無垢の射手

ハヤシダノリカズ

無垢の射手

「あっ、センパイ!丁度良かった。僕、今、主任に『ちょっとナミダとって来い』と言われて『はいはーい!』つって、ここまで来たんですけど、ナミダってなんですか?」

「キミはしっかりノリで生きてるタイプだな。脊髄反射でいい返事をするだけして、なんとなくこの倉庫までフラフラとやって来て、それで、オレを見つけたから、『これ幸い』と聞いてきたんだな」

「ダメですか?」

「いや、いい。それぐらいでなきゃ、オレ達のこの業界は務まらないからな」

「そんじゃ、ナミダってのがなんなのか教えてくださいよ、センパーイ」

「ナミダってのは符丁だな。寿司屋でナミダと言えばワサビの事だが、オレ達の業界でナミダと言えば矢じりの事だ」

「矢じりって、矢の先っちょの尖ったあの石の事ですか?」

「あぁ。弓と矢はオレ達の仕事道具だが、その矢の先に付けられる前の、まだ何の力も込められていない状態の石を、ナミダとオレ達は呼んでいる訳だ」後輩に唐突に話しかけられたオレは、話しながら共に倉庫内を歩き、ナミダのストックが置いてある棚の前で止まって、「コレがナミダだ。ほら、まだ何色にも染まっていないだろ?」と一つ手渡した。

「ありがとうございます、センパイ!それでは、コイツを主任に届けてきまーす」後輩がそのまま飛んでいく勢いでそんな事を言うものだから、オレは「ちょっと待て。『いくつ持ってこい』と言わなかった主任も悪いが、一つだけ持ってきゃいいってもんじゃないと思うぞ?とりあえず、この箱ごと持って行った方がいい」

「そういうもんですか?」

「そういうもんだ」オレがそう答えると、後輩は「結構重いッス」なんて言いながらフラフラとナミダの入った箱を抱えて倉庫から出て行った。


 主任が『ナミダ持ってこい』と言ったという事は、恐らくはナミダに魔力を込める準備が整ったって事だろう。『矢を作る工程は手間暇のかかるもんだ。ポイポイ捨てるように乱射しないように!』主任をはじめ、矢の製造に携わっているヤツラは決まってそう言う。オレ達は射る係、ヤツラは作る係、それだけの事なんだが、ヤツラは製作苦労バナシをしたがる。そして、最終的には『丹精込めて作った矢を無駄にするのはやめてくれ』とオレ達を責める。

 まぁ、いいがな。冷徹の青、情熱の赤、嫉妬の黄、強欲の黒……。各色に染まったナミダの矢を人間に射るのは楽しいからな。オレ達キューピッドの射る矢のそれぞれの色に応じた反応を、人間どもは分かりやすく表してくれる。こんなに楽しい事、そうはあるまい。あんなにあからさまな変化、あの目の色の変わり様を人間同士では認識できないみたいなんだよなぁ。情熱の赤で射抜かれた女が強欲の黒で射抜かれた男にいいように遊ばれてた時のあの滑稽さったらなかったけどな。


「さて……。昨日失くしてしまったナミダ。あれだけは回収しておかないとな」オレは一人呟く。オレは昨日、イタズラ心と好奇心から無色のナミダを矢じりに据えた矢を持って人間界に赴いた。その矢で射られた人間の反応を見たいという好奇心がオレを突き動かしたんだ。そして、ふわふわと住宅街の二階程の高さを進んでいると、窓際の机に本とノートを広げている女と目があった。人間どもにオレ達キューピッドの姿は見えない。だが、昨日のあの女とは目があったとしか思えない。咄嗟に矢をつがえ、その女を射ったが、その女は飛んできた矢を持っていた本で軽く払いやがった。昨日はそれに驚いて帰って来てしまったけど、咄嗟に射ったあの矢は無色のナミダのヤツだ。あれは回収しておかねば。


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「ふふーん。あんた、昨日、私にあんな事をしておいて、矢を返せって言いに来たの?」開け放たれた窓にしがみつくように浮かんでいるオレに向かって、女はからかう調子で言う。「悪かったよぉ。もうしないから、頼むよう。返してくれよう」オレはただ懇願するしかない。

「あんたは天使なの? それが見えてる私ってなんかスゴイの?」

「オレはキューピッドだよ。オレ達は基本的には人間に見えないけど、たまに見える人がいるらしい。それがスゴイのかどうかは知らないけど」

 こんな会話を皮切りに、女は色んな事を聞いてきた。オレはナミダを返してもらう一心でそれらに正直に答え続けた。


「ありがと。楽しかったわ。色々聞けたし、返してあげる。この石、色んな色が揺らめくように見えるのね。綺麗で未練はあるけど、ま、しょうがないよね」

『無色のナミダに色だと?』オレは女から矢を取り返すとまじまじとナミダを見る。ナミダは不気味に何色もの色を放っている。コレは、なんだ?その瞬間、背中に大いなる存在を感じてオレは振り返る。


「無垢ではなくなったか、キューピッドよ。オマエはもう、キューピッドのままにはいられない。オマエにはこれより人間としての生を授ける」


 その言葉を聞いて数瞬の後、人間になどなりたくないとオレは叫んでいた。

「おぎゃあおぎゃあ」と。

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無垢の射手 ハヤシダノリカズ @norikyo

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