視線を向けて、一瞬ギョッとした表情を浮べた。

「なに?どうした?」

何事!?と思った私に、蓮さんは無言で前方を指差した。

その指先を辿るように視線を動かした私は

「ケ…ケンさん!?」

すっ呆けた声を出してしまった。

満面の笑みを浮べ、タクシーに向かって大きく手を振っているのは紛れもなくケンさんだった。

ケンさんと私達が乗るタクシーの間にはまだかなりの距離があるのに…。

どうやら、ケンさんは私達がこのタクシーに乗ってることが分かってるらしい。

満面の笑みを浮かべて大きく手を振るケンさんは、全身から“嬉しい”って感じのオーラを放出していて、かなりの勢いで蓮さんの到着を待ちわびているのが一目瞭然だった。

「・・・なんかケンさん嬉しそうだね・・・」

「・・・あのバカ・・・もしこのタクシーに俺達が乗ってなかったらどうするつもりなんだ?」

「・・・だね・・・」

「1回通り過ぎてみるか」「はい?」

「ケンがどんなリアクションをとるかみてみようぜ」そう言った蓮さんの瞳は悪戯っ子みたいにキラキラと輝いていた。

一瞬迷った。

そんなことをしたらあんなに蓮さんの到着を待っているケンさんが可哀想な気がする。

だから本当なら蓮さんを止めないといけないんだけど・・・。

でも、もし私達が通り過ぎたらケンさんはどんなリアクションをとるんだろう?なんか、そっちも気になる。

どうするかひたすら迷っていると

「このままゆっくりと通り過ぎてくれ」

目的地を目前にスピードを落としていたタクシーの運転手さんに向かって蓮さんが言った。

『はい』

運転手さんは言われた通りにそのスピードを保ったままケンさんの前を通り過ぎた。

その瞬間、満面の笑みを浮かべていたケンさんは動きを止め固まった。

今まで嬉しそうだった表情も悲しそうな表情に変わった。

それは例えるなら飼い主の帰りを待つ犬みたいで・・・。主人様が帰ってきたと思い大喜びしたら実はお隣さんだったみたいな・・・。

肩をガックリ落としたケンさんの周りには明らかに哀愁が漂っていた。

「…蓮さん…」

「ん?」

「ケンさん、すっごく落ち込んでるよ」

「…だな」

「…もう止めようよ」

「あぁ、ここで停めてくれ」

蓮さんが運転手さんに告げると

『はい』

車はケンさんから少し離れた所で静かに停まった。

蓮さんが素早くお金を支払っている間に、私は車から降りた。

その瞬間、大きな声が聞こえた。

「美桜ちーん!!」

声がした方を振り返ると、ケンさんがこっちに向かって走り寄って来ていた。

・・・極上の笑みを浮かべて・・・。

あまりにも勢い良くケンさんが駆け寄ってくるから、思わず私は数歩後退りをしてしまった。

「こ・・・こんにちは」

若干引き気味な私。

だけど、そんな私の反応にすら気付いていないらしいケンさんは

「いや~待ちくたびれたよ」

と私の肩をバシバシと叩いた。

・・・なんで私、叩かれてるんだろ?

そんな疑問が浮かんだけど私には『止めて下さい』とも『ちょっと痛いんですけど・・・』ということもできなかった。

だから、仕方なく

「遅くなってすみません」とケンさんに頭を下げた。「いやいや、別に謝る必要はねぇーんだけどな」

ケンさんは相変わらず笑顔を絶やすことなく、私の肩を叩いている。

・・・ケンさん・・・。

本当は怒ってないフリをしてるだけで、実はすっごい怒ってるんじゃないでしょうね?

そんな疑惑が私の中に生まれ始めた時

「・・・おい、ケン・・・」

地の底から聞こえてくるような低い声が聞こえてきた。

その声の主は、もちろん蓮さんの声で、私の肩をバシバシと叩いていたケンさんもピタリと動きを止めた。「よ・・・よう・・・蓮」

私の頭上を通り過ぎているケンさんの視界に映っているのは、もちろん私の背後に立っているはずの蓮さんで・・・。

そのケンさんの表情がみるみる強張っている。

「・・・ケンさん?」

ケンさんの異変に気付いた私。

だけど、私には振り返る勇気は無かった。

なぜなら、背後に不穏なオーラを感じたからで・・・。

そんなオーラを放出するのは私が知ってる限り1人しかいない。

「・・・てめぇ、誰の許可を得て美桜の肩を叩いてるんだ?」

「・・・いや・・・別に・・・叩いてる訳じゃ・・・」

「あ?今、叩いてなかったか?」

「叩くなんて・・・そんな人聞きの悪い・・・」

「・・・」

「叩いてたんじゃなくて・・・あれだよ、あれ・・・」

「・・・」

「スキンシップだよ」

「あ?スキンシップ?」

「そうそう、大切だろ?美桜ちんと俺との距離を縮める為にも・・・」

「・・・全然・・・」

「・・・へっ?」

「お前と美桜の距離は今のままで全然問題ねぇーと思うけど?」

「れ・・・蓮!!と・・・とりあえず落ち着け・・・はっ・・・」残念な事に必死で弁解していたおサルなケンさんは、閻魔大王に変身した蓮さんの蹴りをお尻に受けてしまった。


「早くトランクから荷物を降ろせ」

負傷してしまったお尻を押さえ、その場にうずくまっていたおサルなケンさんは閻魔大王の偉そうな命令に「はい!!」

と軍隊並みの返事をして、見ているこっちが驚くくらいのキビキビとした動きで大量の荷物を降ろし始めた。

蓮さんとケンさんが2人で全ての荷物を分担して持ってくれたお陰で、私の荷物はお菓子の袋だけだった。

◆◆◆◆◆


「・・・」

荷物を提げ、門を潜った私は言葉を失った。

「な?デカいだろ?」

絶句したまま固まっている私の耳元で蓮さんが囁いた。

「う・・・うん・・・」

ケンさんの家は、私が想像していた以上に大きかった。

広大な敷地内には“和風”な感じの建物が堂々と聳え立っていた。

「こっちは裏口だから正門の方から入ればデカい庭もあるぞ」

「はい?裏口?」

「あぁ」

「こっちが正門でも全然良くない?」

「・・・まぁ、それでも悪くはねぇーけど・・・」


「でしょ?」

「あぁ、でもこれがケンの家だからな」

「・・・それは、そうだけど・・・・」

蓮さんと私がそんな話をしていると

「なにやってんだ?行くぞ?」

大量のビニール袋を両手に提げたケンさんが足を止め振り返った。

・・・ケンさんは、こんな広い家に住んでいて迷子になったりしないんだろうか?・・・。

・・・。

自分の家で迷子にはならないか・・・。

1人で納得していると

「どうした?美桜」

蓮さんが不思議そうな表情で私の顔を覗き込んでいた。

『なんでもない』って言おうとしたけど、既にケンさんはスタスタと歩き始めていた。

だから、私は思い切って小声で蓮さんに聞いてみた。

「ケンさんは、こんなに広い家に住んでて迷子にならないのかなって思って・・・」

「迷子?自分の家で?ケンが?」

「うん」

「さすがにそれはねぇーよ」

「そうだよね、やっぱりそれはないよね」

我ながらマヌケな質問をしてしまったことに思わず笑いが漏れてしまった時、蓮さんは驚きの一言を発した。

「あぁ、さすがに今はないな」

「は?」

「あ?」

「・・・今はないって・・・」

「・・・?」

「昔はあったってこと?」「あぁ、ガキの頃はよく迷子になってたけど?」

「・・・!?」

「んで、よくケンが行方不明になったって親父さん達が大騒ぎしてたし、警察沙汰になったこともある」

「・・・!!」

本当に迷子になったことがあるんだ。

・・・っていうか、自分の家で迷子になって、しかも警察沙汰だなんて・・・。

ある意味、ケンさんは貴重な体験をしたのかもしれない。

「お~い!!行くぞ!!」

ケンさんの大きな声に促されて私と蓮さんは再び歩きだした。


◆◆◆◆◆


私達の一歩前を歩くケンさんは、堂々と聳え立つ建物の玄関じゃなくてその脇を通り敷地内の奥へと足を進めて行く。

・・・あれ?

ケンさんの家って、このデカい建物じゃないの?

不思議に思った私は蓮さんにまたまた小声で尋ねた。「・・・ねぇ、蓮さん」

「ん?」

「ケンさんのお家ってここでしょ?」

私はデカい建物を指差した。

「あぁ」

「なんでここには入らないの?」

「ケンの家はここだけど、部屋はここじゃない」

「はい?それってどういう意味?」

「ケンの部屋はあっちだ」そう言って、蓮さんは前方を指差した。

蓮さんの指先が指し示す先には1つの建物があった。さっき見た建物に比べればこじんまりとした感じではあるけど、それでも立派な建物。

コンクリートでできた二階建ての建物は和風な感じの建物が建つこの敷地内では一際目立っていた。

「・・・もしかして、あの建物って“ケンさん専用”の建物ってこと!?」

「あぁ、あれがケンの部屋だ」

「部屋!?」

「そうだ」

・・・おかしい・・・。

その表現は絶対におかしい。

だって、あれはどう見ても部屋じゃなくて家だと思う。

街中にあれが建っていたら普通におしゃれな家だなぁって誰もが思うはずだし・・・。

だから、絶対に蓮さんの表現は間違ってるはずなのに、蓮さんは自信満々であれを“部屋”だと言い張る。「あれは部屋じゃなくて家だよね?」

「いや、部屋だ」

「どう見ても家にしか見えないんだけど・・・」

「いや、部屋だ」

・・・。

・・・。

・・・ほらね?

・・とは言え、蓮さんにそう断言されても私はどうしても納得できなくて・・・。

どうやら、それが顔にも出ていたらしく、困ったって感じの表情の蓮さんは

「おい、ケン」

少し前を歩くケンさんを呼び止めた。

「どうした?」

呑気な声を出し足を止めたケンさん。

「あれは家じゃなくて、お前の部屋だよな?」

コンクリートの建物を指差す蓮さん。

ケンさんは、そんな蓮さんと建物を交互に見て

「あぁ、そうだけど」

“それがどうした?”って感じで首を傾げた。

「なっ?住んでる主がそう言うんだから間違いないだろ?」

「・・・うん・・・」

蓮さんが言う通り、ここに住んでるケンさんが家じゃなくて部屋って言うんだから、どうやらここは家じゃなくて部屋らしい。


理解できないし、納得もできないんだけど…。

…。

…。

あっ!!

もしかしたら、中に入ったら私が納得するような何かがあるのかもしれない。

そう思った私はケンさんと蓮さんに続いて家みたいな部屋に足を踏み入れた。

◆◆◆◆◆


…やっぱり、部屋じゃなくて家じゃん…。

私が期待していた希望は、そこに足を踏み入れた瞬間に打ち砕かれた。

ケンさんがドアを開けてくれると、そこには玄関らしきスペースがありそこから奥に向かって伸びる廊下の両端にはいくつものドアがある。

廊下の奥には階段もあり、どう見てもそれは立派な一軒家だった。

玄関でキョロキョロと辺りを見渡していると

「美桜ちん、こっちだよ」

ケンさんが無邪気な笑顔で手招きをしている。

「…あっ、はい」

私は慌てて靴を脱いでケンさんの後を追いかけた。

「ここだよ」

ケンさんが1つのドアを開けると

「あっ!!美桜ちゃんだ!!」

聞き慣れたテンションの高い声が聞こえた。

「こんにちは!!」

「美桜ちゃん、待ってたよ」

「こっちにおいで」

優しい笑顔で迎えてくれたのは、葵さんとアユちゃんだった。

私は手招きをしてくれたアユちゃんと葵さんの間に腰を下ろした。

アユちゃんの隣にはヒカルもいて

「美桜さん、こんにちは」

いつもと変わらない穏やかな笑顔を向けてくれた。

「美桜ちん、なに飲む」

ケンさんに尋ねられた私は

「ビールをお願いします」

と答えた。

「了解。蓮は?」

「俺もビール」

「はいよ」

私と蓮さんの目の前にビールが置かれ、賑やかな宴は幕を開けた。


◆◆◆◆◆


楽しい時間は過ぎるのが早い。

気がつくと窓の外はいつの間にか陽が沈み暗くなっていた。

お酒を飲むペースはみんな変わらず、それにつられる様に私もかなりの量のお酒を飲んだ。

楽しいお喋りと笑い声はお酒をとても美味しく感じさせてくれた。

そんな時、ケンさんと蓮さんの会話が耳にに入った。

「今度、颯太がこっちに来るらしいぞ」

「あぁ、そうみたいだな」

「連絡あったか?」

「あぁ、来月ぐらいだろ?」

「みたいだな」

「颯太に会うのって久々じゃねぇーか?」

「俺は、美桜の修学旅行の時に会ったぞ」

「…そう言えば、車を借りたんだっけ?」

「あぁ」

「颯太は元気だったか?」

「あぁ、かなり」

「そうか」

“颯太”

その名前は初めて聞く名前だった。

「ねぇ、蓮さん」

「うん?」

「“颯太”って誰?」

「ん?俺やケンが聖鈴に通ってた時のツレだよ」

「ツレ?」

「あぁ、ほらお前の修学旅行の時、沖縄で車を借りてただろ?」

「うん」

「あれは颯太の車なんだ」

「へぇ~」

「そいつが来月、こっちに遊びにくるらしい」

「そうなの?」

「あぁ」

「美桜ちんは、颯太達に会ったことはなかったっけ?」

ケンさんに尋ねられた私は首を横に振った。

それを見たケンさんは、私から蓮さんに視線を移した。

「なぁ、蓮」

「あ?」

「今度颯太がこっちに来る時、樹や琥珀も一緒に食事会でもすっか?」

「食事会?」

「あぁ、美桜ちんもみんなに会ってみてぇーだろうし、あいつらだって美桜ちんに会えたら喜ぶと思うぞ」

「…そうだな、美桜」

「うん?」

「会ってみたいか?」

「うん、会ってみたい!!」

「そうか、んじゃ、みんなで飯でも喰うか」

「うん!!」

蓮さんの言葉に私は大きく頷いた。

単純に蓮さんのお友達に会ってみたいと思った。


「そうだ!!」

突然大きな声を出したのは葵さんだった。

「葵?どうした?」

ケンさんも不思議そうな顔。

その場にいる全員が葵さんに注目していた。

みんなに注目されている葵さん。

だけど、そんな視線なんて気にならないらしい葵さんは立ち上がると部屋の端にある本棚の前に立った。

「…えっとどれだっけ?」

ブツブツと呟きながら何かを探している様子の葵さん。

そんな葵さんにケンさんが近付いた。

「なにを探してるんだ?」

「…ん?アルバム…」

「アルバム?」

「うん、颯太さん達の写真が貼ってあるアルバムってどれだったっけ?」

「あぁ、それならこれだろ」

ケンさんが本棚から取り出したのは、緑色の分厚いアルバムだった。

「あっ、そうそう。これこれ」

そのアルバムを受け取った葵さんは、嬉しそうな笑みを浮べて私の隣に腰を降ろした。

「美桜ちゃん、颯太くん達の写真見る?」

「え?写真?」

「そう、蓮くんやケンの学生の頃の写真なんだけど」

「見たい!!」

「でしょ?」

葵さんは無邪気な笑みを浮べて頷き、分厚いアルバムを捲りはじめた。

「私も見たい!!」

アユちゃんも私の隣に移動してきた。

急遽始まったアルバム鑑賞会。

急激にテンションのあがった私達3人を蓮さんもケンさんもヒカルも…

少し離れた所から苦笑気味に眺めていた。

「これが颯太くんだよ」

ページを捲っていた葵さんが手を止め、1枚の写真を指差した。

そこに写っていたのは、ドレッド頭ではっきりとした顔立ちのダンサーっぽい男の子。

「これが琥珀くん」

次に葵さんが指差したのは、綺麗な赤に近いオレンジの髪で童顔の男の子。

「それで、これが樹くん」

最期に葵さんが指差したのは黒髪におしゃれな眼鏡が印象的な落ち着いた雰囲気を纏った男の子だった。

「蓮くんとケンと颯太くんと琥珀くんと樹くん。この5人がB‐BLANDの創設メンバーなんだよ」

「そ…そうなの!?」

「うん!!」

満面の笑顔で頷く葵さんとアユちゃん。

その笑顔を見る限り、葵さんだけじゃなくてアユちゃんもこの事実を知っていたらしい。

初めて聞く3人の名前。

写真に写る、まだあどけなさの残るその3人に私は大きな興味を抱いた。

「これが高等部時代の蓮くんとケンだよ」

ページを捲った葵さんの手が1枚の写真を指差した。

そこに写るのは、今に比べるとどことなく幼さの残る蓮さんと銀髪のケンさん。

2人ともやんちゃな感じを纏っている。

「2人とも今とは違うでしょ?」

茶目っ気たっぷりの瞳で私の顔を覗き込む葵さん。

「…なんか…」

「うん?」

「…2人とも悪戯っ子みたい…」

私のコメントに、一瞬葵さんとアユちゃんは顔を見合わせて

「確かに!!」

勢いよく吹き出した。


それからしばらく私達は蓮さんやケンさんの昔の写真を見ながら盛り上がり、蓮さんやケンさんやヒカルも想い出話に華を咲かせていた。


◆◆◆◆◆


私と蓮さんがケンさんの家を後にしたのは深夜をまわってからだった。

ケンさんは『泊まって行け』って言ってくれたけど、それを蓮さんは丁重にお断りしてくれた。

それは私の為。

蓮さんは私が1番ぐっすり眠れる場所を知っているから。

繁華街まではタクシーに乗って、蓮さんのマンションの近くのコンビニの前で私達はタクシーを降りた。

お酒を飲んだ私は突然アイスが食べたくなった。

「…なんか無性にアイスが食べたい…」

それをタクシーの中で蓮さんに訴えると

「仕方ねぇーな」

蓮さんは呆れながらも運転手さんにコンビニの前で停めるように告げてくれた。


タクシーを降りコンビニに入った私はアイスの入ったボックスの前でたっぷり20分近く迷った挙句に2種類のアイスを蓮さんに買ってもらった。


大満足でコンビニを出た私とそんな私を見て苦笑している蓮さん。

その蓮さんが突然足を止めた。

「どうしたの?」

異変に気付いた私は蓮さんの顔を見上げた。

蓮さんは前方をまっすぐに見ていた。

その視線の先にいたのは1人の女の人だった。


背の低い女の人。

ここは繁華街で女の人なんてたくさんいる。

だけど、私はその人から視線を逸らせなかった。

腰近くまである長い黒髪。

夜の空のように黒い髪には一束だけシルバーのメッシュが入っていた。

そのメッシュが闇夜に輝く月みたいだと私は思った。

意志の強そうな憂いを帯びた瞳。

たくさんの人で溢れ返る繁華街のメインストリート。

そんな場所でその人は圧倒的な存在感を放っていた。


「…ご無沙汰しています。ヒロさん」

その女の人に向かって蓮さんは頭を下げた。

「こんばんは、蓮くん」

にっこりと微笑んだその人の目元には泣きぼくろがあって、

とても色っぽかった。

「今日は瑞貴さんと一緒じゃないんですか?」

「えぇ、今から待ち合わせなの」

「そうですか。瑞貴さんもお元気ですか?」

「お陰さまで、とっても元気よ」

「そうですか」

「えぇ、綾は元気?」

「はい、相変わらず」

「そう、良かったわ。綾にもよろしく伝えてくれる?」

「分かりました」

蓮さんが頷くとその人は再びにっこりと微笑み、私に会釈してからその場を離れて行った。

颯爽と繁華街を歩くその姿は同性の私から見てもとても格好よかった。


その人の後姿が見えなくなってから私は蓮さんに尋ねた。

「今の人って誰?」

「綾さんの学生時代からの友達で瑞貴って人がいるんだけど…」

「うん」

「その人の彼女さんだ」

「へぇ~、じゃあ綾さんともお友達なの?」

「あぁ」

「そうなんだ…っていうか…」

「ん?」

「今の人って何かに似てる気がするんだよね」

「なにか?」

「うん」

「誰かじゃなくてか?」

「う~ん…誰かって言うか…」

「…?」

「…あっ!!」

「どうした?」

「狼!!」

「狼?」

「うん!!なんか狼に似てる!!」

私の言葉に蓮さんは驚いた表情を浮べた。

「…あっ、でも見た目が狼に似てるとかじゃなくて…」

「うん」

「雰囲気ってっていうか纏ってるオーラがテレビで観た狼に似てる気がする」

「そうか」

「うん」

「綾さんもヒロさんを初めて見た時、そう思ったらしい」

「えっ?」

「ヒロさんの若い時の通り名がそれだったらしい」

「通り名?なに?それ…」

「通り名っていうのはあだ名みたいなもんだ」

「へぇ~その通り名ってなんだったの?」

「“銀狼”」

「銀狼?」

「あぁ」

「その通り名…あの人にピッタリだね」

「そうかもしれねぇーな」

「うん」

「今度、綾さんに聞かせてもらえばいい」

「なにを?」

「銀狼との想い出話」

「教えてくれるかな?」

「あぁ、お前になら喜んで話してくれると思うぞ」

「そうかな…なんか…」

「ん?」

「楽しみ!!」

「だな」

蓮さんは優しい瞳で私を見つめていた。

「…なんか羨ましいな」

「羨ましい?」

「うん」

「なにが?」

「…みんな素敵な想い出がたくさんあって…」

蓮さんも…。

ケンさんも…。

綾さんも…。

みんな私から見たら、キラキラと輝く想い出を持ってる。

私もそんな想い出を1つでもいいから欲しいと強く思った。

「あのな、美桜」

「うん?」

「想い出なんてもんはいくらでも作れるんだ」

「いくらでも作れる?」

「あぁ、逆に言えば想い出が1つもない人間はこの世にはいない」

「そうなの?」

「あぁ、ただ今という時間の受け止め方次第でそれが自分にとっていい想い出になるか悪い想い出になるかが決まるんだ」

「…どういう意味?」

「そうだな…例えば、お前はさっきアイスを買っただろ?」

「うん」

「そのアイスを美味いとお前が感じればそれはいい想い出として記憶に残る。」

「うん」

「でも、もしお前がそのアイスを不味いと感じれば悪い想い出として記憶に残るんだ」

「…なるほど…」

「要は、流れる時間の一瞬一瞬をどれだけ自分が楽しめるかってことなんだ」

「うん」

「どんな状況でも前向きに受け止めることができれば数年後それはいい想い出になるんだ」

「…そうかもしれないね…」

蓮さんの言葉はちょっと難しかったけど、何となく理解できたような気がした。

「…私も…」

「うん?」

「…これからいい想い出がたくさん作れるかな?」

「当たり前だ」

「えっ?」

「これから先ずっと俺がお前の傍にいるんだから」

私をまっすぐに見つめる漆黒の瞳。

その瞳は今日も自信に満ち溢れていた。

【完】

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深愛~美桜と蓮の物語~4 桜蓮 @ouren-ouren

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