第8話 静寂の夜
夜が更け、漸く一息付けた。
バルコニーで月明かりを受けながら、六道は浅くため息を零す。
大きな館である故、使用人の数は多い。
しかし、そんな中でも館の主人の状態を知るのはマリー1人だ。
マリー曰く、使用人の中にもベルグリードの間者が居るというのがその理由だが―。
そもそも、本拠地にまでスパイがいるなんぞ、どう言う事だ。
呆れるべきか、相手の腕の長さに恐怖すべきか。
―或いは、ネイブという男の器量なのか、愚かさの現れなのか。
どちらにせよ、判断のしようも無いが―。
つっと、六道は室内を見渡した。
今居る部屋は、そのネイブの私室。
バルコニーへと繋がる寝室と、隔てがあってリビングがある。
かなり大きな間取りだが、リビングは仕事部屋も兼ねていたらしく、書類や仕事具でスペースを埋めている。
鍵の掛かった引き出しも多く、暗号文書も多い。
(だが恐らく、重要なモノではないのだろうな)
仕事部屋を一瞥して、六道はそう感じた。
直感ではなく、経験則。
仕事柄、人の隠したいモノというのには鼻が利く。
それが薬なのか、金なのか、貴金属なのか。
それとも重要情報なのかの違いでしかない。
(食わせ者…ではあったんだろうな。自宅と言っていたが、ネイブからすれば別邸の一つだったのではなかろうか)
憮然とした態度でそう思うと、六道は再度周りを見渡す。
眼が良ければ、情報は多く集まる。
更には能力を静かな場で全力展開出来れば尚のこと。
今現在、館に詰めている人の数は30名。
内、マリーのような戦闘要員は5名。
そしてー。
六道の眼が庭園に向いた。
―地下には少なくとも40名ほどの戦闘要員か。
私兵だろうか。
それを地下にある施設で囲っているのか…或いは、緊急避難的に集まっているのか。
ふと口の辺りに滴る水滴に気がつき、拭う。
鼻血だ。
無意識のうちに能力を過剰に使っていたらしいが―。
(能力が強くなっているな…)
館の規模を考えれば、前まではその全てを、この精度でカバーすることは出来なかった。
だが今は、それをカバーする上、人数はもとより、加えて朧ながら能力の属性まで分かるようになっている。
出血は、能力の限度を超えているという分かりやすいサインだ。だが、鼻血程度ならギリギリ許容を超えた程度だろう。
失っていない右手で、空の掌を握る。
すると、何かが掌に当たるような気がした。
(三の国、闇、目か)
ダイスの出目。
闇とは超感覚の属性であり、眼とは、超感覚能力者の場合は情報収集能力と処理量を指す。
それがブーストされたらしい。
その結果として、グレゴリーと対面する羽目になったとするなら、これまで発狂した者達の何割かも同じようにダイスを振ったのかもしれない。
そこまで考えると、別の考えも浮かんでくる。
元のこの体の持ち主が、己より強い超人寄りの能力者だった、という可能性。
自画自賛だが、超感覚能力者として自らは一級品だという自負がある。
更にその上となると、それは第一世代。
神代の存在とまで謳われ、突如消えた存在達。
そんなものがゴロゴロいる世界に紛れ込んだのかと思うと、六道の背筋は凍ってしまう。
そして、気にかかる点と言えば、もう一つ。
ダイスに関して。
グレゴリーの元で見た、あの映像。
意識を失う刹那に見た、この男、ネイブの最後。
あの時、この男の手からこぼれ落ちたのは、ダイスではなかったのか。
あんな小さいモノが見えるはずはない、ないが、こちらの目は特別性だ。直感的にそうだと感じたものは、正しい可能性の方が高い。
ならば、あの男がダイスを振った結果、意識が互いに入れ替わった。
もしそうなら、あちらは大変なタイミングで入れ替わったのだろうな、と六道は微かに笑ってしまった。
目が覚めて早々殺されかけるのと、殺されかける瞬間とどちらが嫌か、或いは欠損したのが片目か片腕、どちらが良いか。
程度問題…でいいかな。
まあ、お互い様だな、と六道は嗤う。
嗤うが、直ぐにその笑みは失せた。
(しかし、だとすれば、ネイブとやらも詰んでダイスを振った可能性が高いが…)
思考の果てに薄寒い気配を感じ、六道はやめだ、と呟いた。
考えても分からない事案を思考の外に追い出し、六道は漸くバルコニーを離れ、ベッドへと向かう。
とんでもない柔らかさのベッドだ。
身を任せ、眼を閉じるが、どうにも眠れそうに無い。
山積している問題に思いを馳せながら、最後に思うのは、身の振り方。
(明日はこちらの一派との顔合わせを…とマリーは言っていたが…不安しか無いな。地下の連中も中々の能力者のようだったし、そういうのを囲っているとなると、このネイブという男はとんだ食わせ者なのかもしれない。よし、場合によっては早めに消えよう)
うむ、と一人頷く六道の耳に、ノックが聞こえた。
誰だ、と考える必要もない。
今現在、此処に来るのはマリーだけだろう。
予想通り、扉の外に居たのは彼女。
ただ一つ、予想外なのは装い。
メイド服を脱ぎ捨てた彼女の装いは地肌の透けるネグリジェ。
「夜伽に参りました!」
「そうか。またな」
爛々とした瞳の女に微笑みかけ、扉を閉じる。
「そんな!若様!やはり御加減が!?」
御加減も何も、片腕が無いのだが。
しかも、つい最近から。
おまけに、この館でお前だけは記憶が無いのも知っているだろうに。
マリーの叫び声に頭を抱えながらも、すまないな、と言葉を返したのは我ながら偉いと自賛しながら、ベッドに潜り込んだ。
不思議なことに、先ほどまでの思考の渦はナリを潜めていた。
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