第3話 生絞りジョッキ大と化け物ども

 ヨガインストラクター稼業を終えシャワーを浴びると、私はファミレスの深夜帯責任者・若葉ゆいの顔に戻る。

「生絞りジョッキ大四つお待たせしました」

「たっくんのあわあわ生絞りおいちいのおおっ」


 時刻は午後十時。私を悩ませる常連の女性美容師たちがやってきた。

 いつもの生絞りジョッキ大四つの注文から始まるセクハラ口撃こうげきに聞いている方がうんざりするが、拓人さんは動じない。

「白いのあふれちゃううっ」

 彼女たちは仕事帰りに来店しては、客商売のストレスを発散するかのように若い男性店員に絡むのがお約束だ。


「たっくんの白いあわあわ生絞りもっとちょうだいいいいっ」

「はい、生絞りジョッキ大追加ありがとうございます」

 若い男に絡みたかったらホストクラブに行ってくれと、ドリンクサーバーのメンテをしながら内心で毒づく私とは対照的に、拓人さんはひょうひょうと追加オーダーを取っていく。

 拓人さん曰く『女の人は美人かかわいいしかいない』そうだが、彼女たちが化け物どもにしか見えない私は修行が足りないらしい。


「たっくんの生絞りちょうだいねえ」

「あたしもたっくんの生絞り欲しいのっ」

「はい、生絞りジョッキ大追加ありがとうございます」

 空になったビールサーバーを取り換えている間にも、酒が進んで浮かれた彼女達の声がいやに耳につく。 


「たっくんカットモデルやってよー」

「えー嫌ですよー。俺地味メンだしカットモデルとか無理」

 お代わりのジョッキ生大を配り終えた拓人さんが、困ったように小首を傾げているのが窓に映った。

「たっくんかーわーいーいー」

「アッシュ系に染めたら似合いそうだよねえ」

 フロア中にアラフォーアラフィフの四重唱がとどろき渡って、資格試験勉強中の常連男性客が露骨に嫌な顔をした。


 ぎゃいぎゃいと騒ぐ彼女たちを見かねた田奈純二たなじゅんじさんが私に声を掛けてきた。

「若葉さん、拓人君がせっかく慣れてきたのにあの酒乱共に絡まれすぎて辞められたら困りますよ。俺一人でフロアは回せますから下げましょう」

 田奈さんの提案にうなずくと、彼は私より一回り以上年上のセクハラ加害者の輪に突入していった。


「レモンサワーとウーロンハイに冷ややっこお待たせしましたー」

 田奈さんは年金受給までの繋ぎのバイトだとは思えぬほど野太く快活な声とゴムまりのように膨らんだ体で、拓人さんとセクハラ客の間に割って入った。




「しばらくバックヤードの在庫のカウントをして欲しいんだけど」

 私はワインやビールケースがずらっと並んだバックヤードへ向かった。

「こんな所あったんですね。お化けとかでそう」

 狭い階段を照らすのは薄暗い裸電球一つだ。

 私は狭い階段を下ってバックヤードの鍵を開けた。


「品名ごとに在庫カウントして空欄に本数を書いて。十五分を目安に作業して」

「え、行っちゃうんですか」

 部屋を出て行こうとする私の背中に、拓人さんが意外な言葉を掛けた。

「田奈さんをずっと一人にしておくわけにはいかないし」

「ここ、化け物とか幽霊とか出そう」

 いつもは落ち着いた雰囲気の拓人さんが、妙に心細そうに大きな瞳を震わせながら私を真っすぐに見た。

 きっとこの心細そうな表情もセクハラ客達を舞い上がらせるに違いないと思いつつ、私は階段を上がっていった。


 フロアに戻ると時計は午後十時半を回ろうとしていた。

「たっくん今日シフトのはずなんだけどな」

 階下の拓人さんの代わりに空いた席を片付けていると、拓人さんと一緒に買い出しをしていたオコジョのような顔の女性と目が合った。デリの子だ。

「あ、こんばんは。鈴木君はお休みですか」

 一頃流行ったB-boyのような男性の隣で窮屈きゅうくつそうにしながら、彼女は私に問いかけた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


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