第33話 在りし日の記憶


(リゼル視点)


 リゼルは在りし日の出来事を思い起こしていた。

 それは今を生きる人からすれば遠い過去。

 だが、彼女からすれば昨日のように思える――そんな記憶。


 薄暗い部屋の中で、リゼルはベッドに横になっていた。

 いや、ベッドほど寝心地の良いものではない。

 ただただ硬く、冷たい、鉄の板のようなものに寝かされていた。


 しかし、今はそんな事はどうでもいい。

 そう思えるくらい意識が朦朧としていたし、余計な事を考える余裕が無い。

 胃の中から絶えず沸き起こる吐き気と、息苦しさ。

 とにかく、それをどうにかして欲しかった。


 そもそも何故、こんな場所に寝かされているのか?

 それ自体も思い出せない。


 微かに覚えているのは、王城で行われた魔王討伐の祝賀パーティ。

 それに出席していたことくらいだ。


 ――……あ。


 不意に混濁した意識の中に消えて行きそうだった記憶に辿り着く。


――そうだ……私はあの時、黒い服を着た給仕に飲み物を勧められて……。


 グラスを手に取り、口に含んだ。

 その時は、すっきりとした味わいの果実酒――それくらいに思っていた。

 だが、しばらくして目の前の風景が霞み始め、呼吸が苦しくなり、立っていることも覚束なくなった。

慣れないものを飲んだせいかと思い、涼みにテラスへと出た所までは覚えている。


 その後、気付いた時にはこの場所で寝かされていた。

 おそらく、気分が悪くなり倒れてしまったのだろう。

 それを誰かがここまで運んでくれた?


 それにしても、ここは王城の中なのだろうか?

暗すぎて辺りの様子が全く分からない。

 未だに視界も霞んだままだし、それに加えて視界が歪み始めているから確認することも困難だ。


 ――うう……。


 内臓がえぐり出されるような不快感と痛苦に襲われる。

体の状態は更に悪化しているようにも思えた。


 そんな時、リゼルの近くで声がした。


「おい、まだ息があるぞ。これでちゃんと死ぬんだろうな?」

「問題無いですよ。呪術から生成した呪毒は無味無臭ですから疑うこともなかった。充分な致死量に達していますよ。いくら勇者とて持たないでしょう」


――……毒? ああ……そうか……私は毒を盛られたのか……。


 誰かが側で会話をしている。

 一人は聞き覚えのある太い声。

 もう一人は若い男の声。

 感じ取っただけでも二人いるようだが、体が言うことを聞かなくて確認することが出来ない。


「ご心配には及びません。これで陛下・・とギルニアの未来は安泰です」

「そうか……ならいいが」


 ――……陛下?


 その言葉に耳を疑った。

 しかし、すぐにその疑いが現実のものとなる。


 横から寝ているリゼルの顔を覗き込んでくる者がいた。

 毒のせいか視界はぼやけていたが、そこには自分の知るギルニア国王陛下の顔があった。


「悪く思うなよ……これも国の為だ」


 ――な……なんで……。


 そう口にしようとするが声が出ない。

 なぜ、自分が殺されなくてはならないのだろうか?

 何の為に勇者として国を守ったのか?

 自分がしてきたことは何だったのか?

全てがごちゃ混ぜになり、どんな感情を持ったらいいのか訳が分からなくなる。


 ――うぅ……もう……。


 その時、自分でも分かった。

これが死期なのだと。


 薄れ行く意識の中で、ふと国王の側にいる青年の方へ目が行く。

 輪郭と目鼻立ちをなんとなくしか捉えられないが、尖った耳を持つ、青白い顔をした男だった。

 そして、黒い服を着ている。


 ――そうか……こいつが私に……。


 グラスを手渡された時の事を思い出す。

 すると、悔しさなのか? 悲しみなのか? 強い感情が彼女を支配し始める。


 ――お前は……誰だ……。


 事切れる瞬間、青白い顔の中で金色の眼が、自分のことを笑っているように見えた。


               ・

               ・

               ・


「っ……!」


 リゼルは我に返った。

 この体では鼓動など感じられるはずもないのに、動悸がしている気がする。

 どうやら過去の記憶に思い耽ってしまっていたらしい。


 側にあるベッドを見れば、寝ているジルクの姿がある。


――嫌なこと思い出しちゃった……。あんな話をしたせいかな? まずい、まずい、もう考えないようにしよっと。


 体をリラックスさせるように伸びをしたり、手をぶらぶらとさせる。

 すると、何の気なしに見た自分の手に異変が起こっていることに気付く。


「えっ……?」


 指先から手首までの辺りが、向こうが透けて見えるくらい薄くなっていたのだ。

 存在が消えかかっているのか、手の平が濃くなったり薄くなったりを繰り返し明滅している。


「これって、もしかして……」


 理由を悟った刹那、ジルクが目を覚ます。


「……ん? どうした? 何かあったのか?」


どうやら驚いた時の声で起こしてしまったらしい。

 リゼルは慌てて両手を背後に隠すと、笑みを作る。


「……ううん、なんでもない。ちょっと窓の外に虫がいてびっくりしただけ。はは……」


 リゼルのわざとらしい笑顔をジルクは訝しげに見つめるのだった。


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