第3話 自身の嫌悪を子へ伝える愚行
今更ながら、私にも名前はある。けれど、その必要性はあまり無かった。この巨大森に居ると、殆ど誰も呼ばないからだ。
姫様、と言えば私のことだから。母くらいしか、私を名前で呼ばない。それも、頻繁ではない。大抵は『あなた』で済むからだ。母は大抵、誰に対しても『あなた』と言う。その呼ばれた先に居た者が返事をするに過ぎない。
でもいずれ必要になる。だって私は、成長すれば外の世界へ旅立つ雛なのだから。
「この巨大森は、私達の楽園なの。私達の考えた最強の世界なのよ」
母はよく、私達という言葉を使う。その意味は、会話の流れや文脈によって毎回異なる。
ある時はエルフ。ある時は生き物全体。ある時は、亜人全体。ある時は、私とふたり。
今回はきっと、巨大森に住むエルフのことだろう。それを察せるほど、私も成長している。
「
母の視線が鋭くなる。しかし次の瞬間には、溜め息に変わった。やはり、案の定、気になるわよね、といった表情だ。
「この森には、メス……ううん。女性しか居ないの。私達がそのように作ったの。全ての女性の受け皿で、避難所で、安全地帯。そんな場所を目指して、ね」
オスが居ない。それは、エルフという種族にはオスが存在しないということではなく。この、巨大森という社会には、オスが居ない、入れない、入って来ないということだった。
私は生まれてもう数年経つが、一度もオスのエルフを見たことがない。オスの、ヒト種を。
全く知らないのだ。そのような社会で生まれ、育っているから。
それは、おかしいんじゃないだろうか。私はそう思った。だって、あのクレイドリは。自然の中で、自然に。オスとメスで一緒に居た。今も、メスが巣で卵を暖めていて、定期的にオスが食事を運んで来ている。
役割がある。メスにはメスの。オスにはオスの。できることと、できないことがある。メスは魔法が使えない。だからオスが守る。オスは卵を産めない。だからメスが産む。
エルフは違うのだろうか。私はどのようにして、産まれたのだろうか。母には、つがいは居ないのだろうか。
「女性はね。男性と比べて弱いの。歴史的に、ずーっと、男性から差別されて、迫害されて、虐げられてきたのよ」
今まで。母の言葉を疑ったことはなかった。全て正しかったか、もしくは確かめる術を私が持たなかったから。
色んな事を見て聞いて学ぶ。それが母の教育だ。けれど、一度も森の外へ連れ出してはくれなかった。
「ほんとう?」
「!」
生まれて初めて、母へ直接、疑問を口にした。
それは本当なのだろうか。私には分からない。何故なら。
私は男性を知らないから。
「…………エルル」
母はしばらく黙りこくってから、久々に私を名前で呼んだ。名前を呼ぶ時は、私に強く、何かを言い聞かせる時だ。他でもないエルルに言っているのだと、強調するように。
「本当よ。賢く進化した筈のヒト種は、愚かにも人種や性別で差別する凶悪さも手に入れてしまったの」
母はニンゲンが嫌いで。
そして、男性が嫌いだ。
今日はそれしか、学べなかった。
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