今日もまた、同じ食事をしている

海沈生物

第1話

 両手には銀のナイフとフォーク、テーブルには美味しい肉のステーキ。左手のフォークでステーキを抑えながら、右手ナイフで肉を切り離し、口の中に放り込む。最高級のその肉は舌の温度で蕩けてしまい、やがてソースの味の余韻だけを残し、消えていく。


 今日もまた、同じ食事をしている。これで2089になった。


 こういう食事をしていると、よく知人から「もしかして、貴方だけディストピアに住んでいるの?」とか「家庭内で深刻なDVを受けている?」と心配になられていた。しかし、そうではない。私は好んでこのような食事をしているのだ。


 私がパンパンと手を叩くと、部屋の奥からメイドと執事がやってくる。空っぽのお皿を見ると、いつものように「かしこまりました」というと、ナイフもフォークも、そして肉が載っていたお皿も。彼らは全てを持っていてくれて、テーブルの上には塵一つ残らない。ただ、ツルツルに磨かれたテーブルに、私の醜悪しゅうあくな顔面がうつるだけだ。


 その醜悪な顔面だけを眺めて、午前七時の朝食から正午零時までの昼食の五時間。ただ次の食事が来るまで、テーブルを動くことなく、待機しているのだ。何度も言うが、ここはディストピアでもなく、私はDVを受けているわけではない。椅子から立ち上がってこのダイニングから出れば、私は簡単に外へ出ることができる。


 両親は海外出張に出ているためにDVを受ける要素自体がそもそもなく、ただ――――強いて言えば、「幼い頃から両親と年に一度しか顔を合わすことがない、可哀想な境遇の人間」になるのだろうか。私はそんな境遇に対して可哀想だと思っていないし、むしろ安定した生活のために毎月のお金と専属のメイドと執事を用意してくれたことに対して、両親に対して大変感謝の気持ちがある。


 しかし、そんな日常にも変調が訪れる。簡単に言えば、2089回目の食事を境にして執事とメイドが肉を届けにきてくれなくなったのだ。それどころか、二人がダイニングに入ってくることがなくなった。まさか、両親が突然死してお金が払わなれなくなり、私みたいな醜悪で無口な小娘に尽くす理由など、なくなってしまったのではないか。


 あるいは、単純に醜悪な私の元で働くことに飽きてしまったのか。


 クソったれルッキズム、と椅子の上で溜息をつく。私が美人で話し上手な娘であったのなら、二人はお金なんてなくても、「お嬢様のために!」と尽くし続けてくれたのだろうか。あるいは、そうでなくても、ただ「ありがとうございます」とか「おはようございます」みたいな挨拶もしておけば、人間味を感じてくれて「醜悪だが、悪い子ではないからな……」と尽くし続けてくれたのか。


 後悔、先に立たず。今更考えても無駄だ。私は同じ日常を送ることを自分の自由意志で決めたのだから、そこに「仕方ない」と言えるような理由はないのだ。たとえ「君の境遇がそんな変態的な行為に及ばせたのだ」と誰かに言われたとしても、誰に縛られたわけもなく椅子の上にいることを決めたのは、私なのだ。

 もう既に成人年齢を超えている以上、そこにあるのは「仕方ない」ではなく「自業自得」である。政治がどれほど完璧で理想的なものになったとしても、どうにもならない「自業自得」である。


 このまま、私はこの椅子の上で死ぬのだろうか。さっさと椅子の上から動いて、自分でご飯を買いに行けば良いのは分かる。しかし、ここまで変態的に同じ生活をしていると、いっそこのまま椅子で野垂れ死んだ方が、普通の人生を送るよりも楽しい気がしてくる。


 考えてもみてほしい。仮に私がこの椅子から立ち上がって、クソ暑い中でマスクをして、スーパーへ買い出しに行く。「暑くて食欲ないし、そうめんでいいか……」と揖保乃糸いぼのいとを買うとする。帰宅して、茹でて、それを食べる。私は正常な思考を取り戻す。しかし、そこで気付くだろう。私は「椅子の上に座って死んだ異常者」という立場をわざわざ捨ててまで、どうしてこんな普通の日常に戻ったのだろう。


 成人の癖に高卒で仕事もない。仮にこれが「生まれが貧乏で……」のような理解のできる理由があるのなら、多くの人の「可哀想」という共感を得ることができる。しかし、私は自由意志の「自業自得」の選択として、「椅子の上に座って食事をする」だけの同じ生活を繰り返しているのだ。多くの人はそんなやつの話を聞いても、一般的な話が支離滅裂な人間の話を聞くのと同じような「こわ……」という感想を持つだけだろう。ただでさえ相互理解が難しい現代社会において、もはやそんな変態的なことをしてきた人間なんて受け入れてくれる居場所はない。監獄か牢獄ぐらいしかない。


 だったらもう、初志貫徹しょしかんてつ。ここで野垂れ死んだ方が幸せということではないか。私は椅子の上でグッと背筋を伸ばすと、久しぶりに天井を見上げた。そこには、私がこの椅子の上で生活をする前に飾った一枚の写真がある。その写真には、私の2089の家族が映っていた。

 それを見た時、私は「あー」と気付きの声を漏らす。


「だから、届かないのか。肉」

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