第21話 次にすべきこと

「さっきの、どういうことだよ。分かるように説明してくれないか」


 次兄ジョージの言葉遣いがいつもより少し丁寧なのは、まさにさっきの出来事のせいだ、とシェイラは思う。


「どういうことって……見たままですわ、お兄様?」


「見たままって……全然わかんねーよ! 妹と商会の打ち合わせをしようと思って後宮に来たのに、何でか王宮の凄い部屋に案内されてそこにはめったに姿を見せない国王陛下がいたって一つも意味わかんねーよ!」


 言葉遣いが戻ったジョージの唾が飛びそうなので、シェイラはテーブルの上の紅茶をソーサーごと持ち上げて避難させた。久しぶりに見る兄の顔は、紅潮して明らかに興奮している。


「彼は前世で私の従者だったの。最近そのことが分かって。……少し、いろいろ」


 シェイラは口をもごもごとさせる。フィンがクラウスの生まれ変わりだと分かったのは、つい一昨日の話だ。思い出すとジョージとは違う意味で頬が染まりそうなので、無になることにする。


「つーか、お前転生者だってふつーに話してるけど、その話ちゃんと聞いたの今が初めてだからな? 何となく察してやってたけど!」

「……ごめんなさい」


 シェイラが転生者だということを今までに他人に明かさなかったのは、寿命による部分が大きい。死ぬと知っていて人間関係を築くのは相手への負担を強いるものだと思っていたし、ただでさえ自分の境遇に同情している両親にさらに憐れまれるのも嫌だった。


(でも、もう私は21歳で死ぬことはない)


 目の前のジョージに視線を戻すと、横柄な座り方をしながらも心配そうにこちらをチラチラと見ている。口はめちゃくちゃに悪いけれど、優しくてお節介な兄の顔だった。


 後宮のシェイラの部屋。侍女は少しの間席を外していて、ここにはジョージとシェイラの二人だけだった。


(私の身の安全を気にするフィン陛下の方針もあって、まだ後宮では誰にも話していないけれど……お兄様なら安心できるわ)


『みゃー』


 お気に入りの出窓で昼寝中だった猫のクラウスが伸びをして立ち上がる。そして、シェイラの元にやってきて膝に飛び乗った。


 シェイラは魔法陣ケースから一枚の紙を取り出す。すると、クラウスはそれをぱくっと噛んだ。数秒で、紙が光って消える。


「すげー……気が利くな、クラウスは」


 ジョージは苦笑する。いま、この部屋には防音魔法が張られたことに気が付いたらしい。


「この子は精霊の使いよ。昔、私が霧に飲まれたのを覚えてる?」

「ああ。飲まれそうになったけど、飲まれてなかったってやつだろう?」

「いいえ。実は飲まれていたの。そこで会った」

「あー……そういう……。いい、俺はもう何も驚かない」


 シェイラの口から初めて明かされる情報に、ジョージは顔を引き攣らせた。


「でもなー。お前、こんなとこでのんびり魔法陣を描いていていいのかよ。だって、さっきの国王陛下の顔」


 笑いを堪えるジョージの顔が憎たらしくて、シェイラはいつも通り無視する。


 さっき、シェイラと打ち合わせをするためにこの後宮を訪れたジョージを待っていたのは、豪華なサロンとフィンだった。


 忙しいフィンに合わせてほんの数分だったが、謁見を終えたジョージ曰く『もし他国と戦争になっても、あの緩んだ顔の国王が先陣を切ったら逆に勝てる』らしい。この上ない不敬である。


「でもなー。シェイラが家を出てからずっと考えてたんだが。かつてこの国を治めた美貌の女王に、ワーグナー侯爵家出身の側近が付いていたんだよな。その名は、クラウス、らしいな」


『みゃーん』


 猫のクラウスが返事をしたので、シェイラは彼の首元を優しく撫でる。


「……少し考えれば、いくらだって分かったのにな。全然気づかなかった。いろいろ分かってやれなくてごめんな」

「……そんなこと」


 何も言わなかったのは自分の方だ。それなのに、いつも喧嘩をしかけつつ構ってくれた兄。しんみりしそうになったシェイラに、ジョージは揶揄うように言う。


「つーか、あの様子だと、キャンベル伯爵家から正妃様が出るっつー前代未聞の展開がありえるな」

「……でも、彼はそれよりも私の望みを世界平和だと思っているわ」

「ぶっ」


 ジョージがお茶を吹くことを何となく予想していたシェイラは、ティーカップを持ったまま斜めに避けて難を逃れた。


「それは……随分高尚な存在だと思われてんだな?」

「それに、何の後ろ盾もない貧乏伯爵家出身の私が彼の隣に並べるほど、この大国は甘くない」


「シェイラなら、いくらだって成り上がれるだろう。強力な後ろ盾も、魔力もないが。一級品の魔法陣と、名を遺すぐらいの元女王としての資質と、それから……猫か?」


『みゃーん』


 返事をしてから、クラウスはお皿のミルクを舐めている。


「……ありがとう、お兄様」


 ジョージからの精一杯の激励に、シェイラは微笑む。


 実のところ、シェイラは迷っていた。今世でフィンとして転生した彼に会えたのは本当にうれしかった。けれど、今度は立場が真逆なのだ。


(今度は、私のほうが彼の側に居るために頑張る番、というのは何となく分かっているわ)


 前世、アレクシアを守るためにクラウスが血の滲む努力をしていたことも、大人たちと渡り合ってきたことも全て知っている。


 プリエゼーダ王国で最も高貴な存在として生まれ変わったフィンは、シェイラのことを甘やかす気満々でいるらしい。けれど、シェイラには、貧乏伯爵令嬢という身分差のほかにも考えなければいけないことはたくさんあった。その中でも特に、この後宮での立ち回りは急務である。


「まー、頼んでた魔法陣も受け取ったし、今日は帰るわ。あ、そうだこれ。書斎を掃除してたら出てきた」


 立ち上がったジョージがついでとばかりに鞄から取り出したのは、アルバムだった。そこには、まだ記憶を取り戻したばかりの幼いシェイラがいた。


「……懐かしい」

「だろ?」


 アルバムの一ページ目に写るシェイラの表情は固い。自分の境遇に戸惑いつつも、なんとかこの人生になじもうとしている姿がそのまま写っている。


(こうして見ると、幼い頃のシェイラはアレクシアそのものだわ)


 今でこそ、はちみつ色の髪とローズクオーツの瞳だけがアレクシアと同じだが、小さい頃のシェイラは顔立ちから背格好までかつての女王にそっくりだった。


(大人になっても似ていたらどうしようかと思ったけれど……杞憂に終わってよかった)


 ジョージが帰った後の部屋で、懐かしい写真を眺めながらシェイラはふぅと息を吐く。


 そして、明日もう一度ゆっくり見よう、と思い、アルバムをしまわずにそのままにしておいた。


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