第24話

…ええ、そうなんでしょうね。あの日はお昼を食べただけで、夕飯前に、しかもそれまで病気知らずだった人がいきなり発症して、救急車で知らない病院に運ばれて、飲まず食わずで、検査、また検査、でしたから。

でもね、伍代さん、その時私、祖母には餓鬼が取り憑いたのか、って思ったんです。

餓鬼…って、お分かりになりますか?餓えた鬼、って書きます。鬼、って言っても、この場合は、いわゆるオニって言うよりも、死者の霊、亡霊、…或いは亡者。そういったモノに近い存在です。

仏教の概念で、六道輪廻ってあるんです。…ああ、ご存じなんですね?

あの中のひとつに、餓鬼道ってあるの、ご存じですか?…そうですか。私も、仏教や宗教については、専門家ではないので、大雑把なご説明しかできませんし、もしかしたら間違っているかも知れませんけれど…。

とにかく、いつ如何なる時も飢えと渇きに苦しむ世界、なんだそうです。運良く食べ物や水を見つけても、手に取ろうとすると、たちまち燃え盛る火に変わってしまうんだそうです。なので、そこを彷徨う餓鬼は、ろくなものが食べられず、また、どんなに飲み食いしても、絶対に飢えや渇きは満たされないままなんだそうです。

だから、私はその時、…祖母はそういったモノに取り憑かれたのか、それとも…祖母自身が生きながら餓鬼道に堕ちたのか、…って思って、ぞっとしたんです。


一通り食べ終わった祖母は、急にうつらうつらし始めました。私が、お手洗い大丈夫?って訊いても、ただ首を横に振るばかりです。腹の皮が突っ張ると目の皮が弛む、って言いますけれど、正にそんな状態でした。…ええ、精神的にほっとしたのもあったんでしょう。

私が祖母の横で、自分の分のおにぎりをもそもそ頬張っていると、病院のスタッフさんかやって来て、「お祖母様はひとまず検査入院の措置を取ります」って仰いました。確かに、検査中にまた目を覚まして、あんな状態になった祖母に万一のことがあれば、大問題になるでしょう。

祖母は、そのまま車椅子で運ばれて行きました。私は病棟のナースステーションの前の、…何て呼ぶかは知りませんが、大きなテーブルが幾つか並んでいる、広場のようなスペースに案内されて、祖母の入院についての書類に記入するように言われました。

保証人として、別所帯に暮らす人間の名前が二人必要だと言われたので、正直抵抗はありましたけれど、母と、それから父にも、本当に久し振りに連絡を取りました。…ええ、何かあった時に備えて、一応二人の連絡先は、私の携帯電話に登録してあったんです。

幸いなことに、母とも、それに父とも、すぐに連絡が付きました。事情を説明した上で、看護師さんに、メモ用紙と筆記用具をお借りして、二人の現在の住所と、あと、仕事場の住所と電話番号も確認して書き留め、やっと電話を切った時には、随分と擦り切れたような気分になったのを覚えています。

全部の書類の記入と、内容の確認を終えて、やっとお役御免になった私に、看護師さんが「お祖母様の様態、見て行かれますか?」って訊いてきました。看護師さんに、そのまま個室の一室に案内してもらい、電灯を落とした部屋のベッドを覗き込むと、病院のパジャマを着て、腕に点滴の管を繋いだ祖母が、何だか泣き疲れた子供のような寝顔で眠っていました。

私は、酷く切ないような気持ちになって、そのまましばらく祖母の寝顔に見入っていましたけれど、看護師さんに促されて廊下に出ました。そのまま看護師さんに、祖母をどうぞよろしくお願いいたしますって頭を下げて、夜間通用口の場所を教えて頂いて、エレベーターに乗り込みました。

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