あなたの血液がブルーハワイになるまで一緒にいる

水色桜

第1話

日が沈みかけ、三日月がくっきりと見え始めた。約30cm左に腰かけているひよりを見る。瞳には風景が映っているが、何も見えていないように見えた。病院の屋上から見る夜景は田舎のためまばらに光が分布しているだけでお世辞にも綺麗とは言えなかった。私は重苦しい空気を吹き飛ばすように息を深く吐き、言葉を紡いだ。

「ひよりの血液がブルーハワイになるまで一緒にいるから!」

ひよりはそれを聞くとまるで驚いたようなそれでいて今にも泣きだしそうな顔で私を見た。

「本当に?ホントにうちと一緒にいてくれるの?」

私は深くうなずき返した。冷たく冷え切ったひよりの手を握りしめる。それが今ひよりを一番安心させることができることだと思ったからだ。

「もう日が暮れちゃうから、病室に戻ろうか。」

私は平然を装いながら呟いた。声の震えを抑えられてはいなかったが、これは屋上が寒かったからということにしておこう。ひよりは1時間前と比べて少し顔色がよくなったように見えた。

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 連絡帳に明日の時間割を急いで書き込む。国語に数学、3時限目は体育がある!マラソン大会が近いから明日も持久走のはず。気が重くなる。まあこの時期は仕方がない。すべて書き込み、教科書と連絡帳をバッグにしまう。黒い肩掛けのバックの紐を右肩に乗せ、教室を出る。一年生は3階に教室があるため、校庭までは地味に遠い。校庭につくとひよりが自主練をしていた。ひよりは私と同じクラスで、陸上部のエースだ。得意種目は400メートル走で、この前は県の大会で2位に入って校内で話題になっていた。ひよりはただ速いだけでなく、走り方も美しいのだ。一歩一歩地面を足がしっかりとつかみ進んでいるのが見るだけすぐにわかる。下半身は強くそして速く動いているのに、腰から上は全くぶれない。私はひよりの走りが好きだった。いや違うか。ひよりの走り‘も’好きというのが正しい。

「今飲み物準備するね。多分みんなが来るまでには作り終わると思うから。」

私はひよりに声をかける。今日のひよりはいつものポニーテールではなくてなぜか二つ結びをしていた。普段よりのあどけなくそしてかわいく見え、私はひよりを直視できなきなくなっていた。その日は大会の前日ということもあり、軽い練習を行い、一度測定を行った。ひよりのタイムはこの前の大会より0.8秒速く、明日も今のタイムであれば十分優勝を狙えるほどだった。練習が終わり、マネージャーの私は道具の片づけをしているとひよりが声をかけてきた。

「楓、明日も大変かもだけど色々よろしくね。絶対に優勝して見せるから!」

わざわざ感謝の言葉を伝えてくれるなんて!ひよりは男女ともに人気があった。それはこういうところが理由なのだろう。

「ありがと。ひよりの走り楽しみにしてるから!」

目線が合わせられなくて、ちょっと不自然になってしまった。幸いひよりは気づいていないみたいだった。


 翌日、マネージャーの私は大忙しだった。飲み物と昼食の準備、テーピング、みんなの出る種目の把握など、あっという間に午後になっていた。昼食休憩後にはひよりの出る400メートル走がある。何としても最前列で応援しなければ!計測が進み、ついにひよりの出る組になった。ひよりは両足で軽くジャンプして息を整える。表情は明るく、ちょっと笑っているように見えた。よかった。どうやら今日は調子がいいみたい。3・2・1カウントダウンが始まり、ピストルが撃たれる。ひよりは合図とともに最高のスタートダッシュをきり、最初の100メートルですでに先頭になっていた。しかし、100メートルを過ぎたとき、事件が起きた。突然ひよりが足を抱えて倒れこんだのだ。それだけでなく苦しんでいたと思ったら、突然失神してしまった。先ほどまで熱狂の渦にあった会場は突如として騒然となった。係員のひとが急いでひよりにかけより、すぐに救急車が呼ばれた。大会が終わった後、私も高田先生に頼んでひよりの運ばれた病院に駆け付けた。ひよりは倒れてから約2時間後に目を覚ましたらしい。

「先生によるとひよりは血糖値とHbA1cが異常に高かったらしい。先天的にインスリンが正常に分泌されず、ひどい糖尿病になっていたんだ。ひより自身も疲労感や手足のしびれは感じていたが、練習の疲れだと思っていたそうだ。」

高田先生は声を潜めて言った。

「でもなんで失神なんてしたんでしょうか?」

「糖尿病が末期まで進行すると意識を突然失ったり、足がつったりするらしい。先生曰く、安全のため陸上はやめたほうがいいそうだ。」

「そんな…ひよりは誰よりも陸上が好きなのに…ひよりはいまどこにいますか?」

「今は屋上にひとりでいるそうだ。しばらくほおっておいてほしいと言われた。」

「私、ひよりのところに行ってきます。こういう時ぐらいしか役に立てないから。話だけでも聞いてきます。」

私は近くのエレベーターに乗り、屋上に向かった。ひよりは夕焼けの中ベンチに腰かけていた。私はここまで来て声をかけるか迷った。同じクラス、同じ部活というだけであり、そこまでひよりの心に踏み込んでいいのだろうか?そんな気持ちをどうにか飲み込み、私はひよりに声をかけた。

「体はもう大丈夫なの?」

「うん。今はどこも痛くないよ。今はちょっと一人にしてほしいかな。」

ひよりの声は今までにないくらい低く、暗くなっていた。言葉の節々にとげなようなものがあり、会話をしたくないということがいやというほど伝わってきた。

「外は寒いから中に入ろう。」

私はもう一度声をかけた。

「だから!一人にしてっていってるでしょ!」

今まで聞いたことのない怒りのこもった声でひよりが言う。

「もう陸上はやめたほうがいいって言われたんだ!私には陸上しかなかったのに!私の気持ちなんてわからないでしょ!お願いだから今は一人にして。」

「でも…もしかしたら症状がよくなってまたできるようになるかもしれないよ。」

「それはないって言われたよ。これから血糖値とHbA1cは上がり続けるから薬を使うけど運動は控えなくちゃだって。」

「そんな…」

私は続く言葉が出なかった。この先ずっと陸上ができないなんて。ひよりの心中を察するといたたまれない気持ちになる。

「陸上のできない私なんて何の価値もない。きっと楓もがっかりしてるでしょ。走ることしか能のない私から陸上を抜いたら、誰も気になんか止めなくなるにきまってる!」

自暴自棄に近い言葉が空間を埋める。私にはなんて言っていいかわからなかった。でもひとつだけ確かに言えることがあった。

「確かにひよりの走りは好きだよ。でもそれだけじゃなくて、私はひよりの全部が好き。だから私がひよりから興味を失うなんて絶対ないよ。」

私は重苦しい空気を吹き飛ばすように息を深く吐き、言葉を紡いだ。

「ひよりの血液がブルーハワイみたいに甘くなるまで一緒にいるから!」

ひよりはそれを聞くとまるで驚いたようなそれでいて今にも泣きだしそうな顔で私を見た。

「本当に?ホントにうちと一緒にいてくれるの?」

私は深くうなずき返した。冷たく冷え切ったひよりの手を握りしめる。それが今ひよりを一番安心させることができることだと思ったからだ。

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