出待ち

瑠璃立羽

ファン

 俺の名前は佐々木恭太郎。大阪の隅っこで、しがないお笑い芸人をやっている。

 まともにマネージャーもつかないような小さな事務所の所属で、小さな劇場にてコンビで漫才をやっている。もちろん生活もカツカツだ。

 今日も夕方までのバイトを終えて、ぎりぎりチケットノルマを捌ききったステージの出番のために劇場に向かった。バイト先からは自転車で二十分弱。電車で移動すれば十分ほどだが今の俺には数駅分の電車代も惜しい。

 いつも通り開場の一時間前に着き、狭い駐輪場にオンボロの自転車を押し込めたところで「あの」という小さな声がした。

 振り向くと、長い黒髪を垂らした小柄な女性が立っていた。俯いて、小さな紙袋を両手で持っている。さっき駐輪場に着いたときには気づかなかった。足音はしなかったが……誰かの出待ちのファンだろうか。芸人のファンが芸人が劇場に入る(または出ていく)ときに接触を図ることは珍しくないが、ネットでの知名度も全然なくましてやメディアの露出なんか一切ない地下芸人の俺に出待ちのファンなんかついたことはなかった。……相方の善慈ぜんじにはたまにいたけど。

「あ、なんか誰かに用事すか。差し入れなら俺渡しときましょか……」

 恐る恐る声をかけると、女性は小さく首を振った。

「ち、違うんです……きょ、恭太郎くんに……これ」

「え!? 俺!?」

 驚きすぎて仰け反っていると女性はずんずんこちらに向かってきて紙袋を押し付けてきた。無地のそっけない薄茶色の紙袋だ。紙袋の匂いに混じって少し甘い匂いがする。

「そ、それじゃ……食べてねっ」

 そう言い残し女性は小走りで立ち去り、ぽかんと間抜けな顔をした俺だけが取り残された。

 

 

  劇場の小さい楽屋の扉を開けると、珍しい先客がいた。

「おーっす、遅いやんけぇ」

「は? なんでもう来てんねん。遅刻寝坊常習犯のくせに。天変地異の前触れかいな。雪と槍が同時に降るかもしれへんわ、怖ぁ」

「どんな天気やね〜ん。ってオレにツッコミさすなやぁ。オレかてたまにはちゃーんとネタ合わせしたいときぐらいあるわい」

「……本当は?」

「ミホちゃんに送ってもろた〜。すごいねんでミホちゃん、オレより若いのに車持ち」

 このヘラヘラ笑いながら全然可愛くないてへぺろポーズをかましている金髪前髪バリながシャツ派手男は俺の相方、水戸原みとはら善慈だ。

 善行を積む水戸黄門の生まれ変わりみたいな名前をしているのに、見た目も中身もカス野郎。ミホちゃんとかいうのもどうせ昨日知り合ったばかりでワンナイトをかましたくらいの間柄だろう。根暗で童貞の俺とは大違いだ。

 こいつとはカンカンダラというコンビを組んでいる。善慈がボケで、俺がツッコミ。コンビを組みたてのとき、善慈がたまたま最近知ったという単語を「なんかカッコイイから」とかいうふざけた理由でコンビ名に推してきて、俺はめちゃくちゃ嫌だったが対抗馬たるセンスいい単語をまるで出せず、なぁなぁのまま今に至る。早く改名したい。

 

「なぁ〜、どしたんそれ」

 おもむろに善慈が長い腕をにゅっと伸ばして俺の右手に握られた紙袋を指差した。

「あ〜……俺に、差し入れ? みたいな……?」

「え、お前に!? 珍しっ」

「うるさいわボケ。さっき渡されてん。俺もびっくりしたけどな」

「ふーん。連絡先交換した?」

「するわけないやろお前ちゃうねんから。ファンに手ェ出したら終わりやぞ」

「ダハハ! そんなんやからいつまでたっても童貞やねん!!」

 大口開けて爆笑していた善慈が、不意に真顔になり鼻を犬のようにひくひくさせた。

「なんか甘い匂いすんなぁ。キョウ、それ貸してみ」

 と言うなり善慈は立ち上がり、俺から紙袋を奪い取った。何の遠慮もなしに紙袋を漁った善慈の手が取り出したのは、

「ゲェッ! キッッショ!! 手作りやんけ!!」

 プラスチックの透明で小さな箱に入ったカップケーキだった。善慈は思いっきり顔をしかめ、まるで汚いものを触るかのように人差し指と親指だけで箱を摘んだ。

「いや、何もそんな言わんでも……」

「いやいやいやエグいてこれは! こんなん何入ってるかわからへんねんぞ!! お前どないすんねん、毒とか髪の毛とか血とか入ってたらぁ、腹下すで」

「そんなんあるわけ……」

「ちゅーわけで! こいつはダストシュートや」

 そう言うなり善慈は野球選手のように大きく振りかぶり、箱を楽屋の大きいゴミ箱に投げ入れた。抜群のコントロールだ。ボサッ! と音を立ててあっさりゴミ箱に飲み込まれる。

「おい。俺が貰った差し入れやねんけど。勝手に捨てんなや」

「アホなお前がうっかり食うて腹下す未来から守ったげたんやん、感謝してほしいわぁ」

「はぁ……」

 勝手に捨てられたのにはイラッとしたが、正直カップケーキはそこまで好きではない。渡してくれたあのファンの人には申し訳ないが、わざわざゴミ箱から拾って食べる気にもならなかった。

 もやもやした罪悪感に苛まれつつ、俺は善慈と今日やる漫才のネタ合わせをすることにした。

 

 

 ややスベッた。

 

 俺はなんとなく納得いかない気持ちを抱えて帰路についていた。ギーコギーコと緩慢に自転車を漕ぎながら、ついつい脳内で一人反省会を行なってしまう。今日の漫才の、何がダメだったのだろうか……? 今日は俺が数日かけて作った新ネタ漫才を下ろした。確かにまだ練れていない部分はある。漫才のネタは一回劇場でやっただけでは良いものにならない。何回もネタを……お客さんの前で披露して、ウケ具合を見てネタを調整する、それを繰り返しやってこそドカンとウケるネタに仕上がる。賞レース決勝常連のコンビなんかはこれを徹底してやっているからこそ強いのだ。

 だが、今回は自信があった。俺が渡したネタ帳を見た善慈が、初めて一発で「ええやん」と言ったのだ。いつもは二つネタを見せて善慈が「まぁこっちかな〜」と選んだ方をやったり、「ここなんか気になる」と善慈が指差した部分を調整したりすることが多い。けど、今回は善慈が特に口を出さなかったので、そのままやってみたのだ。

 善慈はネタを一切作らないが、どうもこのネタはウケやすいという勘は優れているらしい。それに気づいたのは、コンビを組んでから初めて爆笑と言っていいウケ具合を体験したときだ。色々とムカつくことも多いが、俺は善慈のセンスだけは信用していた。本人には絶対に言えないが、善慈の反応がネタ作りのモチベーションに繋がっている部分もある。

 だからこそ納得いかなかった。今日は上手くいくはずだった。どっちも一回も噛まなかったし、テンポも悪くなかったはずだ。ここぞ、というピークポイントで数人の笑い声しか起きなかったときは流石に冷や汗をかいた。今日のネタのどこがダメだったんだろうか? それとも内容とは別の部分が良くなかった……? ツッコミのタイミング、息を入れる間合い、劇場の空気を読む力…………そういえば、今日はやけに空気が重かった気がする。他のコンビもさしてウケていなかったような……?

 頭を捻りながら道の角を曲がった瞬間、自転車のライトに照らされて急に目の前に人が出現した。

「うわっ!!」

 あわやぶつかるところをギリギリ避けてハンドルを反対にきり、俺は自転車ごと車道側に横転した。ガシャッ!! と派手な音がして、俺の右半身に痛みが走る。

「いっ……いったぁ……」

「あ、あの……」

 聞き覚えのある小さな声がする。俺はやっとこさ体を起こし、声のした方を見上げた。

「きょ、今日見てました。あの、劇場で。面白かった、です……」

 ぽそぽそ小さな声でこちらに話しかけているのは、今日俺に差し入れを渡してくれた女性だった。

「あ、ありがとうございます」

「あの、その、カップケーキ……食べて、くれましたか?」

「あっ」

 思わず顔をしかめそうになって慌てて元に戻した。哀れにもゴミ箱に吸い込まれていった小さな箱を思い出す。俺が捨てたわけではないとはいえ、本人にそのまま伝えるわけにもいかない。

「まだです、ね……その……家で食べよう思って」

「嘘ですよね」

 女性の鋭い声に体がこわばる。

「そんなことな」

「知ってるんです。紙袋につけてたGPS、劇場から動いてないですから。紙袋だけ捨てるとかないですもんね。なんで捨てたんですか? なんで食べてくれなかったんですか?」

「えっと、善……相方が……」

 視界がぐるぐる回る。紙袋に……GPS? なんでそんなものを? もしかしてけようとしてた? 捨てたから待ってたのか? いやでもここ劇場から結構離れて……俺より先に帰り道に……おかしくないか……?

「そんなにまずそうでしたか? 口に入れたくなくなる見た目でしたか? 変なもの入れてませんけど? どうしてですか?」

 どんどん距離を詰められ、俺は尻餅をついた格好のまま後ずさる。

「ご……ごめんなさい……」

「私を抱きませんか?」

「は!?」

 とんでもない言葉が耳に飛び込んできてぎょっとする。女性は、なぜか目を輝かせている。

「どういう意味ですか……」

「こんなこと言うの失礼ですけど童貞なんですよね? 私も処女なんです。お揃いですね。初めてはずっと好きな人がいいと思ってたんです、ちなみにキスもまだです。嬉しいです私ずっと言いたくてでも機会がなくてだから私ならちょうどいいんじゃないかってだってケーキ食べてくれなかったしお詫びくれたっていいですよね私はだから」

「ま、ま、待って!!」

 手を前に突き出し女性の言葉を遮る。混乱しながらもこれだけは理解できた。この人、やばい人だ。童貞だの処女だの何を延々言ってるんだ。勇気を奮い起こし、なんとか下半身に力を入れてよろよろ立ち上がる。

「あの、お気持ちは嬉しいです。でも、ちょっとこういうの困るっていうか。俺もファンは大事にしたいんです。なので、その……こういう待ち伏せ……とか、その、お誘い? とかは……ちょっと……」

「そうですか」

 女性が俯きながら言う。先ほどとは違い熱の一切ない声色にヒヤリとしつつも、受け入れてもらえたことに安堵した。ほっと気が緩んだ、その瞬間。

 女性の手に、キラリと光るものが現れた。暗いから良く見えないけれど、何か細い刃物……カッター……?

 女性は、をゆっくり、こちらに向けた。

「殺してください」

「……え、ま、なんて!?」

「だから! 抱いてくれないなら殺してください!! 私に恥かかせたのそっちですよね!? 責任取ってください!!!」

「さっきから何を言うてるんですか!? 無理ですて!!」

「あーーーーーそうですかっわかりましたっ!! なんっにもしてくれないんだね!! ファンだったのに!!!」

 当たり前やろ! とツッコミそうになるのをなんとか抑える。このままだとやばい、なにされるかわからない、逃げないと──

「じゃあ、こうします」

 その冷たい声に、周りをキョロキョロ見ていた俺ははっと前を向く。俺の目の前の女性は、その小さな目を見開いて、カッターの刃を、

 ──ザシュッッッ

 その細い首に、突き立てた。

 血がシャワーみたいに噴き出す。スプラッター映画みたいだ、と俯瞰で見ている冷静な自分がいる。

 目の前が真っ赤に染まる。鼻腔が鉄の臭いで充満していく。

 糸の切れた操り人形みたいに、女性は横にばたんと倒れた。

 地獄みたいな光景だ。こういう時どうすればいいんだっけ。110? 違った、救急車だから、119だ。スマホをポケットから取り出す、取り出そうとして手が震えているからスマホがあらぬ方向に飛んでいく。拾わなきゃ、救急車が呼べない。よろよろとかがんだ瞬間吐き気が込み上げてきた。胃がどくんっと動き、胃酸が食道を焼きながら逆流する。汚い音を出して俺の口から出てくる。俺のゲロと血が混ざってぐちゃぐちゃになる。もう一度スマホに手を伸ばそうとしたが、俺の視界はだんだんぼやけて、ピントが合わなく、頭も、ぼんやりして、俺は、地面に、ゆっくり、くっついた。

 最後に俺の視界に映ったのは、

 あの女性の、満面の笑みだった。

 

 

 ──了──

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出待ち 瑠璃立羽 @ruritatehap

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