第22話 二人の立場と幸福感

「――っつ」


 後宮の奥の城壁へと向かう途中。王宮への分岐にあたる通路で、文官らしき人とすれ違う瞬間に肩がぶつかった。


「申し訳ございません」


 姿勢を崩すほどの衝撃があったけれど、すぐにシェイラは頭を低くして膝を曲げる。


「……ああ。陛下の寵姫が、このようなところをうろつかれては困りますな」

「くっ。寵姫とは? 陛下は一度もお渡りになっていない様子ですよ」


 意地の悪い二人の言葉に、シェイラは目を細めた。もちろん、本来とは別の意味でである。この二人は決して若くはない。


(自分の娘でもおかしくない年齢の相手に向かって、大人げないわ)


 そもそも、この通路は狭くはない。端を歩いていたシェイラがこの二人とぶつかってしまったのは、明らかにわざとだった。


 明らかに国王が後宮を軽視している今、後宮に暮らす側室たちの地位はそのまま後ろ盾の強力さでもある。


 名門のブーン侯爵家を後ろ盾に持つティルダや、大富豪としても名を馳せるハリソン伯爵家のメアリの顔は貴族たちに広く知られている。彼らは、どちらかを推しているのだろう。


「ふふっ。こちら側はまだ後宮ですので」


 罵られるままに謝罪をするのは癪である。『そっちこそ後宮への立ち入りは禁止だろう』という意味の毒をしのばせて微笑むと、二人の顔がみるみるうちに赤くなった。


「側室風情が。なっていないな」

「まったくだ」


 捨て台詞を吐いて、二人は去っていく。


『みゃー、ぶみゃー、』


 ぶつかった衝撃で肩から落ちたクラウスが抗議をしている。もちろん、シェイラにではなく、二人の文官にである。


「クラウス、落としてしまってごめんね?」

『みゃー』


 シェイラはクラウスを抱き上げる。


(これはきっとまだ序の口よね。生ぬるくて、優しすぎるくらいだわ)


 この先に起こることを想像すると、身が引き締まる。二人の後ろ姿を見送ってから、シェイラは目的の場所へと向かったのだった。


 ◇


 後宮の奥の、城壁……近く。回廊の端にシェイラとフィンは並んで腰を下ろしている。


 今日はお天気がいい。絶好のお昼寝日和なのに、シェイラがここに着いた時、フィンは城壁の上で寝転がらずに座っていた。


『みゃーん』


 僕はここで寝ますね、というアピールをしつつ、猫のクラウスもくたっ、と陽だまりの中に伸びた。


「今日は寝なくて大丈夫なの?」

「ああ。最近はよく眠れている。びっくりするぐらいに」

「一度の障壁魔法がそんなに効いたのかしら」

「恐らく、違うな」


 苦笑しつつ、フィンは続ける。


「呪いのようなものが解けたからではないか」


 ――呪い。それは、転生者は前世での心残りが解消できなければ前世と同じ年齢で死ぬ、ということだった。もちろん、誤解はあるもののシェイラの『呪い』はフィンに思いが通じたあの日に解けている。けれど、シェイラはフィンの心残りを知らない。


「ねえ。貴方の心残りは何だったの? どう考えても、そちらから考えるべきだったと思うのだけれど」


 首を傾げるシェイラに、フィンは不満げである。


「……解けたからもういい。王女の望みよりは、ずっとちっぽけで人間らしいことだった」

(……人間らしい、って)


 フィンは完全に勘違いをしているが、本来はシェイラの望みも完全にそっちよりだった。


 というか、ジョージが言っていた通りアレクシアは本当に崇高な人物だと思われていたらしい。


(貴方と会えて、こうして一緒にいられることをどんなに幸せに思っているのか……全然分かってない)


 この前は衝動的だったけれど、それでもわりと勇気を振り絞ったはずだ。なのに、前世での主従関係というものはここまで響くものなのか。


 それが悔しくて、シェイラはフィンのことをじとっとした目で睨む。


「……ん? どうした?」


 シェイラを見やるオッドアイは柔らかい。懐かしい透き通った碧と、神聖な雰囲気の金。


 前世、クラウスはアレクシアに対して敬語と砕けた常語を併用していた。けれど、今世ではもう敬語が使われることはない、たぶん。それがまたシェイラの調子を狂わせる。


「別に、何でもないわ」



 頬が熱を持つのを感じて、シェイラは膝を抱えて顔をうずめた。


 それから、彼に『王女』と呼ばせてはいけないことも分かっている。そもそもペネロープ第一王女がいる。でも、その甘い響きを手放せなくて、シェイラはまだ何も言っていなかった。


「……さて。夜に眠れるようになったし、昼の休憩はこれで終わりだ。この後の予定は?」

「後宮の皆とお茶会を」


「後宮ではうまくやっていると聞いているし、あそこには身元が確かな者しか置いていないから大丈夫とは思うが……俺がいいというまで前世のことは話すな」

「わかったわ」


 フィンがここまで警戒するのには二つの理由がある。まず一つは、後宮にはトラブルがつきものだということ。そしてもう一つは、シェイラの出自が貧乏伯爵家だということだ。


 シェイラは後宮に入っている令嬢たちのことが好きだけれど、背後にある家名まで考えるときっとお互いに話は変わってくる。昔も今もここにいる者に課せられるのは、一族に繁栄をもたらすことなのだから。


 加えて、さっきここに来るまでにすれ違った文官二人からも分かる通り、ここでのシェイラの立場は極めて弱い。そんなシェイラを寵姫とすることは、政治的な局面を考えないという面でフィンの評判をも落としかねなかった。


「それから……」


 フィンの表情がお説教モードになったので、シェイラは先回りをする。


「肌が見えすぎる服は着ないし夜に部屋の外へ出るなら上着を羽織るし貴方が執務室に戻ったからと言って城壁には登りません」


「……そうしてくれ」


 軽く微笑んで立ち上がったフィンがシェイラの長い髪をとり、そこに優しくキスをする。前世ではこんなとき、髪に彼の指が触れることはなかった。


 直接彼の体温が分かるわけではないのに、あまりの距離の近さに鼓動が高まる。


(……夢みたい)


 前世では絶対に身を置けなかった幸福感の中に、シェイラはいた。

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