第34話 サラの暗躍①

(これぐらいがちょうどいい……ていうか、寝間着で待つ必要すらないのだけれど)


 シェイラが持っているナイトドレスに、デザインのものはない。シェイラが後宮に上がることを知った姉ローラが、わざとそう手配するように仕向けたのだ。


 その時のシェイラは正直どうでもよかったので、好きなようにさせておいた。今だって、しっかりした厚めの生地にひざ下まで隠れ、ボタンもリボンも一分の隙もないこの寝間着に不満はない。


 ついでに上から厚手のガウンも羽織った。これで、彼から薄着で人に会うな、と怒られる心配もないだろう。


「シェイラ様、いけません。こちらでお待ちくださいませ」


 寝室を出て一階のサロンに下りようと扉から顔を出したシェイラを、侍女のアビーが慌てて止める。


「どうして? もうすぐ陛下がいらっしゃるのよ」

「お渡りの際は寝室で待つのが決まりですので」

「……」


 何の動揺も見せずあっさり上品に微笑むアビーを見て、シェイラはさすが後宮勤めの侍女だ、と思う。


 本当に役目を果たすために後宮に上がったのならこの上なく心強いはずだが、いまのシェイラにそのしきたりは場違いで恥ずかしさしかない。


 部屋から一歩も出さない、という構えのアビーを見て一階に下りることをあきらめたシェイラは、ベッドの脇に置かれたソファへと腰を下ろした。サイドテーブルには湯気が立ち上るポットと温められたカップが置かれている。


(そういえば、このカップ……)


 さっき、後宮メンバーできゃっきゃと楽しく『お渡りの準備』をしたとき、サラがこのカップに何かを塗っていた気がする。そして『殿下には紺色のふちのカップをお渡しください』と意味深に微笑んでいた。


(サラ様の話の内容からすると、危なくはないにしろろくなものではないわ……)


 シェイラは笑いを堪えつつ、カップを片付けようとティーセットに手を伸ばす。そこで、部屋の扉がコンコン、とノックされた。


「! はい」

「シェイラ様、国王陛下がお越しです」

「……どうぞ」


 こんな形で会うのは何となく気恥ずかしい。ガウンの袷をしっかりと止めてから、シェイラは答えた。


「……悪い。こんな大ごとになるとは思わなかった」

「ふふっ」


 扉を開けるなりいきなり謝罪を口にしたフィンに、シェイラは噴き出す。……と同時に、いつもと同じ穏やかなオッドアイにホッとする。


(よかった。この前、夜会の最後には怒っていたみたいだったから)


 あの時、彼が嫉妬してくれたことを感じて、シェイラは少しうれしかった。けれど、間違いなくフィンにとっては快いものではない。


「周りがすっかり勘違いしているから、焦って喉が渇いた。ケネスもうるさくて……このお茶、貰っていいか」

「もちろん……あ、新しいカップを準備するから少し待っていて」


 扉を閉め振り向いたシェイラが目にしたものは、自分で紺色のふちのティーカップにお茶を注ぎ、ごくごくと飲むフィンの姿だった。


「……あ!」

「別にいいだろう。今は完全なプライベートだ」


 シェイラが声をあげたのを、フィンは自分でお茶を注いだことへの驚きと受け取ったようである。それに、綺麗に並んだティーカップの一つを自分用と把握するのは自然なことだった。


(しまったわ。もっと早く気付くべきだった。サラ様は『高級な眠り薬』と言っていたから……効果やスピードはかなりゆっくりなはず)


 シェイラはフィンの瞳を覗き込む。当然、まだ意識ははっきりしている。


「どうかしたか」

「ええ。多分、このカップにはメトカーフ子爵家肝入りの眠り薬が」

「……まじか」


 フィンはしまった、という風に顔の片側を歪める。その反応は国王というよりは子供の頃のクラウスに近く、懐かしさを覚えた。


「陛下がいらっしゃるからと……張り切って、その。ごめんなさい」


「くっ……くくく。随分仲良くしているのだな。邪推すると、サラ嬢の狙いはわずかに残る君をよく思わない者たちを黙らせるため、と言ったところか」


「……その通りです」


 さっきまでのあられもない後宮のはしゃぎ様を白状することになったシェイラは、頬を赤らめる。


「では、眠くなる前に話さなければいけないな」

 フィンの声色が変わったので、シェイラも背筋を伸ばした。


 彼はソファではなくベッドに腰を下ろす。天蓋のカーテンは片側だけが開いている。この部屋にあるのはオレンジ色の灯りが二つ。そこに照らされてできる影に目が行って、シェイラは何となく目を逸らした。


「少し調査をした」

「何の?」


「転生者についての調査だ。アルバート殿下で四人目だろう。あまりにも多すぎると思った」

「確かにそうね。メアリ様まではそういうこともあるのかなって思ったけど……さすがに多いわ」


「調べたところによると、あの襲撃に関わった家の当主は、転生者だったのではないかという資料が見つかった」

「マージョリー・ハーレイを脅した犯人が?」


「ああ。ただ、当時はそこまで重要な情報ではないと判断したのだろう。詳細には分からない」


「……精霊が選んで転生させた者が、百数十年前、王位を手にしようと裏切りを企てた……。もし……精霊がそれを過ちと思っているのなら、少し繋がる気がするわ」


「……」

 そこでフィンが黙ったので、シェイラは顔を上げる。


「知っているわ。当時のメイリア王国の第二王子・グレッグ殿下がアレクシアに援軍を送ろうとしたと」


「……そうか。まぁ、歴史書に載っているしな。王女なら既に知っているか」


 そう。あの襲撃のとき、一刻も持たずに城は落ちた。


 けれど、避難民を保護して欲しいというアレクシアからの走り書きを受け取り、グレッグはすぐに自ら援軍を動かしている。それほどに、アレクシアへの想いと忠誠心は強かったらしい。


 その事実を踏まえると、グレッグの生まれ変わりであるアルバートも襲撃に無関係とは言えなかった。


「……それで」

 不満の色を浮かべるフィンの顔をのぞき込みながら、シェイラは続けた。

「夜会真っ最中のあの場で、わざわざ私の部屋に行くと伝えたのはこの話がしたかっただけなの?」


「……いや。ただ、久しぶりにゆっくり顔を見て話したいと思っただけだ」

「……そう」


 さっきまで、鋭い瞳をしていたはずのフィンの表情が幼く見える。きっと、ゼベダとの難しい交渉に疲れているのだろう。自分にも覚えのある感覚に、何か声をかけたいと思ったけれど、彼との立場の違いを思い直して口を噤む。


(同じじゃない。あの頃の私のすぐそばには、いつもクラウスがいたのだわ)


 フィンの側近であるケネスは、国王のことを理解し支えてくれる非常に優秀な人物なのだろう。けれど。アレクシアは、クラウス以上に心を満たしてくれる存在を知らなかった。


 彼の癒し方を考え込むシェイラの手を、フィンが握る。オレンジ色の光に、二人のつないだ手の影が浮かび上がる。


(え)


 そして、何か言葉を発する前に、そのまま引っ張られた。

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