傲慢で高飛車な幼馴染が結婚を迫ってくるがこのままだと俺に明るい未来はない

桜花

オープニング

 暑い……。溶ける……。死ぬ……。

 俺が歩いていたすぐそばを自転車が通り過ぎていき、僅かなそよ風と共に熱波に当てられた王将は思わず顔をしかめる。

 時刻は午前8時過ぎ。まだ太陽が出始めてからそう時間が経っていないはずなのに、気温は既に30度を超えているらしい。

 家でトーストにバターを塗りながらニュースを見ていた時はそんなことあるはずがないと鼻で笑っていたのに、どうして神様はこんな過酷な試練を俺に与えてくるのだろうか。

 今朝の気温を教えてくれたお天気お姉さんを恨みつつ、王将は神様に懇願する。

 必要であれば土下座もします、言われれば喜んで靴も舐めましょう。だから7月の設定温度を後10度ほど下げてはくれないでしょうか。このままだと人類は干からびてしまいます。

 王将は額に浮かび上がった汗を腕で拭い、同じ目的地へと向かう他の生徒たちの顔を伺う。

 そのほとんどは知らない顔で話したことなんて一度もないのだが、彼らが何を考えているのかは手に取るように分かった。

 この暑さに対して暴言を吐き連ねているが、今すぐ家に帰ってクーラーの効いた部屋で二度寝をしたいと考えているかのどちらかである。

 教室にクーラーがついているのは唯一の救いだが、学校が経費をケチっているせいで授業が始まる9時までピクリともせず、動いたとしても設定温度が高すぎるせいであまり涼しくない。

 クーラーの件は今年の生徒会長が学校側とだいぶ揉めているらしいが、特に彼女と関りのない俺にとっては教室を快適な空間にしてくれるならなんでもよかった。



「おはよう、王将。これ教室まで持ってってくんない。ちょっと用事があるんだよね」

「…………」

「……なに、文句があるならなんか言ってくんない。これじゃ私があんたをいじめてるみたいじゃん。ほら、さっさと荷物持つ」

 灼熱の暑さに茹で上がりそうになりながらもなんとか学校までたどり着き、下駄箱で下足から上履きへと履き替えていると、急に後ろから声をかけてくる者がいた。

 挨拶もそこそこに自分の鞄を押し付けてくる彼女の名前は渡来飛菜わたらいひな

 俺の幼馴染であり、幼稚園時代からずっと付き合いのあるただの腐れ縁だ。

 王将は飛菜が突き出してきた鞄を何も言わずに受け取り、自分の肩へとかける。10年以上の付き合いがあるからこそ分かるが、ここで彼女の要望を断ると後が怖い。

 教科書類は全て教室に置き勉してるくせに、彼女の鞄が異様に重いのは長年の謎だった。

「……あのさ王将。私、そろそろ誕生日なんだよね」

「あぁ、そういえばそうだったか。確か……来週の月曜日だったよな」

「そ。今年の誕生日プレゼント期待してるからね。はー、これでようやく私も結婚できるような歳になったわー」

 人に鞄を持たせておきながら、飛菜はなんの悪びれもしない顔で大きく伸びをする。

 来週の月曜日、つまりあと7日後には彼女の誕生日を迎えることになってしまう。毎年この時期になると俺の財布が悲鳴を上げるのはもはや恒例行事だ。

 去年は夏服を買いたいからとデパートに連れていかれ、一昨年は海が見たいからと勝手に予定を入れられて新幹線の切符を買う羽目になった。

 俺に対して高飛車な態度を取っているのはいつものことなのでもう慣れっこだが、自分が誕生日である日だけは俺の扱いに容赦がないように思えた。

「悪いけど、今年は受験勉強もあってバイトできなかったから金欠だぞ。お願いだから昼飯抜きにしなくちゃいけなくなるような真似は勘弁してくれ」

「……分かった、別にいいよ。王将がいい大学に行くために受験勉強頑張ってるのは知ってるし、今年は勘弁してあげる。ほら、私って優しいしねー」

 だから、王将は彼女がそう言ったときには天地がひっくり返るほどに驚いた。

 雪でも降り始めているのではないかと思って外を見るが、外は相変わらずの晴天で天候の崩れは感じられそうにない。

 今年に入ってから何度も登下校中に飲み物をせびられ、ほぼ毎日のように購買部へと昼飯を買いに行かせている飛菜がなにも恐喝ねだってこないのは普通におかしい。

 これは何かしら企んでいるのだろうと思い、案の定その予定は的中していたのだが、彼女が次に口にした言葉は王将がまず想像できないような内容だった。

「その代わり、学校が終わったらすぐに市役所ね。書類上の手続きだけだったらすぐに済むでしょ」

「…………は?」

「聞こえなかった、市役所よ市役所。婚姻届けって市役所で出せるものなんでしょ。ほんとは学校ずる休みして行っても良かったんだけど、出席日数が危ないから仕方ないよね」

 まるでそれが当たり前かのように話を進めている飛菜を見て、王将は開いた口が塞がらずに一瞬息をするのを止めてしまう。

 自分の耳がいきなり義耳になったりしなければ、飛菜は来週の月曜日に市役所まで婚姻届けを出しに行くと言っている。

 誰と、俺と。誰が、飛菜が。

 たちの悪い夢を見ているなと思いながら腕に手を伸ばして思いっきりつねってみるがかなり痛い。どうやらこれは現実で起きていることらしい。

 はるか昔の記憶を遡ってみると確かにそのような約束をしたような覚えもある。それを覚えている俺も対外なのだが、その約束をしたのは確か幼稚園の頃だ。

「大人になったら結婚してあげるー」「ほんと、ありがとー」

 ただそれだけの会話。

 それは自分たちがまだ子供で未熟だったからこそ口にできた発言であり、今となってはただの黒歴史にしかならない微笑ましい思い出なのだが、どうやら飛菜はその約束を本気にしているらしかった。

「じゃ、そういうことだから。その鞄はいつもみたいに私の机の上までお願い。まだ時間あるし、私は明日香と少し話してから教室に行くことにするよ」

 あまりにも唐突だったので頭の処理が追い付かずにその場で固まっていると、当事者であるはずの飛菜はまるで何事もなかったように上履きを履いてその場を後にする。

 まるで放課後スタバに行こうというぐらいの軽いノリで結婚の約束を言い渡され、王将はどういう反応をすればよいのか分からなくなっていた。

「冗談……じゃないよな。あいつなに考えてるんだか……」

 飛菜とはもう長い付き合いだからこそ分かる。あの目は冗談なのではなく、本気の目だ。

 だからこそ、俺はなんて返せばいいのか分からなかった。

 確かに飛菜は他の人とは比べものにならないほど可愛い方だろう。高校生でありながらも現役アイドルとして活躍しているだけはある。

 ネットでも数十年に一度の美少女だとかなり噂されているらしいが、テレビの中で映っているのは彼女の外面だけ。飛菜の内面を知ったらきっとネットは大炎上だろう。

 そして、その内面を誰よりも知っている俺からしてみれば、飛菜と共に人生を送っていくのは不安でしかない。

 彼女に顎で使われながら毎日過ごしていく姿を容易に想像できてしまう自分がなによりも恥ずかしかった。

「もし俺に彼女ができたりしたら飛菜も諦めてくれるかもしれないけど……、そんなことあるはずがないよな。飛菜以外の女子とまともに話した事すらないっての」

 なんとかこの状況を打破できないものかと頭を巡らせるが、既に詰み状態であることを再確認できただけで無駄な時間を過ごしただけだった。

 飛菜は人情に厚い人なのでもし俺に彼女が居たりしたら諦めてくれるかもしれないが、たったの1週間で陰キャぼっちである俺が彼女を作れるはずがない。

 そんなことができたら俺はラブコメの主人公に早変わりしている。打つ手がなくなった俺がもう投了するしかない。

 王将は心の整理がついた所ですくりと立ち上がり、教室に向かって歩き出す。

 幸いにも、飛菜の誕生日まではあと1週間ある。その間に、王将は飛菜の手足として生きていくための覚悟を決めていくつもりだった。

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