第34話 慕情


 寝入っていると突然、微睡みの中でリゼルの声がした。

 何かあったのかと思い、目を覚ますと、彼女は慌てたように両手を後ろに隠す。


 明らかに挙動不審だったが、その理由を聞いてみても釈然としない答えしか返ってこなかった。


 まあいい、話したくないのなら無理に聞く必要も無いだろう。

 何も無いなら、俺はもう一眠りする。

 旅の疲れがまだ癒えていないからな。


 そう思い、再び横になろうとした時だった。


 コンコン


 不意に部屋のドアがノックされた。


 誰だ? こんな夜更けに。

 部屋まで案内してもらったあのメイドだろうか?


 不審に思いながらもそろりとドアを開ける。

 すると、その細い隙間から覗いた先に思いがけない人物が立っていた。

それはユリアナだった。


「夜遅くにごめんなさい……。ちょっと、話がしたくて……。いいかしら?」

「……」


 上目遣いで遠慮がちに言ってくる。

 こちらは特に話などなかったが、断る理由も無い。

 寧ろ、勝手に話をしてボロを出せば、それはそれで好都合とも思ったので何も言わずドアを開けた。


「ありがとう」


 ユリアナは柔和な笑みを浮かべると部屋の中へと入ってくる。

 そこで真っ先に目が行ったのは彼女の格好だった。


 おそらく、寝衣なのだろう。やけに布が薄く、肌が透けて見えている。

 元々スタイルは良かった彼女だが、それが艶やかな衣服によってより強調されていた。


 色仕掛けのつもりか?

 わざとらしい……。


 呆れながらも俺はベッドに腰掛ける。


「で、話とはなんだ?」

「ジルクは覚えてる? デネスの森で魔物を狩っていた時、みんなとはぐれてしまって、私とジルク……二人きりで一晩過ごしたあの日のことを……」

「わざわざ昔話をしに来たのか? そんなものを聞くつもりはないが」

「ちょっとだけだから……お願い……」


 そう言ってユリアナは俺の隣に座ってくる。

 すると、彼女の柔らかくて鮮やかな金髪が俺の肩に触れた。


「……」


 こちらが黙したことで了承と捉えたのか、彼女は話を続ける。


「あの時はパーティに合流することも、森から出ることも出来ず、ただ魔物に怯えながら朝を待つだけだった……。それも、いつ襲われるか不安で……」


デネスは邪気が濃い場所だったから、森に近寄る霊も、スピリットすらもいなくて、俺のマッパーとしての能力が全く使えなかった。

かといって、強引に道を切り開こうにも周辺を徘徊する夜の魔物は俺達二人だけでは太刀打ち出来ないほど強力で、立ち向かうことは自殺行為に等しかった。

 当時の俺に戦闘能力は皆無だったから、実質、ユリアナ一人で戦わせることになるのだから。


 そんな魔物達も朝になれば邪気が薄れ、行動が鈍くなる。

 それまでは息を潜めて待ち、明朝、アルバン達と合流することにしたのだ。


「でも、一緒にいてくれたのがジルクだったから心細くなかった。はぐれてしまった事は最悪に近い事態だったけど……あの時過ごしたあの時間は、私にとって掛け替えのないものだったわ……」

「……」


 掛け替えのない――と言っても、あの時の俺達は倒木の上に並んで座り、ただ静かに朝を待っていただけだ。

 だがそこに俺達の間だけにしか存在しない独特の空気が流れていたことは確かだった。


 おそらく、語らなくとも互いの気持ちは分かっていたのだと思う。

 ただそれを今ここで口にするか否か……それだけの違い。

 そして、口にするならどちらが先なのか? それをお互いに見計らっていた感があった。


「あの日には、もう戻れないけれど……あの時の私の気持ちは今も変わらない……」


 ユリアナは憂いげな瞳で俺を見つめてくる。

 光をまとったかのような金髪、寝衣から透ける白い肌。それらが間近に感じられる。

 確かに彼女は、あの時から変わらない美しさだった……。


「だから……」


 儚く消えてしまいそうな存在を求めるように、彼女は俺に身を寄せてくる。

 柔らかで温かな感触を腕に感じると、


「ジルク……」


淡いピンク色の唇が眼前に近付いてくる。

その最中、ベッドの側にいたリゼルは口元に手を当て、俺達のことを動転した様子で見ている。


 互いの吐息が感じられるほどに近付き、唇同士が重なり合う寸前――、

 俺はユリアナの体を払い退けた。


「……!?」


 彼女は一瞬、驚いたような顔をしていたが、すぐに表情を取り繕う。


「ごめんなさい……そうよね……。私……ジルクに本当に酷い事をしてしまったんですもの……。私にはそんな資格……もう無いよね……。分かっていたけど……どうしてもこの気持ちを伝えたくて……」


 彼女は笑みを浮かべていたが、隠しきれない悲しみが表情の端々に見え隠れする。


「でもこれで、気持ち整理がついたわ。ありがとう……」


 ユリアナはベッドから立ち上がると、


「夜遅くにごめんね。じゃあ、また明日」


 そう言って、部屋を出て行った。


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