【第29話】私の為に、貴女の為に

 私がアリシアのレアな膨れっ面と、尖らせた唇の可愛さを存分に堪能していようという企みも空しく、結局…その直後アリシアによって放たれた言葉で、今度は私が慌てさせられる事態に陥ることとなってしまった。


 アリシアはやっぱり何もわかっていないなんてことはなくて、大体のことに勘づいてしまっていたのだ…!恐るべき、恐るべきヒロインである…。

 乙女ゲームの女主人公ヒロインは鈍感だなんて誰が決めたんだ?とでも言うように、勘が鋭いし、何よりタイミングが絶妙過ぎる…。これはもう神に愛されてるとしか言いようがない。


「……エリスが意地悪をしたって言われてる人って…。…普段、私のこと悪く言う人たちだったよね?」

「え?」

「…田舎者のくせにうまく神殿に取り入ってお城に入り込んだ売女とか…。神殿の操り人形の馬鹿女とか…」

「!?あの方たち、そんなことまで言ってましたの!?」

「…」

「…あ」


 思わず過剰に反応してしまった私に、アリシアはニッコリ微笑む。

 鎌までかけてくるなんて…

 アリシアは、本当に天然無垢で可愛いだけの女主人公ヒロインではない…。

 私がいくら小手先の手段を弄しても、彼女には絶対に敵わないのかもしれない…。


「やっぱり私のためだったんだね」

「…や、やっぱりって」

「自分で言うのは、ちょっと自惚れが過ぎるかなって思って言い難かったんだけど…」

「……アリシア」

「……エリスが私を守ってくれるのは嬉しいよ?…けど、やっぱり私の為に他の人に悪く言われるようなこと、して欲しくないんだ」

「………」

「…だって、私が悪く言われるのは、やっぱり仕方ないことだって思うんだ…」

「………」

「だから、私は別に何を言われても大丈夫だよ。ちゃんと、優しくしてくれる人もたくさんいるもの」

「……それでも、わたくしは 貴女を理不尽に貶める者たちを許せないんですの」

「エリス…」

「貴女が、わたくしが悪く言われるのが嫌って思うのと同じですわ。

 わたくしも、誰かが貴女を傷つけようとする人たちを許せませんの」

「………」

 私も、アリシアもしばらくの間、真剣な表情のまま見つめ合っていた。

 私は彼女の真っすぐな瞳から目を離すことが出来なかったし、アリシアもそうだったのだと思う。

 どうしてかはわからないけれど、今…彼女から目を逸らしてしまったら、もう二度と真っすぐ彼女と向き合うことは出来ないような…そんな理由のない不安感が私の中にあった。


 私と彼女が、王子の婚約者の座を争うライバル同士である限り、こうしたいざこざに巻き込まれてしまうのは避けられないことで、その一々に傷ついたり怒ったりしていてはとても身が持たない。そんなことはわかっていて…。

 けれど、私がそれを許せないのと同じで、アリシアも同じように思ってくれている。

 その事実に、私はとても嬉しくて…、それでいてなんだか無性に胸が締め付けられるような、そんな切ない気持ちになってしまった。


「…最初はね。私がお妃さま候補になることで、喜んでくれる人たちの気持ちに答えたいから…出来るだけ頑張ろうって気持ちでここにきたの」


 アリシアが不意に、ぽつりぽつりと静かに話し始める。


「さっきも話したけれど、私を応援してくれる人たちは、すごくすごく優しくしてくれて、私が頑張ったら故郷の家族の暮らしだってきっと豊かになるって言ってくれて…。それに、エリスも居てくれて…。」


「だから、家族と離れてここに来てからだって、少しも寂しくなくて、お勉強は大変だけど…それ以上に、毎日が本当に本当に楽しかった。…けどね…」


「私のことを応援してくれている人が、エリスのことを、あんな心の汚い女はこの国の王妃として相応しくない…みたいに悪口を言ってるのを聞いて、私…すごくすごく嫌な気持ちになったの」


 アリシアの声は少し震えていて、その手はぎゅっと強く握りしめられている。


「それで、気が付いちゃったんだ。…エリスが王妃様に選ばれたら、私を応援していた人たちは思い通りにならなくて嫌な思いをしてしまうけれど、その逆もそうなんだって。エリスを応援してるたくさんの人たちにとっては、私はいるだけで邪魔で…もし私が王妃様に選ばれたら、その人たちは嫌な思いをしてしまう」


「…アリシア…」


「私、本当に本当に何もわからないままここに来ちゃったんだって…気が付いたの。そしたら急に怖くなっちゃった」


 自嘲気味に笑うアリシアは、今にも消えてしまいそうなほど儚く見えて、私まで"怖くなってしまう"。


「………いいえ、いいえ アリシア…。貴女は、幼いころから心構えを教えられた私とは違って、突然にその役目を背負わされて、ここに連れてこられたのですもの。そこまで気が回らないのなんて当然ですわ…。むしろ、そうしたことを予めちゃんと伝えていなかった王子や…わたくしたちの方にその責任はあると言ってもいいくらいですの…」


 アリシアは私の言葉にも、首を小さく左右にふるふると振る。


「ううん、違うの。誰かを責めたいんじゃなくて…。そうじゃなくて…」


「……」


 アリシアが何を言いたいのか、私には想像もつかなくて…

ただ、その悲しそうな表情かおをなんとか笑顔に戻してあげたくて

どんな言葉をかければ彼女の心を救うことが出来るのかばかり考えていた。


「……エリスが選ばれても、私が選ばれても誰かが傷ついてしまうなら…、

どれだけ頑張っても…誰かにとっては望まない結果になってしまうなら、私はどうしたらいいんだろうって考えちゃったの」


「アリシア…」


 何かを選んだら何かを選べない。

そんなのは当然のことで、特別なことではない。

 それは、私たちに二本しか手がないから、同時につかめるのは二つだけであることとか、体は一つしかないから、同時に行ける場所は一か所しかないとかそういうシンプルな話なのだけど。

 それでも、彼女はそんな風に 知らない人の心まで気遣って傷ついてしまう。

それはある意味で優しさを通り越して高慢とすら言えるものかもしれない。

それでも、


「アリシア」


 心が弱った彼女に付け込むなんて最低ですわよ!なんて、頭の隅で天使のような姿をした私が私を非難する。

 そしてその反対側に、"アリシアと自分の幸せ"のためなら何でもするって言ったのは私でしょ!!!と私の後押しをするもう一人の私の姿もある。

 どちらの私が勝ったかなんて言うまでもなく。

 私は、もはや自分が何をしているのかなんて考える間もなく、ただ当たり前みたいな動きでアリシアの手をとって、そっと彼女に耳打ちをした。



「……それなら、わたくしたち二人で…どこかに逃げてしまいましょうか?」



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