その2 オーバースピード

「はぁっ?!」


 慌てて後ろを振り返ると……遠くに確かに、蝙蝠みたいなシルエット。

 しかもついて来ているっぽい。音はしないから距離は結構あるみたいだけど。


「近くで見てみる? 少し速度落としたら追いついてくるわよ?」


「とんでもない、さっさと先に行こう」


 実を言うと興味はあるけど、危険を冒してまで構っている暇はない。それに、寝る時間が無くなるしね。

 ネフに合図して、僕はスロットルを押し上げる。

 風の音がびう、と強まり——ばさり。


 ……なんだ、今の音?


「あら、あのスラーミンついてくるわよ。普通より速いわね」


 ネフが感心しながら言った。


「レノン、もう少し速度上げましょ。追いつかれちゃうわよ」


「いや——」


 右手に握ったスロットルが、かつんと奥に当たっていた。

 ——すでに最高出力だ。

 運が悪いことに高度も低い。降下して速度を稼ごうにも、低すぎる。


「どうしたの?」


 自分の顔がさーっと青ざめるのがわかる。こういうのって本当に感じるんだなー……知りたくなかった。


「……これで全開なんだよね」


「嘘」


「倒せる? もしくは追っ払うとか」


「攻撃したら仲間を引き連れて襲ってくるわ」


 光を嫌がるから、多分これで……とネフは指を伸ばした。

 ぽわぽわと、その指先に光が収束していくのを見ながら、ぽつりと呟く。


「——ビガ・フレス大閃光を現せ


 背後で巨大な光球が弾けて、真夏の日差しのような強烈な光が風つかみを照らす。

 暴力的なまでのコントラスト……! 風防の反射ですら痛くて、これは直視したら目が焼けるぞ。

 ようやく光がおさまってきて、振り返ろうと首を捻ったら、


 ——ネフがさらに大きな光球を作っていた。


「え、ちょっと」


ビガ・フレス・マクマ最大の・大閃光を現せッ!」


「うわっ」


 呪文が聞こえた直後、空気が鋭く肌を刺した。

 本能が瞼を閉じさせた瞬間、重厚な閃光が炸裂。

 一拍置いて、光が質量を持ったかのように、不可視の衝撃波が僕らを飲み込む。

 例えるならば、無音の雷を突然出現させたような。おそらくは、ネフの最大火力。


 なのに。


 杖を握りしめた光の魔女は、荒く息を吐きながら呟いた。


「……どういう事」


 相変わらず、耳障りな羽ばたきの音は聞こえていた。

 それも、さっきよりもさらに近くで。

 そういえば前にもこんなことがあったな、なんて現実逃避をし出す僕の脳みそ。


 ——こんなところで終わるのか? 自分の夢も、ネフの目的も果たしてないのに?


 ——じゃあどうしろって言うんだ。それに死ぬのが怖いなら、はなから冒険者なんてやってないだろう。

 冒険者なら、襲われて死ぬなんてよく聞くことだし。


「ネフ、二手に別れよう。君は全速で西へ飛んで、僕はこのまま飛ぶから」


「……それじゃあ遅いレノンが襲われるだけじゃない!」


「前方の風が乱れている音が聞こえるんだ。なぜかはわからないけど、上昇気流が発生してる。そこまで行けば、急上昇して高度を取れる。高度が取れれば、急降下で加速して逃げ切れるよ」


「たどり着くまでに追い付かれない?」


「大丈夫だよ」


 たとえ──まあ十中八九追い付かれるだろうけど。こんなところで、冒険者でもないネフを死なせる訳にはいかない。

 魔女はハシバミ色の瞳でじぃ、と僕を見つめた。

 そして、はぁ、と首を振る。


「٠٠٠٠٠٠その作戦は嫌」


 ──そういうが早いか、ネフは箒を風つかみに横付けした。身を乗り出して、機体の縁へ手を掛ける。


「何を──?」


 まさか……と思った次の瞬間、えい、と掛け声をあげて、後部座席に飛び乗るネフ。


「危ないよ! 落ちたら助けられないのにっ」


「落ちなかったのだし、いいでしょ」


 ぐらつく風つかみの上、ネフが杖を抜く。


「しっかりつかまってなさいな」


「──ネフ、何する気?」


「二人で逃げるのよ。──ビガ・ウィノール……マクマ最大の・強風を吹かせよ!」


 刹那。

 音が、後ろへすっ飛んだ。

 経験したことがないほどの急加速。


「──っ!」


 身体が無理やり、平らに潰されるような。

 言葉が音を伴わない空気になりさがり、吸ったばかりの酸素と共に、肺から漏れ出た。加えて、激しい振動と風圧が感覚を塗り潰す。

 ネフの風魔法か。ぼんやりした頭は、それくらいしか判断できなくて。

 ……何か、このままでは駄目だと思っていたけれど、それがなぜかはわからなかった。



 だから、風の音に混じってめきめきと、良くない音が聞こえてきても。


 視界の隅で、白い何かが飛ばされても。


 風つかみから、空気が剥がれていくのを感じていても。


「──いけないっ!」


 ネフが悲鳴をあげるまで、身体は全く動かなかった。





(その3へつづく)

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