第20話 ディートリンデ

 ドロテの一行はカネウラの北門から入り、聖女とその護衛は北街区の教会前でお別れ。残るメンバーは南街区にある領主屋敷の前庭でいったんお開きとなった。


「ハンネス隊長、それに他の護衛の皆さんもありがとう。あなたたちの忠節は忘れません」


「ありがたきお言葉にございます。ですが、ドロテ様をお守りする任は明日の午前中もありますので……」


 ドロテは先走ってしまったとばかりに張り付いた笑顔でアルマを見遣れば、彼女は何事もなかったように平然と明日の護衛をお願いする。


「それではハンネス様、明日は予定通り9時から10時の間にお迎えに来て下さい。それまでに変更が必要な事態が発生した場合には、モウリ屋敷から使いの者を出します」


「ええ、分かりました。それではドロテ様、我々はこれにて失礼します」


「失礼。重ねての確認になりますが、オダ家のドロテ様とお付きの方でよろしいでしょうか?」


 ハンネスたち護衛隊と馬車を預けた御者が立ち去ると、入れ替わるように執事の風体をした若い男が話しかけてきた。落ち着いた茶気鼠ちゃけねず癖毛くせげ、身長はアルマより少し高いくらい。


「如何にも。こちらは我が主のドロテ・オダ様。私は侍女のアルマ・フォーゲルでございます。ところでモウリ家の執事の方とお見受けしましたが、お名前を教えて頂いてもよろしいですか?」


「これは失礼しました。申し遅れましたが、私、当主のラインホルト様に近習きんじゅうしておりますイグナーツと申します。どうぞお見知りおき下さいますよう。それにしてもこれはこれは……」


 そう言ってイグナーツが嬉しそうにドロテを眺めれば、アルマはわざとらしく咳を一つ。


「おや。またまた失礼しました。ささ、主のもとへ案内いたします。ドロテ様の御姿を一目見れば、きっと大喜びなさるはずですよ」


「はい、よろしくお願いします」


 不躾なイグナーツの視線だったが、ドロテは気にしていないようだ。柔らかな表情のまま案内に従い、玄関ホールの階段を2階へと進んでいく。彼も容姿に秀でた主に感嘆していただけであろうが、侍女のアルマからしてみれば、男性からの視線はどのようなものであっても気が気ではないのだ。


「到着いたしました。この扉の向こうにラインホルト様がおりますが、ドロテ様、ご準備はよろしいですかな?」


「はい」


 それを聞いたイグナーツは「しからば」と頷き、ノックに続いて「ご当主様。ドロテ様をお連れしました」と中の声を待つ。


「うむ。入れ」


 扉越しに聞こえるは心臓を震わせる重々しい声。「失礼します」とイグナーツが扉を開き、そのまま押さえて二人の入室を促せば、その二人の瞳に映るのは部屋の奥、大きな机を背にこちらを向いて佇む白髪白髭しらがしろひげの男。カネウラを治めるモウリ家当主のラインホルト・モウリであった。


 大きな音を立てぬように扉を閉めたイグナーツが、ラインホルトの斜め前に控えると同時に、ドロテがこうべを垂れながら口上を述べる。


「初めてお目にかかります。グスタフ・オダが末子、ドロテ・オダにございます。召命の儀にあたり、御心配おこころくばり頂きましたこと、誠に感謝いたします」


 それを受けてラインホルトは感慨深げに2度、うん、うんと頷き、しばしの沈黙の後に口を開く。


「よく来てくれた。私がモウリ家当主のラインホルトだ。……それにしてもよく似たものだ。これほどまでとはな」


「あの、お爺様」


「なんだね?」


「よく似たものだ、とは何でしょうか?」


「おお、すまんすまん。我が娘、ディートリンデの若い頃に余りにも似ていてな。瓜二つと言ってもいい」


「お館様。ドロテ様も長旅で疲れておいでだと思われますのでそろそろ……」


 イグナーツが、ラインホルト、ドロテ、アルマと視線を移せば、話が長くなりそうな気配を感じ取ったのだろうか。小さな声でラインホルトにお開きを具申した。アルマなどは荷物を持ったままであり、心の中で若い近習に謝意を示す。


「おお、そうだった。危うく昔話に花を咲かせるところだったわ。それではドロテよ、今宵はお主のために、ささやかながら歓迎の晩餐を用意しておる。そのときに語り合おうぞ」


「ええ。それではまた後ほど」


 再びドロテとアルマは、イグナーツの案内の元に屋敷を進むが、ドロテはどこか浮かない表情だ。


「イグナーツ殿、少しよろしいですか?」


 主の表情から何かを察したアルマが、粛々と前を行く若い近習に相談しようと声を掛ければ、おもむろに立ち止まった彼は、実に気持ちの良い笑顔で振り返る。


「はい、なんでしょうか?」


「当家にはディートリンデ様のお顔を写したものが1枚しかないのです。もし、こちらに若き日のディートリンデ様を描いた肖像画などがあれば、是非とも拝見したいのですが」


 その言葉に彼はドロテとアルマを交互に見て頷く。


「心得ました。ですが、ドロテ様は大変にお疲れのご様子なれば、お部屋の案内を優先しても?」


「ええ、勿論です」


 では、とイグナーツが先導を再開し、二人もそれに続くと、やがて通された部屋は来賓用というよりは、屋敷に住まうモウリ家の私室といったおもむき。机、椅子、ベッド、果ては調度品に至るまで長年に亘って使われてきた風格が漂っている。


「こちらが、今晩ドロテ様にご宿泊頂くお部屋にございます。失礼かとは存じますが、アルマ殿もこちらのお部屋にてお過ごしくださいませ。晩餐については19時、明日の朝食については7時にお迎えに上がります。時計はあちら、部屋の扉の横にございます。それから御要望の肖像画は暖炉の上に数枚ございますので、ご自由にご鑑賞ください。最後になりましたが、こちらはディートリンデ様が15歳になるまでご使用されていたお部屋でございます。ご希望に添えておりますでしょうか?」


 イグナーツの視線の先にいるドロテの、その満願叶ったかのような表情を見れば、答えは一目瞭然であった。この若い近習か、当主のラインホルトかは知る由もないが、恐らくこうなることを、或いは元よりこうすることを望んでいたのだろう。


「何か御用向きがあれば、廊下に控える夜番の者にお伝えください。それでは失礼します」


 若い近習が去った後の静かな部屋には、アルマが二人分の荷物を整理する音だけが響く。ドロテは失業中の暖炉の前に立ち、大小5枚ほど飾られている絵に吸い込まれていた。


「ねえ、アルマさん」


「はい、只今そちらに参ります」


 荷物の整理を中座してドロテに近寄ると、暖炉の上の画廊がアルマにもよく見えた。縦33センチ、横27センチで真横から描かれたものから、大きなものは縦72センチ、横100センチで家族が勢揃いしてポーズを取っているものまである。


「私、お母様に似ているのかしら?」


 そう尋ねられて視線の先を追えば、そこにあったのは光沢のある紺色のドレスを着て斜め前を向く、ディートリンデとおぼしき若い女性の全身像。時の止まった彼女が腰かけたその椅子の背束せつかには、手がけた者の遊び心か。ご丁寧に『1551,ディートリンデ』と見て取れる。

 なるほど、これは確かに瓜二つだとアルマはすぐに得心するが、無論、全く同じであるはずがない。


「ええ。ディートリンデ様と大変に似てらっしゃいますね。特に顔の輪郭と、目元、口元などはそっくりでございます」


「他は?」


「ドロテ様の眉と鼻は、ディートリンデ様よりグスタフ様に似てございます」


「そう」


 返事はそっけなかったが、ドロテの心情はその外連味けれんみの無い喜色の横顔が雄弁に物語っていた。

 ドロテ様は飽くことなく肖像画を眺めることだろうと、荷物の整理に戻ったアルマは思っていたのだが、視界の端にいる主は予想よりも早く暖炉の前から離れてゆく。そのまま彼女は昔からここに住んでいたかのように、すんなりと椅子に収まった。


「不思議なものね。私、お母様と話したことも、ここに住んだこともないのに、随分と落ち着くわ」


 そのとき、ドアをノックする音が室内に響き、慎ましい晩餐会へといざなわれる。ラインホルトはただの年老いた父親となり、ドロテに向かって何度も何度も、ときに涙を流しながら「ディートリンデ」と声を掛け、次期当主のハインリヒを始めとしたモウリ家の者たちを困らせていたが、ドロテは嫌な顔一つせずに、律儀に返事をしていたという。

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